『飾り屋』りんの話

娼館のお部屋を飾る不思議な『飾り屋』のお話。
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《鮋(かさご)》

乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 持ち上げた布の、まずは軽さに驚いた。水を触っているようで、心地よかった。蝋燭のひかりでどんな色にでもちらちらと輝いてみえるそれは、深い蒼色のにおいがしていた。

2014-05-16 21:38:57
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL その日りんが「新入りだよ」と紹介された娼妓は、冴え冴えと赤い鱗のうつくしいあねさんだった。元々は大きな魚の異形だろうあねさんが、乾いた床に人のなりをして着物をつけてしゃんと座っているのがなんだか物悲しいほどきれいだったので、

2014-05-18 09:20:09
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 既に初の床入りが決まっていたあねさんのお部屋を飾りたいと、りんはおかみさんに言った。おかみさんはふんと鼻を鳴らして、せっかく花魁の部屋を飾る仕事をくれてやるのに、なんだってこんな新米の娼妓の部屋を飾りたがるんだかと言った。花魁の部屋の分しか払わないよとも。

2014-05-18 09:22:56
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL りんはかまわないと言って、早速、飾り屋に向かった。客の入らぬ裏通りの、小さな扉をくぐると、扉と店構えからは想像できないほどに広い店の中に、たっぷりの布地やら星屑の瓶詰めやらが揃っていて、それらからはぷんと、潮の香りが漂ってきた。

2014-05-18 09:26:01
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 「りん、まずは花魁の部屋の飾りを買わねば」 おれが言うと、りんは頭を押さえて、うんうんと唸った。この店は欲しい飾りをそろえてくれるのはいいんだが、きもちが強すぎるとこうして欲しいものだけが並んでしまうので、りんのように真っ直ぐなやつでは、難儀することもある。

2014-05-18 09:29:41
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 仕方がないのでいつもの如くおれが”目隠し”をするはめになる。月の光をよく集めるように青銀色をしているりんの両の義眼の中で、目の水晶の代わりをしている夜行虫が、光を失って、銀色の涙になってりんの頬に筋を作る。途端に、店の中が暗く、狭くなった。

2014-05-18 12:37:26
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 飾りを欲している者の目が、一度見えなくしてしまえば、品物も、広い店も、総て消えてなりをひそめてしまうのだ。瞼を通しても見える部屋の、総てを写さないようにすることができる、それだけで、飾り屋として、求められる材料を手に入れられる強みが、りんにはある。

2014-05-18 12:39:10
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL もっとも、それはおれの夜光虫を宿した義眼の強みでしかない。それに夜光虫の目隠しだって、夜光虫自体はりんの体で増え続けているからなんともないが、それでも死んでいく夜光虫たちは”おれ”だから、あまり愉快じゃない。

2014-05-18 12:41:01
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL そんなことはりんも分かっていて、だから、申し訳なさそうにおれの着物の袖を握った。なんてことないと頭を撫でて、目の光を灯しなおしてやると、店は鮮やかな赤と金の絢爛豪華な飾りが所狭しと並んだ様子になった。春の花の強い香りがして、むせ返るようだった。

2014-05-18 12:43:17
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 花魁の部屋の飾りはいつも決まっていて、おれの目には眩しくあった。りんも好きなように飾れない花魁の部屋の仕事を好かなかった。

2014-05-18 12:46:59
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL なにより、りんは花魁が苦手だった。花魁は初対面のりんをひどく引っ叩き、蔓草で縛り上げて部屋に吊るして、自分が客を取るのを、りんに見せ付けたことがあったからだ。

2014-05-18 12:48:26
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 花魁はりんを甚振るのが楽しいとみえて、上客の来るときには、必ずりんを呼びつける。そうして客を取ったあとの朝に、散々りんの飾った部屋をなじるのだ。あれで本当に男なのかと思う美女っぷりもさることながら、花魁は、女の腐ったようなひどい高級男娼なのだった。

2014-05-18 12:50:17
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL そんな花魁の部屋の飾りは悩む間もなく決まり、飾り屋の証である星空の鞄にそれらをすべて放り込んだら、商品は既に、最初に見たあの潮のにおいのする品々に置き換わっていた。

2014-05-18 12:56:08
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 「あねさんの故郷(くに)の海の砂はどこ?」 りんが虚空を見上げて尋ねる。そこには、おれのような蟲の目には見えない店主がいるのだと、りんは言っていた。すこししてりんは棚にあった瓶を手に取ったが、すぐにそれを置いて、首を振る。 「違うの、海の底の砂よ」

2014-05-18 12:59:00
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 「……いいわ、花魁さんのお仕事のお金は全部持ってくる。だから出して、あの、なんとも寂しそうな顔をしているあねさんを、海の底で泳がせてあげたいの」

2014-05-18 13:02:15
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL りんはいつでもこんなだから、手元にあまり金が残らない。自分の両の目玉を取り戻すために飾り屋をしているというのに、人がいいにもほどがある。義眼の貸し賃も出さなくっちゃいけないというのに。

2014-05-18 13:04:06
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 真珠の珠に、貝殻に、海のあぶくと、硝子風船。鮮やかな海草に、珊瑚の花束。ごつごつした黒い岩と、海の底の砂。そして最後に、蝋燭の光で翠とも銀とも茶とも灰とも見える長い長いたっぷりとした繻子の布を鞄に詰め込んで、りんは一言呟いた。 「蒼色のにおいがする」

2014-05-18 13:13:12
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL りんが飾った赤鱗のあねさんの部屋は、海の底そのものだった。ごつごつとした黒岩の、まるで魚のすみかのような隙間を縫って床に入る、そういう飾りになっていた。空に浮かべたあぶくや硝子風船が、揺れる繻子の天幕にぶつかって、またふわふわとよそへ浮かぶ。

2014-05-18 13:18:00
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 紙の船を浮かべようと、仕上げに思い立って、りんがおれに手伝わせて千代紙を折っていると、「飾り屋、おいでかい」と、襖の外から声がかかった。寒い海に吹く風みたいな物悲しく美しい声は赤鱗のあねさんらしかった。

2014-05-18 13:22:13
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL あねさんは、どうしてりんが部屋の飾りを申し出てくれたのか、それが知りたくて来たようだった。りんは折りあがった船をつうっと見えない糸で通して、天井に針を飛ばして吊るしながら、くっと口をへの字にした。それはよく見る顔で、どうしてと聞かれてもと困っている顔だった。

2014-05-18 13:26:00
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL うーんと唸ったりんは、暫く黙って紙の船を天井へ吊るしていたが、やがてはたと思いついた顔になって、 「あねさんは、きっともう一度泳ぎたいんだなと、思ったから…?」 と、だけ言った。

2014-05-18 13:30:10
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL ――夜が更けて、床入りの時間が告げられる。お前のような鱗の美しい異形を抱くと豊漁となるといわれている、と酔って5回も言った人間の客は、カサゴの腰にべろりとまとわりつきながら、床の間の襖を叩いた。

2014-05-18 13:36:04
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 「何故開かん!?」……かなり酔っている。酔いに任せた乱暴な抱き方をされるのだろうと、カサゴは憂鬱な気分を顔に出してはばからなかったが、酔たんぼの客には知れることもなかった。 襖を開いた瞬間、夕方に聞いた、飾り屋の少女の言葉が、なぜだかふっと頭によぎった。

2014-05-18 13:41:45
乃井 @no_el_ty

@sousakuTL 途端、カサゴは、なつかしい潮の香りに、泣き出してしまいそうになった。故郷の海水と砂の、深い深い蒼色のにおい。 床の間は、海の底だった。おもわず首筋に鰓が出て、そこから呼吸をしてしまうくらいに、そこは海だった。

2014-05-18 13:44:00