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「あーる晴れたーひーるさがりー」で始まる『ドナドナ』ってありますよね。あの歌大好きなんです。僕の他にも好きな方いるでしょ? なんていうかある種の「切なさ」がキーなんだろうなー。切なさって世界共通の感情みたいに思えるでしょうけど、実は日本人は特別切なさを愛してる民族らしいんですよ。
2010-11-12 20:47:35イディッシュっていう中東欧ユダヤ文化から生まれた歌なんだそうです「ドナドナ」。広く世界中に愛されてる歌で、ベラルーシ生まれのユダヤ人ショロム・セクンダ (Sholom Secunda) 作曲、ウクライナ生まれのユダヤ人アーロン・ゼイトリン (Aaron Zeitlin) 原作詞。
2010-11-12 20:52:20生まれはユダヤ文化ですが警察に連れて行かれることを「ドナドナされる」とかスラングにまでなっているのは日本だけ。1956年にアーサー・ゲヴェスとテディ・シュワルツが英訳して歌い、その後ジョーン・バエズがDonna Donnaとして1961年に発売し大ヒット。それが広がったんですね。
2010-11-12 20:56:23得てしてそういうヒット曲はメロディだけ頂いて、日本語詞が元歌と関係なかったりするモノですが、英語版の他に、フランス語版も日本語版も出されたのですが、どちらもほぼそのままの内容です。どこに行くか分からない荷馬車に乗せられた子牛を見て、ある種の感慨を覚えるのは世界共通なのでしょうか。
2010-11-12 21:07:31『お爺さんの時計(大きな古時計)』も同じように切ない歌ですが、こちらはけっこう具体的ですね。お爺さんと共に百年時を刻んだ時計が、お爺さんの死と共に動かなくなったっていう。ドナドナ>お爺さんの時計とは言いませんが、ドナドナの方が想像力をかき立てる歌だ、と言うことは出来ると思います。
2010-11-12 21:16:27簡単な比較では済まないというか、本来はドナドナとお爺さんの時計を比べること自体がおかしいんですが。特に最近誰かの死に直面した方すみません。ただ子牛は市場の方へ行った。で売られるらしい、さて子牛は肉牛か乳牛かは謎、ひょっとしたらまた違う牧場へ行って楽しく暮らすのかもしれないという。
2010-11-12 21:22:26気になるのはやはり子牛の運命ですけど、日本語詞のは「みんなのうた」のために直されたらしく、肉牛だそうです。まあおそらく今ほどの流通量もなかったはずだし、欧米にはブランド牛とかないので間違いなく売れていったことでしょう、悲しいかな。ただ育牛の道もあるし、すぐ殺したとも限りませんが。
2010-11-13 01:15:07苦しいのは子牛だけぢゃなくて、飼い主だって屠殺する人だって悲しいはずですよね。そうやって全体をぱーっと眺めて主要なところをきっちり捕まえてくるのも日本人の特性のひとつだとどかかで読んだ記憶があります。うろ覚えなので確証が取れていませんけれど、まあ当たらずとも遠からずではないかと。
2010-11-13 01:35:40見当をつけて想像したことを語ってるだけなんですよね、ドナドナの歌詞を読んでみると。悲し「そうな」瞳で見ているよとは言ってますが、あくまで推測でしかありません。牛の目に感情が表れるというのも想像上の話でしかないのかもしれないし、正に母牛との別れの悲しみを感じて歌ってるのかもという。
2010-11-12 21:27:23こう言ってはアレなんですが、さて西洋人にそういう感情が分かち合えるものとしてあるのかも僕には少し疑問です。だってキリスト教的には牛などは「人間が食べるために神に造られた」存在なのですよ。直に牛などの家畜に接してる人ならともかく、ドナドナの歌詞では誰目線なのかも明らかでないですし。
2010-11-12 21:31:13さて、ドナドナはフランス語版はクロード・フランソワという人の『夢見るシャンソン人形』のB面として発表され、日本語版は、ザ・ピーナッツと岸洋子が競作で発表されています。安井かずみの訳、岸洋子の歌によりNHKの「みんなのうた」でも放送されていたそうです。平井堅‥‥はお爺さんの方かw。
2010-11-12 21:40:13死ぬかもしれないということを認識しているのかどうかは謎ですが、まあ住み慣れた牧場を連れ出されることや、おそらく生まれて初めて荷馬車に乗せられていることで、子牛が怯えているであろうとは容易く想像がつきますよね。まあ、怯え=悲しそうな顔をする、ではありませんが。そう見えたのでしょう。
2010-11-12 21:46:37少し話がそれますが、人間でも引っ越しは結構なストレスだそうです。その労力だけでなく、住み慣れた土地から離れるのは心理的にけっこう大変ですね。「引っ越し鬱」という言葉があるくらいですし。ドナドナの歌に当てはめて言えば、幼くして両親の元を離れて全く知らないところへ行く様なもの、です。
2010-11-12 21:54:25世界というのは、特に幼い子供にとっては自分の目の届くところが全てなわけですし、そこを離れることだけ考えても大変だし、慣れない移動手段と、さらに市場へ続く道。自分の立場がそうだったら、と思わず考えてしまいますね。ドナドナ並に断定なしに感情移入できるストーリーってなかなかありません。
2010-11-12 22:04:09そんなドナドナですが、実は元歌では荷台の子牛はすぐに殺される肉牛だ、と見た人は思ったという表現です。確かに子牛の肉とか食べた記憶がある人も多いと思います。日本語版も先ほど挙げた安井かずみの訳ではそのままです。推測ですが「みんなのうた」や学校で習う歌にしてはキツイ表現なのでしょう。
2010-11-12 22:11:13ただ、そこかろから目をそらすのはちょっとどうなの‥‥と思いますが小学生にはまだもう少し早いということでしょう。ちなみに、僕は屠殺の場面を見学したことがあるのですがその時「外人さんはねーコレ見て美味しそうとか言うんだよ」と解説してくれたおじさんは言ってました。同行者は泣いてました。
2010-11-12 22:16:33小さなことかもしれないですが、キリスト教圏の人はみなとはいかないまでもほとんどの人が屠殺を見ても平気というか特になにも思わないらしいです。それがイルカやクジラになるとお友達感覚で「殺して食べるなんて許せない」っていうのは理解に苦しみます。キリスト教学んでないのでこの辺にしますが。
2010-11-12 22:22:34つまびらかに出来ないことはちょっと宿題にさせて下さい。後で調べてみます。ひと言だけ言うなら、お互いの文化に文句言い合っても仕方ないよと。さて話を戻してというかドナドナにおける「切なさ」に戻りましょうか。しかし詞に込められたものって破壊力凄い。詳細を知らなくともいろいろ出てきます。
2010-11-12 22:29:00天国と極楽の違いを知ってますか? 本来の意味では、仏教的にはこの世が地獄で、輪得転生から抜け出した時に解脱して向かうのが極楽、キリスト教的には転生とか全然関係なく、死んだときに善行の度合いによって行けるのが天国です(何階層もあり善行の度合いにより異なる)。あの世っていうのが天国。
2010-11-12 22:40:19ともかく、ドナドナに関して感じる思いは日本人と欧米人では全然違うってことです。クジラやイルカやペットに対するものとの違いは追求してみたいところですが、またいつかに。簡単に言えば、かわいい→擬人化→殺すのはかわいそう、ってなるのかな? ただ善悪の2元論には無理があるんだと思います。
2010-11-12 22:53:37なわけで、ここからは自分の守備範囲である日本人的に行こうと思います。なぜこの歌(ドナドナ)が「切ない」のかと言うと、今から殺されて食べられるかもしれない、という受け入れがたい現実を敢えて逆らわずに受け止めている姿にあると僕は思います。切なさって現実と理想の齟齬からくるものなので。
2010-11-12 22:58:06人間と家畜(ここではドナドナの子牛)の違いは何でしょうか? 日本人的な汎神論から言えば程度の違いこそあれ同じなんですね。だから家畜にも、果ては工業ロボットにまで名前を付けたりする。それがただひっそりと死を前に悲しそうな顔だけしてじんわり受け入れてる姿がとても切ないと感じていると。
2010-11-12 23:04:17ぬるま湯に浸かってるような姿に欧米人には見えるかもしれないですけど、我々日本人(もっと広げてアジアとかも入るのかな、よく分からないけど)の感情をすごく刺激する歌詞だと思う『ドナドナ』って。物事の多面性をよく見ているというか。子牛が自分の家の食卓に並んでる可能性だってあるのだから。
2010-11-12 23:15:27念のため書きますが、僕自身は別に宗教学とか哲学とか学んでないですよ、ぜんぜん。だからあまり鵜呑みにしないで下さいね。もうコレただの思いつきを書き並べてるだけなので、ってしないか。どっちも大学で1コマずつしかやってないですし。嫌いではないんですが難解さに腹が立ってしまうんですよね。
2010-11-12 23:19:42のっぴきならない状況を前にして観念しつつも、前は見ているという姿が胸を打つんぢゃないかな、と。『ドナドナ』の子牛に自分を重ねているから「切ない」気持ちが生まれ、好んでいるのが日本人的だなーと。これほど現実に寛容な民族は、他にいないそうです。子牛にしてみれば天災的なものでしょうし。
2010-11-12 23:28:33