北乃カムイが憑依したPEACHのひとみ店長がマネージャーと共に夕張を探訪+α

単なる珍道中にとどまらず、「財政再建団体」に指定された町・夕張の現状と 今後について再考するきっかけになればと、北乃カムイが立ち上がります。 ※なお、まとめ主は北海道へは一回しか行ったことがない「道外カムラー」です
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渡邊芳之 @ynabe39

「どの当事者に共感するか」「自分をどの当事者の立場に置くか」で物事に対する意見がまったく変わってくる,ということはあらゆる「論争」でみられることだ。論理でなく共感の問題

2014-08-17 10:48:52
渡邊芳之 @ynabe39

風評被害の問題で生産者側に共感して「生産者の気持ちを考えろ」と言った人が,たとえば北海道の鉄道問題などで北海道の住民に共感しなければ「人口の少ないところの鉄道など不合理だから廃止しろ」と言ったりする。べつに「人の気持ちに優しい人」と「思いやりのない人」がいるわけではない。

2014-08-17 11:07:31
渡邊芳之 @ynabe39

比較的近くにいて顔の見える人々,マスコミでさかんに取り上げられる人々に共感するのは容易いが,遠くにいて顔の見えない人に共感するのは難しい。しかしそれだけで問題への意見はまったく違ってしまう。

2014-08-17 11:08:42
渡邊芳之 @ynabe39

しばらく「遠くにいて顔の見えない人々」の側で暮らしてみると自分の意見も大きく変わる

2014-08-17 11:10:18
渡邊芳之 @ynabe39

北海道の鉄道についての意見なんて北海道に親戚のひとりでもいればまるで変わってくるし,特定の国に対する意見もその国に行ったことがあったりその国に友人がいたりすればまるで違ってくる。それがいけないというのではなくて,そういうものだという話。

2014-08-17 11:34:31
渡邊芳之 @ynabe39

「ポジショントーク」のポジションとはそういう「自分が誰に共感し,誰の立場からものを言うか」ということだ。

2014-08-17 11:37:41
渡邊芳之 @ynabe39

「ポジショントーク」が悪いのではなくて,ポジショントークをしているのに自分でそれに気づかずに「公正公平な意見を言っている」と信じていることが悪い。ポジショントークになること自体は避けようがないのである。

2014-08-17 11:38:54
渡邊芳之 @ynabe39

街の本屋,北海道の鉄道ヤ道路,日本の大学など「ほとんど共感されないもの」を慈しむのがヴィレッジグリーンプリザベーションソサイエティです。

2014-08-17 11:56:51

四駆乙女チック(元名:四速オートマ)さん@ST215W_4ATが、夕張など地方の過疎問題について大いに語る

いついち @ituiti51

さて、ここから18歳(自称)が、遅咲きのチューニビョー(笑)を拗らせた、真面目なツイートがちらほら入ります。 不快感を催される場合もありますが、悪しからず。

2014-08-11 19:17:51
北乃カムイ 北海道のことなら【公式】 @kamuikitano

カムラーには夕張の現実も知って欲しいにゃ。参考までに彼のツイートも見てみて→ "@ST215W_4AT: さて、今回ひとみ店長とマネージャーさんが行ったのは夕張市。 この夕張は、自分にも浅いながらも縁がございます 故人である祖父が、本州より夕張に炭鉱夫としてやって来たそうです

2014-08-11 20:10:20
いついち @ituiti51

さて、今回ひとみ店長とマネージャーさんが行ったのは夕張市。 この夕張は、自分にも浅いながらも縁がございます。 故人である祖父が、本州より夕張に炭鉱夫としてやって来たそうです。 そして、この"炭鉱"が夕張を栄えさせ、ある種衰退の要因となりました。

2014-08-11 19:22:14
いついち @ituiti51

少々話は飛びますが、日本は石油等のエネルギー資源を輸入に依存していることは、皆様もご存じかと思われます。 "石炭"に関しても、国内流通のほとんどが輸入品となっています。 これを聞くと、『日本は石炭も取れないんだな』と感じる方もいらっしゃると思います。

2014-08-11 19:27:06
いついち @ituiti51

しかし、日本では明治から昭和の末期近くまで、石炭は産出していました。 そして、今でも出ることには出ます。しかし、コスト・品質面から海外産に勝ち目がなく、廃れてしまったのです。 さて、話を戻します。 夕張はそんな国産の石炭が産出した土地でした。

2014-08-11 19:30:53
いついち @ituiti51

始まりは1888年、炭層が発見されたことからでした。 以後、夕張は"炭鉱の街"として栄えてゆくこととなります。 前記した祖父のように、夕張には炭鉱夫として働きに来た人。その人の家族。そして、人の流にさとい人は商売を求めて。このように夕張には多くの人が集まりました。

2014-08-11 19:35:32
いついち @ituiti51

繁栄した炭鉱でしたが、陰りが見え始めました。 時代と共に、安く良質な輸入品が増え始めたこと多発する炭鉱事故に対し、世間は日本の炭鉱産業に、より一層の厳しい目を向けるようになったこと。 企業の方も、利益・リスク面から次第に炭鉱を閉山することを決定します。

2014-08-11 19:56:29
いついち @ituiti51

そして1990年、夕張最後の炭鉱『南大夕張炭鉱』が閉山しました。 ここから、夕張は大きな転換を強いられ、活路ではありましたが、諸刃の剣となった"観光"に力を入れて行くこととなります。

2014-08-11 19:59:55
いついち @ituiti51

またまた話が飛んでしまいますが、当時の政府は"地域振興"を大々的に掲げ、表現はよくありませんが、地方自治体に金をばら蒔いていました。 各自治体は、このお金を元に、様々なことを行いました。 そして、夕張は観光施設の造成、つまり"箱もの"作りにこのお金を利用しました。

2014-08-11 20:10:37
いついち @ituiti51

閉山した炭鉱を、博物館として改めたり、遊園地を新設したりなどしました。 蛇足ではありますが、幼少の頃、自分も炭鉱博物館や、遊園地に行ったことがあります。 そして、そんな箱もの達は、炭鉱が無くなり危機に貧した夕張に、新たに人を呼ぶ救世主となったのです。

2014-08-11 20:17:17
いついち @ituiti51

しかし、それは一時のこと、次第に人々は訪れず、観光も衰退し始めたのです。 それでも、夕張は箱ものを残しました。 もったいという心からか、少なくとも人がやって来るものを残したい、という意図からなのかは、分かりかねますが、収益が赤字に転換してきたことだけは確かでした。

2014-08-11 20:21:42
いついち @ituiti51

三度飛びますが、これは夕張に限った話ではありません。全国の各自治体で、"赤字の箱もの"があった、または今でもあるのです。 そんな箱ものは、只でさえ人が減り始め、政府の方針転換により助成金も減った夕張の財政を苦しめました。 やがて、"財政破綻"の影がちらつき始めるのです。

2014-08-11 20:37:33
いついち @ituiti51

少々小休止に、最後に断っておこうと致しましたが、思いの外見てくださる方々がいらっしゃるので、ここで申し上げます。 今回のお話は、正確な調査なく、自らが見聞きしたことを元に構成したお話であり、夕張の状況はもっと複雑なもとで成り立っているとお断りさせていただきます。

2014-08-11 20:41:23
いついち @ituiti51

十一 2007年、その年に夕張は財政破綻、つまりは借金を自らでは返済不可となり、日本の地方自治体としては初めての『財政再建団体』となりました。 この驚愕の事態は、日本全国を駆け巡り、特に北海道では連日連夜に等しい状態の報道がなされました。

2014-08-11 20:48:28
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