- noisie_silence
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日向が飛び降りた現場(マンション)に花を手向けにいくところから話が始まる。狛枝以外に花を手向ける人もなく、花瓶のかわりにした狛枝愛用のタンブラーに活けてあった花は何者かに散らされて無惨な姿を見せている。そうでなくとも水はほとんど干上がっていて花は萎れている。
2014-09-10 15:50:04ミネラルウォーターをボトルから注ぎ、500円ほどの小さな仏花の束を差そうとすると後ろから声がかかる。「困るんだよねえ、そういうことされると」「はぁ…」「友達だかなんだか知らないけど、花とか置かれるとここで誰か死んだって分かっちゃうでしょう」相手はどうやらマンションの管理人らしい。
2014-09-10 15:51:36「できればこういうのは心の中でやってほしいんだよ。大体周りはこういうの、早く忘れたいんだから」「…そうですか」「あんたもまだ若いんだしそんなにキレイなんだから、あんまり死んだ人のことなんか考えないで楽しく生きなよ」あわれむような一瞥をくれて、彼女は去っていく。
2014-09-10 15:53:02「それで最後にしなさいよ」狛枝の背中に声がぶつかる。「…最後、か」余ったミネラルウォーターを周りの花壇に振りまきながらつぶやく。「でも、ボクが忘れてしまったら、いったい誰がキミのために泣いてくれるんだろうね?」
2014-09-10 15:59:09水のゆくえを目で追ううちに、花壇に開いたいくつもの穴に気づく。「蝉、か…」近くの植え込みの低木にぶらさがる蝉の抜け殻をとって集めてみる。昔こういうことをしたこともあったかなあと思いを馳せつつ。いくつめかの抜け殻に手を伸ばしかけて、その斜め上にぶら下がっている物体に目を留める。
2014-09-10 16:01:51それは羽化に失敗した蝉だった。左側の羽が抜けないまま固まっている。しかしかすかに前足が動いているようにも見受けられた。「乾いちゃう、かな」それでも無理矢理引き抜いたところでどうなるわけもないので、とりあえずそっと水を撒いたばかりの日陰の枝にそっと移動させる。
2014-09-10 16:16:26そして管理人室に行く。さっきの人に身分証を見せ鍵を開けてもらい、部屋に入る。部屋の中は雑然として、未だ"生きた部屋"であることを感じさせる。「冷蔵庫の中身だけは勝手に処分しておいたけど」「すみません」「いやいやそれはこっちの科白だよ。片付けてひきとってくれる人がいるだけでも」
2014-09-10 16:19:55「…でも花はさ、これっきりでお願いするよ。このご時勢、妙な話があるとなかなか店子が見つからなくて」「ボクが住みますよ」「え」「ボクが、」「…まぁ、本気なのならあとで家賃の相談をしましょうか。終わったら声かけてくださいね」曖昧な笑みを浮かべてそういうと、彼女はその場をあとにする。
2014-09-10 16:22:34誰も原因を知らない。彼が飛び降りた原因を。PCのHDDはきっちり破壊されている。プライベートな書類のたぐいもシュレッドされてゴミ箱に捨てられている。「そういえばボク、なんにも日向クンのこと知らなかったな…」ヒットチャート常連のCDや売れ筋の漫画ばかり並んだ棚を眺めながらつぶやく。
2014-09-10 16:33:52管理人室での数分の事務的なやりとりのあと、狛枝はまたあの花壇のそばに戻ってくる。夕方の4時、あれだけ晴れていた空は一気にかき曇り今すぐにも泣き出しそうだ。ふと思い出してさっきの蝉を探す。蝉はぽとりと落ちて周りに蟻が集っていた。「…日向クン、キミよりこの蝉の方が余程役に立ってるよ」
2014-09-10 17:06:03「ちゃんとこうやって他の命を育むいしずえになっている、なのにキミは」 (なんだ、俺のこと食べたかったのかよ)「はぁ?キミ、自分の死んでたとこ見たの?ひどかったよ、脳漿とか。脚も腕もてんでんばらばらの方向に曲がって。とてもあんなの食欲湧きやしない」(そっか。首吊りの方がよかったか)
2014-09-10 17:08:45「そういう問題じゃないよ。強いて言うなら血抜きができるから生食張った湯船で手首でも切ればよかったんだろうけど」(次はそうするよ)「次はないよ。何ひとが食べる前提で話してるのさ。バッカみたい」(そうすれば俺も誰かの役に立てたかもしれない)「だからそういう問題じゃないんだって」
2014-09-10 17:10:08「ほんっと、バッカみたい」突如降り出した夕立が町を想い出をひとしく洗い流す。そのとき彼が泣いていたのかは、だから彼以外に分かるはずもなかった。
2014-09-10 17:11:58