あ、ちなみに、にせんねんもんだいの生演奏はすごくかっこ良かったです。興味深いのは、なぜかその反復するビートに合わせて身体を動かしている人が少なかったこと。それはフィールド上で動き回る人たちの行為や動きの関係性に何かしらのルールを見出そうと注視するからだと思った。
2014-10-18 12:09:08→あえて距離を置いてバカバカしさに笑いを取る、ユーモアもあると思う。たぶんそういうものなんだと。ザパックス・ナンナンはスポーツの熱狂を遠退け、舞台作品の美的感性的価値も無効にし、儀式を目撃するエキゾチシズムも見出させない。ただおもしろそー、という宙吊りの状態だけが残る。
2014-10-18 11:56:48→大会場での舞台作品では何がパフォーマーとの物理的な距離を縮めるのか。構成か物語か劇伴か。遠い距離感それ自体がスケールに迫力を持たせ、群像を見る事のスペクタクルになるのか。はたまたそれが儀式ならば未開の文化に対する興味が好奇心をそそり、距離はさておき観光か人類学の対象になる→
2014-10-18 11:51:00→そもそもコンタクトゴンゾってそういうものだったかもしれない。でも、いつものゴンゾには行為に惹き込まれる。物理的に近いからだ。だからこの作品はスタジアムで上演される事の問題定義がデカい。スタジアムでのスポーツ観戦は「熱狂」が物理的な距離を縮める。じっと黙ってみるここに熱狂はない→
2014-10-18 11:50:52→よくわからない謎の儀式を見ているのだ。それもどこのいつの時代かもわからず、霊性を欠いた表層的な儀式のシュミラクルだ。それをとにかく懸命に撮影する人たちがいる。何かしらを期待して見てる人たちが周囲にいる。鳴らされる音楽にノル事もそれほどなく、じっと黙ってみている。そのまま終わる→
2014-10-18 11:50:46→ではスポーツではなく舞台作品として観るとどうか。身体的に情動される事はあまりなく構成も単調で、自分らだけで楽しんでいる、楽しいんだろな〜、と思ってしまう。それが悪いかというとそうでもないはず。で、今度は作品を公式に撮影する人たちに目がいく。周囲の歓声をあげない観客に意識がいく→
2014-10-18 11:50:31→「審判」と「観客」の代わりにあるのが、解説?の女性の声とにせんねんもんだいの音楽。プレイヤーでもある女性の声はマイクで拾われ増幅し、キレのある反復ビートがスピーカーから鳴らされる。これらの音は今目の前で繰り広げられる行為をスポーツから舞台作品へフィクションレベルに移行させる→
2014-10-18 11:50:17→仮に野球やサッカーを未知のものとして観るとする。ルールがわからなくとも「審判」や「観客」がいればなぜか楽しめる。楽しみ方がチュートリアルされるから。「審判」はゲーム内での逸脱/違法した動きを「観客」は個々のプレイの優劣やゲームの流れを伝えてくれる。それがスポーツに熱狂を生む→
2014-10-18 11:50:10コンタクトゴンゾ『ザパックス・ナンナン』。わっ、超おもしろそー!、、と思ったまま終わってしまった。というのが僕の感想。たぶんルールが不明瞭というかそこに「審判」がいないのが重要かなと思った。あと応援や歓声をおくる「観客」の不在。価値判断の指標があらかじめ取り除かれているというか→
2014-10-18 11:50:00contact Gonzo のxapaxnannan、おもしろかったから、一言だけ。最後に”名選手になった”という、この”名選手”というのがミスかな。 それ以外はほとんどおもしろかったなぁ。 見てよかった。
2014-10-17 22:02:22contact Gonzo『xapaxnannan:私たちの未来のスポーツ』 - pop_life yamakenta.hatenablog.com/entry/2014/10/…
2014-10-17 19:14:15【NEW】つい先日、開催されましたcontact Gonzo の『xapaxnannan(ザパックス・ナンナン):私たちの未来のスポーツ』のレビューをご投稿頂きました!ぜひ、ご覧下さい! @kyoto_ex #contactgonzo haps-kyoto.com/haps-press/exh…
2014-10-17 17:51:09contact gonzoの作品参考資料として引用されているホイジンガの一節が個人的にとても興味深い。 "見物人などいなくても構わないのだが、どんな遊びでも遊ぶ者が自分の成功ぶりを人々に向かって自慢することができる点は非常に重要なのだ"
2014-10-17 12:30:10昨日のxapaxnannan、ゴンゾ史上かつてないくらい賛否がわかれてる。体感的に真ん中がない。もちろんやった側は自身満々なわけですが。。。
2014-10-17 00:16:15維新派の終演後の舞台写真、あれだけ会場でも「撮影禁止」と言ってても撮ってツイッターにアップしちゃう人っているんだな…そいや昨日のcontact Gonzoも上演中も写真撮ってた人がいて、やっぱスポーツって基本撮影OKだから、その体にしちゃうとマナーの感覚麻痺するんかなあと思った。
2014-10-16 23:58:59ContactGonzoのザパックスナンナン私たちの未来のスポーツ。 それとにせんねんもんだいの音楽が良かった。 pic.twitter.com/YGzBmdXinu
2014-10-16 22:41:00西京極スタジアムでContactGonzoのザパックスナンナン私たちの未来のスポーツ。甘生姜汁で身体を温めながら鑑賞。ルールの分からないスポーツを見ることが今となってはあまりないけど、昔、野球やアメフト、サッカーなどを最初に見た時に、なにか儀式めいてる風に感じたのを思い出した。
2014-10-16 22:38:55@jotaroratoj @itonosuke あ、そうそう、神宮だねえ。昨晩の西京極もなかなかな風情でよかったけどねえ。コンタクトゴンゾの前振りか?前座か?借景になってた、わが母校の定期戦やってた。夜空に響く音の空間の感じは、アリな感じだった。
2014-10-16 19:06:53久しぶりにスタジアムに行くってだけでもテンション上がりましたがゴンゾの動きとにせんねんもんだいのリズムが一体化する瞬間は、サッカーでゴール決まった瞬間の感じと似てたような
2014-10-16 10:46:39ゲームの途中鬼ごっこを止めてそれまで鬼/王が倒された地点、黒い布の置いてある、を参加者で見てまわることがあった そこでも彼女は倒された者の物語をかたっていた、このcontact gonzoのパフォーマンスが歴史をなぞったものに転化できることをみせていたのだと思う
2014-10-16 09:27:02そして新たな者が帽子を取り、鬼/王となってゲームは続けられるというパフォーマンスとても面白かった フィールドいっぱい駆け回る演者たちとにせんねんもんだいの演奏が素晴らしくリンクしていたのもカッコよかった
2014-10-16 09:23:00昨晩は京都西京極競技場でcontact gonzoのパフォーマンスを観た 大雑把に言うとサッカーフィールドを使った鬼ごっこ、王冠のような帽子を持った鬼/王をみんなで追いかけるゲームだった
2014-10-16 09:22:28contact Gonzo「xapaxnannan : 私たちの未来のスポーツ」 #拝見 。この未来とはいつのことか。それは今行われるものと比べるとむしろ原始的で好奇の衝動に率直で、宗教が成立する以前の儀式的でもある。人はなぜスポーツに熱狂するのか。そして舞台芸術に熱狂するのか。
2014-10-16 07:03:09