- g_yarinage
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一日経ってみて、フランドンすごく面白かったなぁと思う。でも社会派とかテーマ性とかそういうもののバランスは、緑茶くらいがいちばん好みだったのだなぁとも思う。
2014-10-27 17:00:14食肉の話って結局「命はどうやったって失われるものなので、てきるだけ痛みを与えずできるだけ感謝をしましょう」みたいな、わりと皆が落ち着けちゃうポイントがあるから、複数の正義が生まれにくいんじゃないだろうか。だから突き詰めると説教になってしまうわけで、そこを回避しなきゃいけない。
2014-10-27 17:05:54それに対して、たとえば出生前診断みたいな題材は「赤ちゃんの障害を事前に発見して“予防”しましょう」みたいな話になると、対立しうる強度の複数の正義が産まれてくる。だから帰結は「主張を突きつける」ではなく「議論を巻き起こす」になり、しかも全部が正しいからどうしようもない気分になる。
2014-10-27 17:10:26このどうしようもない気分が、「考えさせる形作品」の成功基準のような気がしている。特定方向を向かせるものに、そのパワーの凄まじさはともかくとして、僕はあまり価値を感じていないらしいということがわかった。
2014-10-27 17:15:19ヤリナゲ「フランドン農学校の豚」再考。この間、食肉問題には一定の正解があるだなんて書いたけれど、現実はもう少し複雑かもしれない。
2014-10-30 02:03:46というのも「結局命は失われるものだからできるだけ感謝して食べましょう」という思想によって、ベジタリアンの人が肉を食べるわけじゃないし、乱獲に無自覚な人が自制するわけじゃない。むしろこの考え方は「自称考えたい人」の逃げ道であり、悩まないための落ち着きどころ以上の意味はないのかも。
2014-10-30 02:09:24それよりは「母」に注目すべきかもしれない。菜食主義のことなど最初は殆ど知らず、それでも健気に肉なしのカレーを作ろうとする母。そこには思想的な土台など何もなく、目の前の現実への対応に終始するだけ。それ故クローズアップしても地味だから、物語を尻切れトンボで終了させてしまう母の存在。
2014-10-30 02:14:58ただし、ある意味でのその不真面目さは、破綻に至ることがない。他者貢献に想定した見返りがなくても気にしない。他人のために動いて「あげてる」環境団体代表や母を介護する息子が見返りのなさに逆ギレしてしまうことと、その態度は正反対で、平和的だ。
2014-10-30 02:19:30その不真面目さは、「演ずる」ことへの態度にも繋がる。ついさっきまで絶望した豚であったはずの、息子に突き飛ばされた老婆であったはずの演者が、一瞬で身を翻し、満面の笑みで舞台挨拶を行う。その不真面目さこそが、思想議論へ固執することへの批判としても機能している。
2014-10-30 02:24:57結局のところ、正解はないし、あったとしてもそれが効果的に機能することはない。だとすれば、とある考え方に対しまた別の考え方が台頭し泥沼化していく戦いを放棄して、その都度現実に対処していくふてぶてしさ、都合のよさ、不真面目さをもつことも重要になってくる。
2014-10-30 02:28:00食肉の論争に限定して言えば、それは「肉を食べてもいい VS 肉を食べてはいけない」の全面的な戦争に手を差し伸べて、互いの疲弊を癒やすような突破口に成りうる。思想を争わせる時代をくぐり抜け、目の前の「現実」や「生活」を生きる不真面目さの視点を、僕らは持ち始めていると思う。
2014-10-30 02:33:41