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佐藤正美Tweet_20141116_30

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佐藤正美 @satou_masami

対象は与件の物ではなくて、直感によって感じられ推測された物だ。ただ、論理による吟味が不十分なだけである。したがって、直感は、証明されていない判断である。我々は見たという思い出、即ち 見た事の記憶となる知覚しか持たない。我々の抹消しえない知覚の痕跡によって我々は速断しがちである。

2014-11-21 18:13:59
佐藤正美 @satou_masami

私の見た物は決して個人的知覚が判断した物ではなくて、明確な集団的視覚の認知でなければならない。我々は、記号が現実的事態を写す その写像作用を利用してモデルを作るのである。証明を示し、そうすることでそれ自体では よく限定されていない事態に関係と意味を与えるのは論理なのである。

2014-11-21 18:30:02
佐藤正美 @satou_masami

モデルを作るには一つの前提がある。即ち 対象を(範囲の制限は課しても)変形しようとしてはいけない事だ。我々の気に入る様に対象を変形しようとすれば、たちまち対象の意味まで破壊してしまう。モデルは、結局、実例に記号的形式を与える事にすぎない。そして、論理は、実例と記号との絆である

2014-11-21 18:37:18
佐藤正美 @satou_masami

対偶(p → q に対して、¬q → ¬p という論理形式)で考える、この思考法は、ロジシャンのどうしようもない癖である。

2014-11-24 15:34:32
佐藤正美 @satou_masami

皮肉屋というものは、たいそう独断的な道徳意識を持っている。自分が語る事は正しくて、自分が拒むものは間違っている、という訳である。皮肉屋は逆説で言い表すが、たいがい、数学で云う「裏」の思考にすぎない。素直にものを見て必然的にその表現が逆説になるには「対偶」で考えているときに限る。

2014-11-24 15:39:24
佐藤正美 @satou_masami

現実的事態とモデルとのあいだにどんな法則的な関係があるというのだ。まあ、試しに眼球の解剖でもやってみたまえ。眼裡に映る像はすべての人には同じだが、それぞれの人の「解釈(印象)」は異なる。公式の様な法則なんてものは、どこにもないだろう。それはみんな我々が作った規約(約束事)だ。

2014-11-24 15:45:07
佐藤正美 @satou_masami

事業取引を記録した情報は、原則的には隠蔽・虚構・改竄のない記号証跡である。だからモデル化の対象になる。モデル化に先ず大切なのは、秩序よりも材料である。モデルでは、記号演算はただ記号として注釈を加えずに演算するのが妥当であると言われるのは、モデルが形式(秩序)の産物だからである。

2014-11-24 15:54:35
佐藤正美 @satou_masami

事業にはパターン(一定の特性)がないと私は言わぬ。ただ、まいにち、新しい性質が事業にあると云うのだ。

2014-11-24 15:57:04
佐藤正美 @satou_masami

世間の生活の規約に従い、一般の風俗習慣の中にいて、そういう機会から遠ざかっている事ーーそれがどんな功名心にも効く治療薬である。相手を(個人であれ大衆であれ)褒めたり貶したりするより寧ろそういう様な事に関与しないほうが宜しい。そこにこの世とはべつの純潔を守る事である。

2014-11-24 16:02:15
佐藤正美 @satou_masami

厭世家は喧騒な俗世間を嫌う、だが世間が自分を注目しなかったら厭世家は腹を立てるであろう。厭世家の振りをしても、体制内の反体制を隠してすねただけなんて、そんなものである。頭の中で立派な考えを抱いても、体制に先ず従う事から始めねばならない。進歩は先在する秩序を前提にしているから。

2014-11-29 13:07:03
佐藤正美 @satou_masami

Politic(expedient)という意味は、自分の便益のために犯される行為ならば、悪い行為でも許す事を云う。

2014-11-29 13:10:48
佐藤正美 @satou_masami

数学から授かったモデル論があるのに、私はそれを化粧で塗りたくって全然べつの模造品を粗製しているのではないか? 亜流は原論よりも手管の多いものだ。亜流は注目をかきたてるが、原論は見つけ出されるのをただ待っている――原論は、陳腐と見えるものの上に堂々と腰を下ろしている。

2014-11-29 13:15:32
佐藤正美 @satou_masami

正しい理論でも、やがて飽きが来る。正しい論理規則には決して飽きが来ない。

2014-11-29 13:16:56
佐藤正美 @satou_masami

モデル論の最上の装身具は、形式の見事さである。「論理」は、単に現実の事態を写す技術であるばかりでなく、形式の規則をその現実の事態に見通す技術でもある。余りにも知られすぎた日頃の観念が既に失ってしまった力を再び与える形式である。この点から考えると、「論理」は思考の斉整剤である。

2014-11-29 13:22:16