色川武大の全集及び単行本未収録短編をネット古書店で発見。丹羽文雄主宰の同人誌「文学者」1971年2月号掲載の『蛇』。年譜等でもまったく触れられていない。他の作品やエッセイでも度々登場する、小学校の入学試験のボール運び競走での失敗をモチーフにした作品。
2010-02-28 16:32:02中公新人賞受賞後の『水』『蒼』等と同じく、色川作品としては習作レベル。末尾に「未完」と付記されている。ただ、かなり本質的で興味深い自己言及も。
2010-02-28 16:37:22「むろん、生きている以上、一刻一刻変化しないではいられない。小さな変化もあるし大きな変化もある。牡蠣が貝殻に吸いつくように、私はいつも、今得たばかりの現在地点に執着し、なんとかそこを離れまいとしながら結局引き剥がされ押し出されてしまう。」
2010-02-28 16:43:22「私はずっとそういう生き方をしてきた。怠け者にはちがいないが、けれどもある意味では此の世の定則と、絶えず無益な戦争を繰り返していたようなものだ。新らしい衣服を着せられまいとして、母親の顔を爪で裂いたことがある。」色川武大『蛇』
2010-02-28 16:46:38「入浴も、散髪も、洗顔も、大事件であった。飯を喰うことも嫌いだった。そうしていつも敗れてそれ等のことを実行するはめになり、意に反しながら育ってきたのだった。」色川武大『蛇』
2010-02-28 16:49:09後半は、色川武大というより色川家の人々独特の、嫌なことにはテコでも動かない異様なしぶとさが伺えて、支配的な空気が変化すればおずおずと、しかし敏感に合わせていく日本人一般とイコールでは結べない。ただ、全体としては『引越貧乏』『私の旧約聖書』で「農耕民型」と表現した自己言及に重なる。
2010-02-28 16:57:10こうした「受け身」で「大人しい」パーソナリティーは、近代以降においてはマイナスの評価を受ける。例えば「ノスタルジー」という言葉に、負のニュアンスが付与されがちなのと同じように。流動的な現実に対応して状況を切り開かなければならない時、そうした価値観が称揚されること自体は仕方が無いが
2010-02-28 17:01:28ただ、内心を記す活字、文学の世界でも、それが模範解答のようになって、誰もがそうであるこのように振舞うことに、息苦しさを感じる。僕ら自身は、そして家族や隣人は、本当にそう生きているか。半分は懸命に近代人として振舞いながら、あと半分は、そうした受動性を引きずってるはずじゃないか。
2010-02-28 17:04:43@hisamichi 『蛇』ページ数で5ページ、10枚前後の短編です。その後の幻と現実が混濁していくようなテイストはなくて、楷書体の習作という感じ。ただ、その後「ゼッペキ頭」の一言に収斂させる自身の執着の大元の部分を、まだ割と生真面目に語っていて、色川読者としては興味深かったです
2010-03-01 10:28:29