POC第21回公演~南聡「ピアノソナタ」全曲 2015年2月22日(日)
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大井浩明「南聡ピアノソナタ全曲演奏公演」を聴く。 南聡のピアノ作品は初体験。 どの作品にも共通しているのは、西洋伝統音楽からの引用と変奏、数理的な連結。鋭角的で形式感がはっきりと感じられ耳に入り易い。どの曲も面白かった。 pic.twitter.com/ImM2tbd581
2015-02-22 20:19:12南聡作品が総じて面白いのは、「面白くなるための仕掛け」を曲ごとに考えているから。一見当たり前に見えるが、実はこれができている作曲家は少なくとも現代音楽では稀。「何か仕掛けがあれば中身は何でも面白い」という奇妙な信仰が蔓延している。
2015-02-23 02:14:50大井POC 南聡ピアノソナタ全曲。 曲が大井さんのピアニズムとよく合ってて、お手の物って印象やね。第五番が他の曲と比べて内容が異質だったかと思うけど、二楽章の抒情的なとことか、こういうのも素敵に聞かせますな。
2015-02-22 20:53:05POC南聡特集だん.時間自体は大井にしては短かったが負荷の大きさ的にはやはり特盛りくらいではあったと推察.引用を基本的素材として構成されているという南作品ではあるが、素材のコラージュ具合は脈絡の断絶で分からなくもないがやはりもう何度か聴いたり調べたりしないと把握し辛い.
2015-02-22 21:00:40穿った過去形式の参照は文脈に敏感に聴かないと明瞭に理解できず本日は専ら微視的な面白さを楽しんだという感じ.野々村氏の原稿ではカーゲルとの繋がりを強調していた気がするが、歴史に対する反道徳的な態度の継承としてではなく純粋に美学的な影響圏という意味で独自語法に至っているのは興味深い.
2015-02-22 21:06:14京都のブーレーズピアノ全曲にも、東京の南聡ピアノソナタ全曲にも行けず、自分のいろいろな不甲斐なさを身に沁みつつ、ウォークマンでフォレのチェロソナタ2番を聴く仕事帰りかな。
2015-02-22 22:32:27南聡さん、初めて知って曲の解説だけ読んだけどとても聴きたいな ジグザグバッハとかめちゃおもしろそう コンサート行きたかったなー
2015-02-23 01:21:36POC終了後帰宅して腰が滅茶苦茶痛くて横になってそのままトロトロと寝てしまって今に至る。批評書きましょう。
2015-02-23 05:51:18大井浩明POC#21南聡個展の批評を書きました。今回は真っ正直に「俺にはわからんかった」ということを書いてます。こういう批評も存在しなければ批評というものは意味がないのであります、多分。 d.hatena.ne.jp/MOGURAmaru/201…
2015-02-23 07:18:42「もぐらだってそらをとぶ」
齋藤俊夫さん(音楽学者)のブログ
http://d.hatena.ne.jp/MOGURAmaru/20150223
今回の演奏会は筆者を少なからず戸惑わせた。「すごい、たしかにすごいんだが、今の俺にはこの曲のすごさが素通りしていくのをせき止めることができない」と。技術的にも、またその技術を裏付ける音楽的発想においてもすごいのはわかるのである。だが、それが耳(感性)を経て脳(悟性)に達し精神(理性)に至ったとき、筆者には「すごいが曲の味がわからない」という事態に陥ったのである。ものすごい速度で御馳走が運ばれて、食べ終わらないうちに次の皿が来てしまって何を食べているのかわからない、とでも喩えられようか。しかし、筆者も愛好するシュトックハウゼンのクラヴィアシュトゥッケシリーズなどは何がなんだかわからないまま楽しんでいるわけであり、そこには何らかの音楽的理由があるに違いない。
おそらく――あくまで「おそらく」であるが――それは南の音楽的「性格」と大井の音楽的「性格」と筆者の音楽的「性格」がどれも一致しなかった、ということに起因するのではないか。南の音楽はジグソーパズルのようにバラバラとなった様々な音楽的性格の断片が再構築される中で変形されていくというものであり、そこにおいて南の「音楽的性格」は筆者には非常に「人間的性格あるいは感情」を思わせるものとして捉えられた。だが、大井にとって南の音楽は感情を排した機械的超絶技巧の彼方に位置するものであり、そこでは「人間的性格あるいは感情」といったものは積極的に排除されていく。筆者にとっては「すごい音楽だが顔がないなあ」というものだが、大井にとっては「顔など無用」といった風にすれ違ってしまったのではないか、そう思えるのである。
しかし、「すごいがわからない」だけで批評を終わりにしたくないのであと少し筆を加えるが、南の音楽の「すごさ」というのはセリエルの堅固さとも調性の堅固さとも全く違う世界で多重に変形した音楽が堅固な作品をなしていることであり、その作品世界の核となるものが今回わからなかったのは筆者としては譲れないところである。完璧に譜面通りに弾く(それはそれですごいことであるが)、その向こうに存するであろう音楽世界の把握においてやはり大井と筆者で齟齬があったことは間違いない。つまり、「南聡とは誰だ?」という問いかけに対する根本的な齟齬があったのではないか。
今回の演奏会においても非常に「大井らしい大井っぷり」を遺憾なく発揮していた大井であるが、それが南聡と出会ったとき、筆者には南の顔が失せてしまったように感じられた。あるいは今回のアプローチこそが至高と捉える人も少なからずいるのだろうが(できるならばそういう方にも批評を書いてもらいたいものだが)、筆者としてはやはりどうしても「何かが違う」と感じられた事実を譲ることはできないのである。
南聡といえば、このamazonの商品説明欄に、私が音楽現代に寄稿した批評が全文転載されているんだよな。全文転載は「カットするところがなかった」、と好意的に受け止めてはいるが。 amazon.co.jp/dp/B00DJAOHWK
2015-02-23 10:47:05なるほど音現の批評枠は全文転載できる長さに合わせていたのか QT @jishizuka: 南聡といえば…私が音楽現代に寄稿した批評が全文転載されているんだよな。全文転載は「カットするところがなかった」、と好意的に受け止めてはいるが。 amazon.co.jp/dp/B00DJAOHWK
2015-02-23 12:37:36南聡ピアノソナタ全曲演奏会って2年前もなかったっけ…と検索してみたら、その演奏会はソナタ1曲+ピアノ小品集に曲目変更されていた。無理もない。
2015-02-24 00:15:47随分前に買ったけど聴いてなかった南聡を入れると iPhone の中が趣き深くなった pic.twitter.com/1vaTcTybBq
2015-02-23 12:25:21昨日は、大井浩明さんのピアノで南聡さんピアノ・ソナタ全曲。超絶に演奏が難しいため、今後もまとめて聴く機会はそうそうないだろう。貴重な機会。一作一作意外な仕掛けが張り巡らされていて、聴き手をとらえて離さない(とても一度ではすべて解明できないけど)。パッチワーク技法による脱臼も素敵。
2015-02-23 20:01:52西村「仕掛けを思いつかないとやっぱり作曲にならない?」 南 「そうかもしれないです。楽しめないかもしれないですね」 西村「楽しめない。なるほどね。だから要するに感情の趣くまま とかじゃない、ってことですね」 南 「そうですね」 2007年12月16日 NHKFM 現代の音楽
2015-02-23 20:08:12[組み立ての方法] x:直接的=動的=変容 [たえまなく組み合わせていく] y:間接的=静的=パッチワーク技法 [組み立てたものを分断して張り付ける](動的運動を静的秩序の中で観賞する) ※パッチワーク技法を好んで使う傾向 (南聡さんの「音楽の作り方」 講義メモより)
2015-02-23 20:12:39南聡さんのパッチワーク技法、ときに抒情的素材も異物として混入される。聴き手はそこにいい意味での違和感を持つ。大井さんは「抒情たっぷりに演奏せずとも十分に異物」という解釈。南さんの音楽語法に少し慣れていると、そこにもまたいい違和感。(何の情報も持たずに聴いた時にはどう感じるだろう)
2015-02-24 01:48:30