2015/3/7講義「駆逐艦について」
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駆逐艦についての知識は ・小さい ・装甲柔い ・夜戦じゃないと火力が足りない ・燃費がいい くらいしかない、という人も多いだろう。実はこの頃の駆逐艦というのは厳密に言うと”軍艦”ではなく、”補助艦艇”と呼ばれる分類に当たる。
2015-03-07 17:13:39この頃の分類では”巡洋艦以上”が軍艦として分類され、艦首に天皇陛下の所有物という証の「菊花紋」を付けることが許されていた。この写真は軽空母 龍驤の艦首だな。 pic.twitter.com/s0lYs7zrgx
2015-03-07 17:19:59巡洋艦以上の艦に配属されるのは士官学校で高級士官へのエリートコースに乗った者たちだけで、駆逐艦、及び潜水艦に配属された者を”消耗品”と見下す事も有ったらしい。 だがその結束力と反骨心で手柄を立てようという士気の高さもあいまってとても”消耗品”と呼べないほど強かった。
2015-03-07 17:23:38この頃の駆逐艦に求められていた性能は、主に外洋航行が可能なこと、迅速に展開できる速力、他国の駆逐艦を越える砲雷能力、大量生産に向くことの4点だったと言われる。 その為に駆逐艦には装甲は一切貼られていない。史実では戦闘機の機銃で沈んだ艦もあるくらいだ。
2015-03-07 17:27:02そして他国の駆逐艦よりも優れた砲雷能力を得ようと、かなりの艦が単装砲より強力な連装砲を装備し、魚雷を装備しない艦は無かった。 お陰で色々と弊害は有ったのだが…その代わりに対艦戦闘への優位性を得ていたんだな。
2015-03-07 17:32:24さっき質問が有ったが、実は世界的に見ても駆逐艦に重武装させる国は日本だけだった。 なぜなら駆逐艦はあくまで消耗品であり、戦艦vs戦艦の艦隊決戦を有利にする為の露払いという扱いだったから、沈没してもいい、というのが当時の常識だったんだ。
2015-03-07 17:36:25だが逆に日本は工業力や資源に乏しく、少しでも駆逐艦を強くして”数より質”で対抗しようと考えていたんだな。 この考え方のお陰で、特に夕立などに挙げられる駆逐艦は連合軍の駆逐艦や巡洋艦に猛威を奮った。 夜戦の強さは世界でもトップクラスと言われたくらいだ。
2015-03-07 17:39:28ちなみに大体の駆逐艦が装備している「12.7cm連装砲」というのは当時の戦車と比べれば大火力だったりする。 当時の戦車の主力は8cm前後だったからな。ミリに直すと127ミリ、技術的に違いはあれど、現代の戦車砲よりデカい。 なので陸軍の援護の為に地上砲撃もやったことがある。
2015-03-07 17:43:50話がさらに逸れるが、この水上艦艇からの地上への攻撃というのは、実は日本が初めてやったことなんだ。 それから世界に広まり陸海空が相互に支援しあう戦術が研究され一般化したんだな。 つまり日本は戦術面でも先進的だった、ということだ。
2015-03-07 17:46:07駆逐艦はその快速性と燃費の良さからしばしば輸送任務にも従事した。これは所有する輸送艦が、戦線の拡大に伴って足りなくなっていた、ということでもあった。 甲板いっぱいに陸軍の兵や装備を載せて輸送艦と共に行動するというのは、効率的に見えてかなり危険な行為だったがな。
2015-03-07 17:53:24何せ輸送艦は頑張っても15knそこそこ、装備や戦車を載せたりしていればさらに遅くなる。 敵に見つかれば格好の的、というわけだし、同じように陸軍の兵や装備を載せた駆逐艦は満足な速度を出せない。 航空機の援護が無ければ裸も同然だったんだな。
2015-03-07 17:56:05戦争末期には駆逐艦自体の数も足らなくなり、大量生産の為に装備や船の形状を妥協した「松型」が建造されるようになる。彼女達は満足のいく訓練もできないまま、敵に支配されている戦場へと送られた。 後が無いからこその奮起か、大和魂か。終戦まで戦い抜いた艦も少なくない。
2015-03-07 18:00:48戦艦や空母の派手な火力に影が薄くなりがちだが、駆逐艦は最も戦闘を経験し、戦果を挙げていたとも言える。 他にもまだまだ講義したい内容があるが今回はここまで。 …どうだろう、この講義で駆逐艦に対する見方が少しでも変わっていたらいいが。
2015-03-07 18:05:03