おいかけっこ

おぼえがきですよ。
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齋藤虎之介 @tora404

朔の夜、夜を持って帰ろうと空き缶を持って何もない草原を歩いた。空き缶の中に夜を入れることができるのか分からないけれど…。 しかし、周りは完全に闇、夜に満たされている。唯一光といえば空に瞬く星だけで、他に足元を照らしてくれる様な明るさの光はなにもない。

2015-03-13 15:16:23
齋藤虎之介 @tora404

手を前に突っ張り、降り積もった闇夜を払いのけるようにして歩いた。ふと、気づく。前方に一定の距離を保って在る気配。 最初は闇夜の気配だと思っていたけれど、違う。 それは壁だった。前方に突っ張った両手に絶妙に届かない距離を保ちながら前方に逃げていく巨大な壁。 その壁は昼間にも現れる。

2015-03-13 15:16:34
齋藤虎之介 @tora404

目を瞑って歩いてみたら分かると思う。例えば昼間、何もない広大な広場にですらそれはあらわれる。 確実に実体はないのに目を瞑って一歩足を踏み出した瞬間、圧倒的存在感で前方に立ち塞がるのだ。 恐らく本当の壁の前に立って目を瞑っても壁の気配なんて感じられないのではないだろうか。

2015-03-13 15:16:43
齋藤虎之介 @tora404

闇の中だけにあらわれる壁。 絶対に触れることはないとわかっていても絶大な不安感を与えてくれる。ぶつかるかもしれない、つまづくかもしれないという心理的ストレスだけを与え続け、逃げ水のように逃げていく壁。 それを感じながら何もない広い広い草原を恐る恐る歩いた。

2015-03-13 15:16:52
齋藤虎之介 @tora404

時間が経つにつれて闇夜に目が慣れてくる。消え入りそうな光で瞬く星明かりだけで周りが何となく見えてくる。と同時に先程まで一定の距離を保って前方に逃げていた壁の気配もすっと消えなくなった。 目が慣れて見えると言っても地面に生えているであろう草や花小さなテントウ虫が見えるわけではない。

2015-03-13 15:17:02
齋藤虎之介 @tora404

草原は穴が空いているように真っ黒で、それよりも少し明るい黒い空に星が見える、その程度だ。半月いや三日月でも十分に草の輪郭くらいは確認できたかもしれない。 地面の凹凸を避けるには不十分だけれど、気配だけ感じる見えない壁を消すには充分だった。 しばらく歩くと前方に黒い壁があらわれた。

2015-03-13 15:17:10
齋藤虎之介 @tora404

暗闇の中にだけある壁ではなく本当の壁だ。それは小高い丘だった。 丘辺に横たわっていた朽ち果てそうな大木に腰を下ろして少しの間休むことにした。 しかし、どうやって夜を持って帰ろうか?空き缶の中は取り敢えず夜が入ってるようだけれどこれで本当に捕まえたといえるんだろうか?

2015-03-13 15:17:20
齋藤虎之介 @tora404

空き缶を振ってみるけれど当然なにも聞こえない。特に重くなったわけでもない。蓋を開けてみても何かが見えるわけでもなく、鼻を近づけると元々入っていたミカンの匂いが薄っすらとした。 腰を下ろしたせいでホッとしたのか、今まで聞こえなかった音が驚くほどよく聞こえてきた。

2015-03-13 15:17:29
齋藤虎之介 @tora404

虫の声、風で揺れてカサカサとぶつかり合う草の音、遠くからはフクロウの声。 目を凝らすように耳を澄まして色々な音を聞いた。もっと集中しようと目を閉じてみた。その瞬間また闇に覆われてしまった。先程まで微かに見えていた草原も丘も、そして針のように鋭く瞬く星たちも見えなくなってしまった。

2015-03-13 15:17:40
齋藤虎之介 @tora404

昼間であれば目を閉じても薄い瞼を通り抜け光を感じることができる。しかし、今は星の僅かな光しかない闇夜。瞼を通り抜けるだけの力強い光はない。そして何よりこの闇には目が慣れることはない。夜が続く限り続く本当の闇。目を閉じ集中して周りの音を楽しもうとしたが、その暗い闇に没頭していった。

2015-03-13 15:17:48
齋藤虎之介 @tora404

目に見えているのは瞼の裏だろうか?それともここには無いはずの何処までも続く闇の世界なんだろうか?目の前にあるこの世界は何なんだろうか?もし、もし目が慣れたらこの世界には何が見えるんだろうか? あれ?もしかしてこのまま目を瞑って家に帰ったら夜を持ち帰る事が出来るんじゃないだろうか?

2015-03-13 15:17:57
齋藤虎之介 @tora404

空き缶を大木の上に置き、目を瞑ったまま立ち上がり一歩、また一歩と歩いてみた。再び触ることができない壁の気配が戻ってきた。 恐る恐る歩を進めると徐々に地面が登っていくのがわかった。 先程見た黒い壁。丘にまで差し掛かったのだ。 ゆっくりと目を瞑ったままどんどん急になっていく丘を登る。

2015-03-13 15:18:06
齋藤虎之介 @tora404

遂には両手を地面に付かないと転げ落ちてしまいそうになるほど急になった。目の前には相変わらず触れることのできない壁。 それに加えて草原の草むらに付いた手に何か触れそうな嫌な感覚。 足が何本も生え、硬質な体、何かヌメヌメした液体を纏った生き物が手に触れるのではないかという不安。

2015-03-13 15:18:20
齋藤虎之介 @tora404

不安な気配は更なる不安を呼ぶ。何かが後ろから付いて来ているのではないか?何かが襲ってくるのではないか? 暗闇の気配の中には暖かい気配、安心する気配というポジティブなものは微塵もない。 すべてがネガティブで不安と恐怖を煽り立て蓄積させていくのだ。

2015-03-13 15:18:27
齋藤虎之介 @tora404

そんな不安を置き去りにしようと必死になって丘を登る。 手は恐らく泥だらけだろう。鋭い痛みがあるので、もしかしたら鋭利なナイフのような草で皮膚が切れているかもしれない。衣服が汗や夜露で濡れてしまっている。 全てが不快で不安で、しかし必至に丘を登ってもそれらは振り切ることができない。

2015-03-13 15:18:38
齋藤虎之介 @tora404

それどころか決して触れることのない距離で空気を入れ続けられる風船のように巨大になっていった。それでも夜を逃さない様にギュッと瞼を閉じる。 もう破裂する!と思った瞬間に両手が空を切り、瞼の裏の闇の世界は真っ白な世界になった。 ゆっくりと目を開けてもその世界はしばらく続いた。

2015-03-13 15:18:48
齋藤虎之介 @tora404

徐々に目が慣れてくるに従って世界が見え始める。 連なる丘の稜線から太陽が顔を出し、闇と不安をかき消していった。 朝露にキラキラ光る草木。色づき始めたオレンジ色の空。消え入りそうな星と夜。 眼の奥に隠した夜は霧散した。 ベッドにシーツを掛けるように朝が広がった。

2015-03-13 15:18:55