参考資料 「戦史叢書 南東方面海軍作戦<2> ガ島撤収まで」(防衛庁防衛研修所戦史室) 「昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)」(アジア歴史資料センター) #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 12:54:33「昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(1)」(アジア歴史資料センター) 「昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(2)」(アジア歴史資料センター) #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 12:54:51「昭和17年9月1日~昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(4)」(アジア歴史資料センター) 「高松宮日記 第五巻」(高松宮宣仁親王/中央公論社) #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 12:55:23「歴史群像 2015年2月号」収録「◎インタビュー 駆逐艦『叢雲』水雷科員 石川玉吉」 「丸別冊 ソロモンの死闘 ガダルカナルをめぐる海空戦記」(潮書房) #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 12:55:43補足的に:今回引用した石川玉吉さんの他に、「艦長たちの太平洋戦争(佐藤和正)」に載っている本多敏治さん(叢雲水雷長)、「海軍の男たち(手塚正己)」に載っている今井梅一さん(砲術長)のお二方も関連するお話を残されていますが、やはり色々と食い違いがあります #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 13:00:53しかしこの三つの証言に共通していることが少なくとも一つあります。 この時の叢雲艦長・東日出夫という人についてです #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 13:06:10「艦長は東日出夫という人で立派な人でした。我々はこの人だから助かったと思いますが、この艦長が艦に残ると言い出した」「艦長はどうしても残ると言ってましたが、駆逐隊司令の撤退しろという命令を聞き、やっと我々と『白雪』に移乗したんです」(石川) #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 13:08:00「艦長の東日出夫少佐が、この艦を最後まで見とどけるからと言って、残られたので、それじゃ、水雷長の私もと、二人だけ残ったんですよ」 「東艦長が、ガンとして『叢雲』から動かんのです。杉野司令と二人で押し問答がつづきましてね。(続→) #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 13:10:53(→続) 司令は、『お前が動かんのならオレも動かん、そのうち敵機がきて、共倒れになるかもしれんがしようがない』と言ったら、とうとう艦長も折れましてね」(本多) #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 13:11:12「東艦長は『俺はこの艦と一緒に沈む』と言い張って、頑として説得に応じない。ついに業を煮やした佐藤は、『おい東、お前沈んだらいいや。そしたら、俺も一緒に沈むから』と迫った。こうまで言われては、さすがの東も意地を通せなくなった。(続→) #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 13:18:09(→続) 『よし、それじゃ条件がある。俺の艦はまだ沈んじゃいない。プロペラが損失しているだけだ。だから一旦は『白雲』に移るが、『叢雲』を引っ張って帰る方法を考えてくれ』と、佐藤に約束を取りつけた」(続→) #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 13:18:51(→続) 「しかし『叢雲』は爆発炎上中で、手の施しようがない状況に陥っていた。結局、杉野修一司令の判断で、『叢雲』は『白雲』の魚雷で処分された」(今井) #叢雲と古鷹救援 *1 杉野修一 第11駆逐隊司令 *2 佐藤(重吉) 白雲艦長。「白雲」説に則った内容のためと推測
2015-04-10 13:20:49「海軍の男たち」には、叢雲の雷撃処分後、東艦長が杉野司令から「東、すまんかった」と謝られたという記述もあります。 夜が明けると攻撃を受ける懸念を押しのけてまで捜索を続けたのは、司令の強い想いがさせたことだった、とのことだそうです #叢雲と古鷹救援
2015-04-10 13:29:29@kurosawaP Nami2000です。Story Editorも昔は別のことに使ってたんですけど、一度なぜかデータがなくなって、自分の不注意だったのかもしれませんが、別のに変えました
2015-04-10 13:43:19後日追記
「わが青春と海軍(藤原盛宏)」が届きました。著者は太平洋戦争中、第11駆逐隊の庶務主任等を歴任された方 pic.twitter.com/WtjhdOHXex
2015-04-17 16:21:49『私の乗艦は十一駆逐隊司令杉野大佐の乗艦「白雪」で「千歳」「日進」の直衛駆逐艦6隻に編入されて10月11日午前ショートランド泊地を抜錨した。十一駆逐隊の僚艦「初雪」「吹雪」の二艦は(中略)第六戦隊「青葉」「古鷹」「衣笠」の直衛に廻されていた』
2015-04-17 16:24:18