或るおっさんのゲーセン暦【第一部 ちびっこ編】
- jackknifelovers
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さて、ゲーセン絡みで最近知り合った方も増えてきたので、ここらで自己紹介も兼ねてアケ暦を振り返ってみようかなと思う。 「ハンターおじさんのむかしばなし」リスペクトな感じで。まあ要はパク(r
2015-05-14 12:46:54最も古い記憶は恐らく1989年頃(小1)。地元弘前のさくらまつりでやったダブルドラゴン。 当時やってたマリオ3とかとは比べ物にならない程の濃ゆさとバイオレンスに衝撃を受け、アケゲーのヤバさを幼心に刻む。
2015-05-14 13:12:3490年。月イチ行ってた母方実家から徒歩3分の駄菓子屋ゲーセンにて、ファイナルファイトと遭遇。 小遣いもらって朝8時開店ダッシュが鉄板の流れに。 しかし毎回ソドムが倒せず悔し泣き。(ちなみに2年後に全クリ) pic.twitter.com/x2iGIivWHN
2015-05-14 13:13:4691年、スト2登場。まわりのゲーム好き達が競ってやり始める。 しかし小学校はゲーセン禁止なので、みんな親同伴でのデパゲセ(駅前のヨーカドー)あたりでやってた。
2015-05-14 13:18:19対人戦は92年、家庭用が出てから少しずつ流行り始める。 そんな中、駄菓子屋通いのアドバンテージから、いち早くめくりや当て投げ・大中サマー等をマスターした俺。 その4年生らしからぬ冷徹な殺しプレイに多くの友人たちがマジ切れ。 禁止事項を策定したハウスルールが急速に普及する。
2015-05-14 13:21:24この頃から各地にMVS筐体が出回り始めていったと記憶。 よくわかんねー微妙なゲームの中、輝いて見えたのはワールドヒーローズ。デスマッチが斬新過ぎて感動。 ジャンヌの下小連打で敵を壁にブッ刺してよく遊んでいた。
2015-05-14 13:24:12当時ゲセではストⅡダッシュが全盛。駄菓子屋の壁にも「じゅんばんに一人一日四回まで」の張り紙。 ヨーカドーの地下では、誇張ナシでモニタ半分埋まるくらい置きコインがされていた。
2015-05-14 13:27:25対戦台が置かれ始めたのもこの頃かな? しかし50円が一瞬で消える外での対戦にはまだ怖くて踏み出せず、基本CPU戦中心で過ごしていた。 ダッシュの台がなかなか空かないため、誰も並んでないNEOGEOのプレイ比重がだんだん上がる。
2015-05-14 13:32:08ちょうど家近所のビデオレンタル屋にMVSが大量に設置され、餓狼などタイトルも充実してきた事もプラスだった。 もちろん立ち入りは禁止だったがその環境で行かないはずもなく、何度もPTA連中に見つかって親とかに叱られまくった。
2015-05-14 13:38:00家庭用ソフトは年イチぐらいしか入手できないうえROMも高騰してきた時代、低コストで新作がやれるアケゲーはこの上なく魅力的だった。 そんな具合に小学校時代を過ごし、95年、中学校進学。 チャリ通になった事もあり、ここから行動範囲が格段に拡がっていく。
2015-05-14 13:45:13