- syun_chica
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洋画家長谷部とヌードモデル青江くん
人物をジロジロと観察するのは好みでない。青江は言う。 「いいんだ、人として見なくても。僕をモノとして見てくれ。君から見た僕がどんなものか見てみたいだけなんだ」 奇特なやつだと思ったが、たまには人物もよいかも知れない。破格の値でモデルになると言うので、俺は彼を使うことを約束した
2015-06-15 23:10:03実際青江は美しい。男なのに緑の黒髪を持ち、肌は白すぎる上にきめ細かく、たまに見える黒子にドキリとさせられる。表情を持たず窓辺の緑を見つめているとまるで何かの精霊のようだった。青江を表す線を白い紙に黒く描きつけてゆく。まるで青江の輪郭をなぞるように。甘美に。性交的な時間だった。
2015-06-15 23:20:30その日クロッキーした自分自身を見て、青江は微笑んだ。「素敵だ」他になにか言葉を飲みこんだ様子だったが、俺は問わなかった。別段興味もない。 「構想を練るから、また連絡する」 「写真撮ってもいいかい?」 「ちょっと、それは」 「そうかい。無粋だったね、すまない」
2015-06-15 23:49:46なら目に焼き付けないと。そう言って青江はしばらく俺のクロッキーを見つめていた。先ほどの人外のような雰囲気はどこかに潜み、普通の男然とした青江を俺は不思議だと思った。当たり前だが彼は人なのだ。しかし、先ほどはーーほとんど、いや、完全にモノだと。そう俺は錯覚していたからだ。
2015-06-15 23:49:58青江くんが飲みこんだ言葉は「えっちだねぇ長谷部くんは。僕のことが欲しいみたいだ」だったけど、会って二度目の恋した人に言えるわけもなく、好きな人の描いたえっろい自分の姿をすごい見つめて真顔でオナニーしてただけです。ぅゎ ぁぉぇ ぇろぃ
2015-06-15 23:55:50「俺以外のモデルにならないでくれ。気が狂いそうだ」「では、僕にどう生きろと言うのだい?」 石切大先生の青江くんをみて気が狂いそうだけど、貧乏な洋画家の長谷部くんは青江くんを囲えるほどお金持ってない…ぅゎっらぃ…尊…
2015-06-16 00:04:18長谷部くんは画家をやめるという選択肢を持ち合わせてない。青江くんもヌードモデルをやめるなんて考えない。どちらも行き止まりがあると知っているのに、二人は「いま辞める」という選択をしない、できない。結局、かなわないから居ても辛い。二人はわかれる。最期の日がくる。
2015-06-16 00:07:40最期の日の青江くんは弱々しくて壊れそうで、長谷部くんも上手く線をなぞれない。必死に青江くんを描こうとするのに涙ばかりが流れて、手が震えて、でも描く音しか出さない。青江くんも目から透明な涙を溢れるように流すだけ。言葉を交わさずに最期まで二人は画家とモデルで、一度もキスせずに終わる。
2015-06-16 00:11:35長谷部くんは、有名人として美術史に名前は残らない。数点の作品が後世に残る。知る人ぞ知る洋画家として後の世も存在する。彼は生涯、貧しくても死ぬまでモノに油を塗り続けた。
2015-06-16 00:15:00しかし、ある時期、一人のモデルを描いていた時期の作品が最も評価が高い。石切画伯の愛人・モデルとしても有名な青江の肖像だ。長谷部の青江の肖像シリーズには、逸話も残らない神秘が秘められている。
2015-06-16 00:15:46ありがとうって言葉はね、私に「生きている価値があるんだよ」「君は生きててよかったんだよ」って教えてくれる言葉だったんだね ってある日突然思いついて、大事にして生きてる。ありがとうを集めたい。
2015-06-16 01:43:11あと、さっきの洋画家長谷部くんがなぜ油絵を描いてたかというと。 「名前が残るということは、思想が消えないということで、名前を残すことによって私の半分はずっと生きるのではないだろうか」 っていう生きるという欲が強い人だった。から、名前は細々と残って彼は生きている。
2015-06-16 01:48:47名前を残したいって本能なんじゃないかなってよく思う。名前と思想は心の一部で、だからその二つが残れば誰かの頭の中に知識として歴史として、自分が存在する。人の心が存在するということは生きているということではないのだろうか。実は人間は思想の面で不老不死なのではないだろうか。
2015-06-16 01:51:44また崇高な芸術や、選ばれた人びとの高尚な知恵は、いつでもどこでも、奈落の上に在ることを認識した微笑みであり、苦しみに対する肯定であり、対立するものの永遠の死闘のさなかからのかりそめの調和なのである。 ヘッセ尊い。青江くんに読ませよう。
2015-06-16 01:58:49