ベルカンプが来た時: 元ガナーズ A.クラークによる回想記

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mygunner @mygunner98

ベルカンプが来て以来アーセナルの練習場では突然拍手が沸き起こることが増えた。トップコーナーに飛ぶシュートやDFがバカに見えるボールタッチ、誰にも予想がつかないパス。拍手はベルカンプに向けられたものばかりだった。(FourFourTwo)

2015-06-20 08:19:19
mygunner @mygunner98

ベルカンプほど技術力のある選手は見たことがなかった。よく「デニスみたいにはなれない」と思ったものだ。それは意欲を失ったということではなく、ただとにかくいつか土曜日に彼と一緒にプレーできたらという淡い期待に興奮していた。(A.クラーク/FourFourTwo)

2015-06-20 08:22:54
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グラハムの解任で失ったクラブの焦点もリオクが就任したことで引き締まったが、ベルカンプとプラットの獲得こそ力強いメッセージそのものだった。クラブのボードがレベルを上げたことをチームに宣言したのだ。その流れに乗りたかったら奮い立たないといけなかった。(FourFourTwo)

2015-06-20 08:23:07
mygunner @mygunner98

個人的にもこれにはやる気が出た。TVで見た2人のW杯のスターと一緒に練習できるのはクラクラするような経験で、監督と同じくらい、ベルカンプやプラットに自分を印象付けようと思ったくらいだった。そう思っていたのは自分だけではないと思う。(A.クラーク/FourFourTwo)

2015-06-20 08:23:33
mygunner @mygunner98

デニスは初めはショックだっただろう。練習方法は旧式だった。栄養管理もなく練習時に選手が酒の臭いをさせていてもOKだった。ピッチで結果を出し続けていれば悪行も許されたのだから。だがこれらは翌年ヴェンゲルが就任して一掃されることになる。(A.クラーク/FourFourTwo)

2015-06-20 08:30:07
mygunner @mygunner98

デニスはサッカーには厳しかったがピッチ外ではいたずら好きなのんびりした人物だった。彼のユーモアはカラッとしていた。気持ちのよい人で若い人もシニアも分け隔てなく接した。サッカー選手にはエゴがあるものだが彼との会話でそれを感じることがない。(A.クラーク/FourFourTwo)

2015-06-20 08:30:52
mygunner @mygunner98

96年の春にデニスは選手宛の招待状を抱えて練習に来た。当時自分は主力から外れていてリザーブでプレーする日々で忘れられていると感じていたが、デニスは自分の名前の書かれたカードをくれた。オランダでの彼の娘さんの命名式の招待だった。(A.クラーク/fourfourtwo)

2015-06-20 08:31:17
mygunner @mygunner98

自分はトップチームで9試合しか出ていなかったし、そのうちの数試合は彼は怪我で一緒に出てはいなかった。それでもこのスーパースターは自分を友人仲間に入れてくれている。その時は抑えていたけれど心の中ではものすごく嬉しかった。(A.クラーク/FourFourTwo)

2015-06-20 08:31:59
mygunner @mygunner98

ウィンガーとしてデニスとプレーできるのは夢のようだった。ボールが欲しい時にはどこでももらえた。決して優しいパスではなかったが視野と散らしはこれ以上正確で考え抜かれたものはないというほどだった。彼は周りの選手全員の良さを引き出すことができた。(A.クラーク/FourFourTwo)

2015-06-20 08:32:46
mygunner @mygunner98

自分は選手としては大成しなかったが偉大な選手達と共にプレーできたことを誇りに思う。ベッカム、G.ネビル、キャンベル、シーマン、アダムス、ライト...彼らと一度は控え室を共にした。しかし誰が一番かと聞かれたらベルカンプ以外にいない。彼は別次元にいた。(FourFourTwo)

2015-06-20 08:33:02