古代ギリシャでは斧や剣などの刃物が事故で人を傷つけた場合、斧そのものが「罰を受けるべき」として破壊された。中世ヨーロッパでは、人を傷つけた動物が裁判にかけられるという事が一般的に行われていた(スティーブン・ピンカー「人間の本性を考える」、池上俊一「動物裁判」)。
2015-06-02 20:17:17「歴史に学べ」というなら、こういう事も学んで、よく考えてみるのもいいだろう。歴史問題も、後世「当時は子孫の世代に謝罪を求めるという不思議な現象がありました」などと評されても、私は驚かない。
2015-06-02 20:17:33家永三郎「戦争責任」は、「子孫の世代にも戦争責任がある」という主張を提起し、そして「それは罪三族に及ぶ、というような封建制の発想ではない」としている。自発的に罪の意識を感じるのは、近代的精神であり、前近代的な連座制とは違うのだ、という。
2015-08-16 18:34:23しかしそれだとやはり、諸外国が今の首相に謝罪を求めるのは、「罪三族に及ぶ」の発想になる。自然な申し訳なさとして、父や祖父の戦争犯罪をお詫びする、というくらいなら多くの人が否定しないが、繰り返し謝罪を求められるとギクシャクしてくるのは、そういうところもあるだろう。
2015-08-16 18:34:57家永三郎氏や高橋哲哉氏、戦後世代の戦争責任を論じる議論は、あまりできがよくないのは、結局左翼・リベラルにとって「謝るのが自然だ」という感覚的問題であり、論理的に整理できないのだろう。
2015-08-16 18:35:43マイケル・サンデルのように「それは共同体意識ですよね」とキレイに仕分けされると、それも違和感やスッキリしないものがある、というのが日本の「リベラル」のようだ。論理的にスッキリ説明できない、というのは、論争に弱いことでもある。
2015-08-16 18:36:08結局頼れるのは、「諸外国が謝罪するよう非難決議をしている」という「外圧」「外的事実」とか、「謝ったほうが関係がうまくいく」という「リアル・ポリティクス」になるのだが、それでは謝罪すべき原理的必然性は何もない。
2015-08-16 18:36:38私は政府や首相が謝罪することを否定しているのではない。そうではなくて、いったん疑いにさらされた「自明な感覚」が、反論できるだけの十分な材料を持ってないことを考えている。
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