【国内旅行】2015年春・西日本旅行5日目まとめ

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🏘まち探訪家・鳴海 侑 @mistp0uffer

宮津冨田屋の朝だ。この日も曇り模様だった。4枚目の「サイホン」が冨田屋のモーニング提供場所だ。 pic.twitter.com/6oTyTz7Unj

2015-07-21 07:45:22
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🏘まち探訪家・鳴海 侑 @mistp0uffer

宮津からは「京都丹後鉄道」で福知山へ向かう。京都丹後鉄道は高速バスの「ウィラーエクスプレス」が運行会社として今年4月から新たに立ち上げた会社だ。北近畿タンゴ鉄道時代と大した違いは見られないが、せっかくなので記念切符を買い求めた。 pic.twitter.com/W5h635rDHj

2015-07-21 07:50:04
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🏘まち探訪家・鳴海 侑 @mistp0uffer

ほぼ同時刻に宮津から三方面へ列車が発車する。私がのった福知山行きは、通勤通学需要で座席が埋まるくらいの混雑だった。途中駅での乗り降りはほとんどなく福知山まで山の中を走っていく。 pic.twitter.com/oXn3qu80Of

2015-07-21 07:52:53
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福知山から山陰線で和田山へ抜け、そこから播但線に乗り換える。 1 両の気動車は久々に乗る。和田山の隣にある竹田へ向かう人が多いからか、列車はそれなりに盛況だ。 pic.twitter.com/rCNEfs43gi

2015-07-21 07:56:59
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私は竹田では降りず、そのまま播但線にのり続ける。歴史が古い播但線はトンネルの半径が狭く、電化できないという。1 両の気動車がのんびりと走る。

2015-07-21 08:01:14
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私は竹田の次にある生野で降りた。ここは生野銀山の最寄り駅であり、鉱山の遺構が沢山残っている。 pic.twitter.com/77Nn1AYjpR

2015-07-21 08:03:06
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生野銀山口の街並み。雨に煙り、人が少ない街並みは哀愁を誘う。 pic.twitter.com/57PaYCvNtz

2015-07-21 08:05:33
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生野銀山口から生野銀山までは 4km ほどある。バスもいい時間になかったので、歩いていくことにした。鉱山がなくなっても工場はまだ残っている。 pic.twitter.com/sRTuSknlr1

2015-07-21 08:08:50
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生野銀山へ向かう道には鉱山で働く人々で賑わっていた往時を偲ぶ遺構が沢山あった。少し歩いては写真におさめることを繰り返しながら、1時間半近くかけて生野銀山へ向かった。 pic.twitter.com/ZUIAksxbem

2015-07-21 08:12:32
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ようやく生野銀山の入口に到着した。小雨の降る銀山は人の影もまばらで、どこか裏寂しい印象を受けた。 pic.twitter.com/6qxfQZMwJ6

2015-07-21 08:15:20
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生野銀山は江戸期から開発され、二枚目の写真の右手が江戸期の入口、左手がお雇い外国人が掘った明治期の入口だ。 pic.twitter.com/qVRAUT6lfc

2015-07-22 07:11:29
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生野鉱山は広大かつ深く採掘され、末期には深さ 880 メートル、海抜マイナス 513 メートルまで採掘された。最深部にいくにしたがい坑内の気温はあがり、40度にも達していたという。 pic.twitter.com/CptiErGVMT

2015-07-22 07:14:33
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鉱山内は1.5kmほどあり、観光用に解放できるよう補強が行われている。それでも万一のことを考えて非常用電話も至るところに設置されている。少し緊張しながら奥へ進む。 pic.twitter.com/4kPAVWrMP0

2015-07-22 07:19:00
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坑内の気温は一定に保たれている。そこで、現在は酒の貯蔵にも使われている。廃トンネル利用によく使われる手法だ。 pic.twitter.com/6w72TnfQ53

2015-07-22 07:20:49
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坑内には至るところに解説がある。穴によっては穿たれた時期の解説まであり、かなり充実している。これも長い歴史をもつ生野鉱山ゆえだろう。 pic.twitter.com/AX0c29andQ

2015-07-22 07:25:15
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圧巻だったのは「シュリンケージ」と呼ばれる鉱脈を掘ったあとの空洞だ。鉱石を徐々に下へ掻き落とすと出来上がる穴で、底が見えないほど深い。両側の岩石の落盤防止として木材で支えている。ここで作業していた工夫は恐怖との戦いだったにちがいない。 pic.twitter.com/4nbaiHVADS

2015-07-22 07:30:42
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広大な坑内にはトロッコが走り、坑夫は毎朝その狭いトロッコに乗って出勤する。深い坑道へ潜るためには武骨なエレベーターに乗っていく。さらに落盤や事故の恐怖が付きまとう。それでも働き続けた坑夫の力があって銀などが採掘できていたのだ。 pic.twitter.com/eEkNSwliG1

2015-07-22 07:36:32
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このあたりは生野の他にも明延鉱山があった。明延は山の奥にあったため、神子畑から長いトンネルが掘られていた。そこを走るトロッコでは鉱石以外にも1円で人も運んでいた。昭和末期まで運賃は1円のまま。そこで「一円電車」として親しまれていた。 pic.twitter.com/0C1UA648tY

2015-07-22 07:43:50
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🏘まち探訪家・鳴海 侑 @mistp0uffer

生野鉱山見学を終えて、神姫グリーンバスで生野駅へと戻った。乗客は私一人。行先表示は「生野駅」だったが、着いたバス停は「生野駅裏」だった。どうやら大人の事情があるそうだ。しかし、わかりづらいバス停名だ。できれば直してほしいと思う。 pic.twitter.com/V7KtLghZoK

2015-07-22 07:49:03
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🏘まち探訪家・鳴海 侑 @mistp0uffer

播但線の電化は姫路から寺前で止まっている。寺前以南は姫路都市圏なのに対し、寺前以北は過疎地域で、なおかつトンネル断面が狭い。阪神淡路大震災の迂回ルートとして用いられた時に電化の機運は高まったが、費用対効果の面で見送られているのだろう。 pic.twitter.com/ZPZun8ti1N

2015-07-22 07:53:26
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🏘まち探訪家・鳴海 侑 @mistp0uffer

生野鉱山は日本有数の鉱山であった。おそらく鉱山最盛期の頃は想像もつかないほど沢山の人で賑わい、播但線もよく利用されていたのだろう。しかし、閉山してしまえば雇用もなくなる。徐々に人も少なくなり、寂しい山村になっていったのだろう。諸行無常という言葉を思い起こさずにはいられなかった。

2015-07-22 07:59:24
🏘まち探訪家・鳴海 侑 @mistp0uffer

鉱山のあった町を訪ねると鉄道やトロッコがあり、往時の栄華を文献で読んでも想像がつかないほど山に還っている。生野はまだ街の規模か大きくなかった分、縮小幅も劇的ではなかったのだろうが、四国の別子銅山の麓、新居浜市などは劇的に街が変わってしまっている。今度そんな話もできたら、と思う。

2015-07-22 08:03:16
🏘まち探訪家・鳴海 侑 @mistp0uffer

生野の話はもう少し調べて分厚くして焼き直したい。今回(といってももう4月の話だが)いった時はあまりにも行き当たりばったりで下調べが足りなかった。往時の生野、明延の話や播但線の話を絡めつつ、重要文化的景観の話をきっちりカバーした文章をそのうちアップしたい。

2015-07-22 08:08:15
🏘まち探訪家・鳴海 侑 @mistp0uffer

生野から播但線にのり、寺前で乗り換えて姫路へと至る。姫路では名物の「駅そば」をいただく。中華麺のそばで、薄味の出汁とマッチしていて美味しい。 pic.twitter.com/bCOdJoeKOL

2015-07-23 08:05:53
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🏘まち探訪家・鳴海 侑 @mistp0uffer

腹ごしらえをしたら姫路市街へと繰り出す。姫路駅前はつい最近改修したばかりで、バスターミナルや駅前地下空間などがてきていた。 pic.twitter.com/s8KNLLVIl7

2015-07-23 08:09:58
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