銃(1)アメリカで、また乱射事件があった。銃規制についての議論が行われるだろう。日本人の感覚から言えば、銃が社会に蔓延しているからだ、と思うが、アメリカの精神風土を考えると、解決は難しい。
2011-01-09 07:58:46銃(2)銃規制反対派は、人を殺すのは人であって、銃ではないという。しかし、一定の数の銃があれば、ある確率で精神的に不調な人との結びつきが起こる。倫理や自由意志の問題ではなく、統計の問題である。
2011-01-09 08:00:05銃(3)家庭内の銃は、防犯のため、というような正当化がなされることが多い。しかし、以前読んだ記事によれば、銃は、侵入者に対してよりも、家族に向って撃たれることが多いという。これも、統計の問題である。
2011-01-09 08:01:10銃(4)悲劇を少なくするためには、銃規制をするのが一番良い。では、なぜ強硬に反対する人たちがいるのか? そこに、深い世界観、哲学の問題が絡んでくるので、解決は容易ではない。
2011-01-09 08:02:19銃(5)アメリカ人と銃規制について議論した時、「本質的なのは、国家に対する抵抗権の問題なのだ」との発言があった。圧政が行われれば、それに対して抵抗する権利を市民は持つ。この権利を譲り渡さないためにも、銃を規制することはできないというのである。
2011-01-09 08:03:45銃(6)国家が圧倒的な「暴力装置」を備えている今、市民が銃を持ったからといって、「抵抗権」を担保できるとは思えない。それでも、アメリカ人の一部が、イデオロギーの問題として「抵抗権」に固執するのは、興味深い違いである。
2011-01-09 08:04:40銃(7)日本では、「刀狩り」以来の伝統で市民は武器を持たない。だからこそ、安全という側面がある。一方で、「安全」を含んださまざまなことを「お上」任せにするという、主体性の放棄も見られる。
2011-01-09 08:06:13銃(8)アメリカの銃規制に反対するイデオロギーは、国家に頼らず、安全でも教育でも産業でも、自分たちでやるという自主独立の精神とどこかでつながっている。アップルやグーグルができることと、銃規制が行われないことの間に、おそらくは深い連関がある。
2011-01-09 08:07:27銃(9)乱射事件が起こるたびに、銃規制が議論されながら実現しないアメリカ。決して愚かなのではなく、そこには、国家とは何か、個人とは何かという問題についての根深い哲学的問題がある。日本人にとって、自身の姿を映す鏡でもある。
2011-01-09 08:09:36