- sugar_diadem
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揺らいだ『意識(せかい)』。 闇夜に灯る小さな明かりのように。 『母』の魂は、彼らを導く。 ──さぁ、愛しい子らの手を取って。
2015-10-03 21:42:37草原のオストベルデ
ーーそして、夜が訪れる。 少女は昨日と同じように、自分の部屋で待ち人を迎える準備をする。 白いレースのテーブルクロスをかけ、二人分の紅茶を用意する。 唯一違うのは、花柄の皿に並ぶ茶菓子だった。 昨日と同じでは芸がない。それに、冷めて風味の損なわれるものは相応しくないと、学んだ。
2015-10-04 21:16:56故に、菫の花の描かれた皿には、北の名産でもある白い砂糖菓子を並べた。 そして、少女は椅子に浅く座って静かに待つ。 明日から自らの主となるであろう、魔王の訪れを。
2015-10-04 21:17:23規則的な靴音は、昨夜と変わることなく北の供物の部屋へ近付く。上がりきった音量は一瞬ふっつりと途絶え、代わりに 「入るよ」 と声のかかった後、返事を待たずに扉は開いた。 歩み来るのは変わらぬ緋色の装いの女王。昨日と変わらぬ部屋を見て取って、グリースと向かい合う形で椅子へ座る。
2015-10-04 22:33:27「やっぱりあんたは肝の据わった奴だって、昼間でよく分かったよ」 出し抜けに、そう破顔して。 「フォルカにあんなことを言った奴は初めてだ」 魔としての身体を捨てることなく、人から見れば異形で居続ける彼に相対するだけでも、臆病な者は尻込みするというのに。
2015-10-04 22:33:34「これからにも期待が持てそうだ。なんてったって、あんたにはこれまで西が忘れ果てていたことを思い出させてもらわなけりゃいけないんだからね」 それは知恵だ。それは工夫だ。授けられるだけの西の民が、いつしか失って久しいものだ。 「長い事業になるよ。あんたの全生涯をかけてもらうようなさ」
2015-10-04 22:33:41リッカの気配がすれば席を立ち、手を重ね丁寧に礼をし、彼女が座った後で自身も席に着く。 フォルカに対する言葉を誉められれば、少し考える。 最初は、少女も人の身からはあまりにかけ離れた異形の姿に驚き、身構えた。 同時に考えた。如何なる手段を使えば、あの魔王と『話す』ことが出来るかと。
2015-10-05 01:16:27「……それが、私に出来たのは」 リッカへの返答。脳裏に過ぎるのは、初めの夜に相対したギルガの姿。 フォルカについて行くと言った、スシラの姿。 「ここでの体験があったからこそだと、思います」 魔と人。全て同じとは、とても言えず。全てを心で判断する訳にもいかない。それでも。
2015-10-05 01:16:28昨日の夜から整理が着いたのか、リッカの少女に対する言葉は明瞭である。 「全身全霊で、挑ませて頂きます」 改めて頭を垂れ、少女は約束を果たすことを誓う。 目の前にいる魔王が、管理者ではなく統治者となるのだと思うと、胸が熱くなるものがあった。
2015-10-05 01:16:31「降冠祭の席は着く者を変えるのさ。それが魔王か供物かを問わず」 過ぎるのはこれまでの五回の様子。ギルガやラヴィのようにその心を変えた魔王もいれば、頼りなかった供物が迎えられた国で大成したとも幾度となく聞いた。 それはある種の覚悟のためなのだろう。例えば目の前の少女が持つような。
2015-10-05 12:06:53全身全霊で、との言葉に満足そうに頷いて。 「それじゃ、国に帰った後の話をしようか。 帰ってからは数日、アタシはあんたの側にはいられなくなるだろう。ちょいと説得しなきゃならない奴に心当たりがあるんでね。数日で終わらせてやるから勘弁しておくれ」
2015-10-05 12:07:15「その間、あんたは西のことを学んでもらうことになる。 毎回の供物につく教育係のような奴がいるんだよ。余暇の間になら、聞けばかつての供物達の話なんかも聞けるだろうね。 なんたってあんたは『三人目』なのだし、奴としても思い出すことは多いだろう」
2015-10-05 12:07:32そう説明した後に、まあ、と一つ零して。 「覚えている限りでいいなら、ここでアタシに聞いてくれても構わないがね。 西のことも、供物のことも」 どうだいと、紅は蒼を見やる。
2015-10-05 12:07:42説得しなければならない奴、と聞いて少女は黙って頷いた。 何をするにしても反対する輩はいるもので、その類であろうと予想をつけたのだ。 「……有り難いことです。わたしも、西について学ばないことには仕事のやりようがありません」 教育係がいる、ということには安心したようだ。
2015-10-05 19:29:55「『三人目』……」 聞こえた言葉を、口の中で繰り返した。 これまでの北よりの供物は、程度の差はあれ自分よりもずっとフォルカを信奉する者たちであったと聞いている。 供物を捧げる百年に一度の祭りが歴史を深めるごとに、それは魔王に媚びを売る機会という側面を強くしていったのだ。
2015-10-05 19:29:57「……わたしより以前の供物は、どのような働きをしたのですか?」 彼らは、少女とは違う信念を抱いていたであろう彼らは、何を成したのだろう。 「……リッカ殿は、どう感じられたのですか?」 何かを信じ、何かを愛していたであろう同朋たちは、魔王にどのような感化を与えたのだろう。
2015-10-05 19:29:58「かつて北から迎えた供物は、アタシが最初に、そして二度目に得た供物だった。 まだ魔族のことも、人間のことも大して知らなかった頃さ。 ましてや国を隔てれば、人間の気質は大きく変わるからね。そんなことも、よく分かっていなかった頃だ」
2015-10-05 21:53:49「奴がアタシに教えたのは、まず多様さってやつさね。人間の持つ文化や言語や習慣。それは一様ではないこと。驚きの連続だったね」 懐かしみは小さな笑いとなって。 「そいつが死んだ後、アタシはとうとう話じゃ飽き足らなくなってね。外を自分で見て来ようとした。視察って言い張ってさ」
2015-10-05 21:53:57「……駄目だったよ。アタシが居なくなった途端、オストベルデの『豊かさ』は枯れちまった。 部下に総出で連れ戻されたさ。渋々ながら、アタシもそれを呑むしかなかった。 だから代わりに国内を巡ることにしたんだ。 『巡幸』の習慣が始まったのは、アリス――その『一人目』の御陰さね」
2015-10-05 21:54:05それが、魔王の巡る地としての西の興り。供物のもたらした、最初の恩恵。 「そしてアタシは二人目で、人間の心ってものを多少は知った気がする。理解できたってことではないがね」 視線は中空を彷徨う。笑みは影を潜めて。
2015-10-05 21:54:11「あの時は目当てが皆取られちまってね。ろくに話す間もなくうちで迎えることになっちまった。 国に帰ってから、そいつは妙にアタシについてきたがってね。邪魔でもなし、好きにさせていたんだが。 それで、そのままにしておいたらだんだんしょげていくんだよ。何が何だか分からなかったね」
2015-10-05 21:54:25「痺れを切らして聞いたらさ、『気付かないんですね』って言うんだ。何の話だって聞き返したら」 表情も語調も変わらない。ただ一本調子に、 「好きだって言うんだ。アタシのことが。 今でも分からない。ただそんなことを、人間が思うということだけを知った」
2015-10-05 21:54:34何も感じなかったわけではない。 何を感じればいいのかもわからない。今なお。 話し続けて水分を失った喉に紅茶を流し込んで、それきり言葉は出なくなった。
2015-10-05 21:54:49「……そのようなことが」 思わず神妙な顔になってしまう。 生徒に好きだと言われたことは少女にもあるが、人間社会の外側にいた魔王にとって、その戸惑いは比べようもないほど大きかっただろう。 「そのようなことを、わたしに話しても良かったのですか?」 紅茶を一口飲み、尋ねる。
2015-10-06 03:03:44