(23) 半年ほど経ち、女性ボーカルを入れようという話になった。少しづつ客を集められるようになったが、男性二人組だと女子高生しか足を止めてくれない。街には自分達と同じ、ゆずを真似しただけの男性二人組のユニットが溢れていた。真似をしているだけではつまらないと、少し、感じ始めていた
2015-10-31 13:10:59(22) 曲をつくり始めた頃から、自分と競争をし合うようなライバルが目の前にいたことは、お互いにとって本当に幸運だったと思う。その競争は「地球」を聴いたときから始まり、今、この瞬間も続いている。
2015-10-31 13:06:01(21) 他のバンドを並行してやっていたこともあって、曲をつくりだしたのは自分の方が早い。それを見て「良樹ができるのなら、俺もできるだろう」と山下も曲を作ってくる。1曲目はあまり良くなくて、それを伝えたら2曲目に持ってきたのが「地球」だった。すごく良かったので、驚いたし、焦った。
2015-10-31 13:00:35(20) ふたりで路上に立っていた頃。水野がメインを歌い、山下がコーラスとハーモニカを担当するという役割分担。ほとんどがカバー曲だったが、「赤いかさ」「地球」「からくり」などの楽曲は当時からあった。吉岡が加入する前から、それらは演奏していたと思う。
2015-10-31 12:58:01(19) 約10年後になるが横浜スタジアムで行われた音野祭というライブで、ゆずのお二人と共演を果たす。駅前でよくカバーしていたのが「ねこじゃらし」だと伝えると一緒に演奏してくれた。嬉しかった。お二人と共演したことでそれまでの憧れや夢に区切りをつける機会にもなった。大切な瞬間だった
2015-10-31 12:55:06(18) 当時は空前の”ゆずブーム”。ゆずを真似して路上で歌う男の子たちに、ゆずファンである女の子たちが足を止め、キャッキャと青春を楽しんでいる光景が、日本全国そこらじゅうで見られた。水野、山下のふたりも、そんな光景のなかにいた。
2015-10-31 12:50:19(17) 初めて立ち止まってくれたお客さんは、20歳だという若い女性。「君たち、ナミエ歌える?」安室奈美恵さんの曲をリクエストされた。歌えなかった。
2015-10-31 12:48:33(16) 小田急線の相模大野駅で、初めて路上ライブに立つ。99年4月13日。恥ずかしさと緊張で、まだ誰も見てやしないのに、ギターケースを開くのにも1時間ほどかかった。地元の海老名や厚木ではない、少し離れた相模大野の駅を選んだのも、もし友達に見られたら恥ずかしい、という理由だった。
2015-10-31 12:44:38(15) グループ名は高校生になるまでそれほど親しくなかった自分たちの唯一の共通点を、山下が思い出してきたことから。「小1のときに生き物係だったんだよ。うちら」「あ、そうだったっけ?」「それ、とりあえずのグループ名にしよう」「おう、いいよ」とりあえずのつもりがもう16年経った。
2015-10-31 12:41:56(14) 外で歌った経験などもちろんなかったので、駐車場での練習は想像以上に気持ちが良かった。その心地よさだけが、強く印象にある。まだ自分は一度も聴いたことがないが、山下はその日の録音テープを持っているという。
2015-10-31 12:39:03(13) 16年前。99年2月1日。いちいち日にちを覚えているのは、なぜか律儀に活動日記をつけていたからだ。近くの公民館に無料で借りられる音楽室があり、試しに二人で練習をすることに。だが、いざ行くと公民館は休館日。仕方なく駐車場で歌った。その日を一応の結成日としている。
2015-10-31 12:37:07『第0回』 今日の1枚。 ビナウォークができる前の海老名駅前で。 pic.twitter.com/uH9BzIrVep
2015-10-31 12:35:002016年3月15日の、デビュー10周年にむけて。 連続ツイート企画 【いきものがたり】 不定期更新です。
2015-10-31 12:32:33