2016年3月15日の、デビュー10周年にむけて。 連続ツイート企画 【いきものがたり】 不定期更新です。 (前回までのツイートは水野のアカウントの「いいね」からご覧頂けます。)
2015-11-06 21:08:59『第2回』 今日の1枚。 高校時代の路上ライブ。 pic.twitter.com/hAvXY82e3g
2015-11-06 21:10:25(37) 吉岡が加入して3人となってからの路上ライブは毎週水曜日、本厚木駅の北口、タクシーロータリー前。スマホはまだない。ネットが今ほどは普及していなかったから、ホームページで告知...なんてこともない。いつも同じ時間に、同じ場所でやる。それがいちばん手っ取り早い。
2015-11-06 21:13:13(38) 練習場所は母校の校舎などで。ひとり、別の高校にいた吉岡は、よく放課後に兄のジャージを借りて、水野と山下がいる学校へ紛れ込んでいた。
2015-11-06 21:15:14(39) 先生にみつかり、こっぴどく叱られたこともあった。「君、本当にうちの学校の子か?クラスは?」吉岡「2組です」「うそつけ!うちの高校のクラス分けはA組、B組…のアルファベットだ!」吉岡「ああ!すみません」「君、吉岡の妹だろ!知ってるんだぞ!」知ってるんかい、と思った。
2015-11-06 21:17:59(40) 吉岡が加入してからは客層も大きく広がり、学生も、スーツ姿の大人たちも、家族連れも、誰もが立ち止まってくれるように。学校帰りに3人とも学生服のまま路上ライブをしていたので、その姿も珍しかったのだろう。その頃から今まで、あまり客層に変化がないことは、ありがたいし、誇りだ。
2015-11-06 21:21:28(41) 路上ライブのエピソードには事欠かない。本厚木駅は夜9時からが露店の時間と決まっていたらしい。9時になると「たこやき屋のオヤジ」が軽トラでやってくる。「邪魔だ!」と大声で怒鳴りながら。演奏するメンバーとお客さん。その間のわずか数mの空間に軽トラを停める。さえぎるように。
2015-11-06 21:24:46(42) 「誘っていないけれど、なぜかコラボレーションをしてくる人たち」も多かった。演奏の横で踊り始めたり、自分たちの目の前に突然ヘッドスライディングをしてきたり、ボンゴを持ってきて曲に合わせて夢中で叩きはじめたり。マイクを奪って歌おうとする酔っ払いのおじさんも多かった。
2015-11-06 21:28:32(43) そういうときは焦ってしまったらいけない。トラブルが起きたと思って客が逃げてしまう。ユーモアを交えてうまく対応できれば、逆に「おもしろいことが起きている!」とお客さんが集まってくる。ずいぶんと鍛えられた。酔っ払いのおじさんと絶妙な掛け合いをするのが、吉岡はうまかった。
2015-11-06 21:30:43(44) とにかく楽しかった。音楽の道に憧れはあれど、いきものがかりでプロになろうなどとは、3人とも高校時代は考えていなかった。例えるならそれは、学校の部活動のようなもの。ただただ、楽しかった。そんななかで少し意識に変化が生まれるできことが訪れる。
2015-11-06 21:34:07(45) 路上ライブに、某有名番組のスタッフを名乗る大人が訪ねてくる。新人を売り出すオーディションがあるから君たち受けてみないか。今から考えれば、怪しいことこの上ない話だが、なにせ世間知らずの田舎の高校生だ。「これは世に言うスカウトってやつかっ!」と、びっくりしてしまった。
2015-11-06 21:37:05(46) ノコノコと行ったこともない東京のど真ん中?赤坂見附のオーディション会場に3人で出向く。2曲ほど歌ったと思う。自分が演奏中、緊張で無表情だったようで「君はやる気があるのか?」と審査員らしき男性に怒られた。不本意でムスッとした。今でもその時のことをメンバーにからかわれる。
2015-11-06 21:39:58(47) それでも「合格です」と後日、連絡がくる。勢いで受けたがさすがに呑気な高校生でも、いよいよ「あれ?これはやばいんじゃない?俺ら、騙されてない?」本当のところを言うと騙されていたのか、ちゃんとしたものだったのか未だにわからないのだが、このまま話を進めるのはよそう、となった。
2015-11-06 21:43:14(48) そのオーディションがきっかけとなり、将来について話すようになる。誘われた話自体はあやしかったが、それまで楽しいだけでやっていたものの「先」が、もしかしたらあるのかもしれないと思ってしまって、急に3人とも、戸惑ってしまったのだ。まだ10代だ、無理もない。
2015-11-06 21:46:08(49) 吉岡と水野は音楽の道に進もうと当時から考えてはいたが、それが「いきものがかり」で、とは思っていなかったと思う。その頃の「いきものがかり」は、とにかく”楽しい”だけだった。真剣に考えれば考えるほど、軽はずみな気持ちで、この道の先を進んでは行けないように、そのときは思えた。
2015-11-06 21:49:01(50) 高校生なりに話し合った結果、このグループは楽しいままの思い出として、高校のうちにおしまいにしよう、解散しようとなった。それこそ夏の大会で引退をする部活動のように。水野や山下はもう3年生になっていて、受験も控えていた。地元の駅で解散ライブをすることになった。
2015-11-06 21:52:14(51) 解散ライブのことはよく覚えている。本厚木駅の広場に100人か200人か、高校生3人の路上ライブにびっくりするほどの人が集まった。いつの間にか地元では少し名を知られているようになっていた。充実感もあったし、高校時代の素敵な思い出となった。ああ、楽しかった。そう思っていた。
2015-11-06 21:55:04(52) 解散ライブのために3人で配った手作りの宣伝用チラシには、格好をつけてこんなセリフが大きく書かれている。「これを逃すと、もう会えない」まさか、想像していなかった。それから15年後の今も、たくさんの人に会いまくっているだなんて。
2015-11-06 21:56:27おまけの1枚。 15年前の解散ライブのチラシ。 もう会えない…てか、すごく会えてる。 pic.twitter.com/0Z05fZsw2J
2015-11-06 22:09:31