岡義達botまとめ読み

岡義達bot ‏@OkaYoshisatoBot のまとめ読み
1
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

日当をもらって討論をたのしむ――岡さんが政治を芝居に見たてたとき、岡さんの頭の奥にあったのは、おそらくこういう議会風景の遠いイメージだったのだろう。しかし、それがいつの日か日本の政治的風土の中で育つであろうか、どうであろうか。 萩原延寿『書書周游』

2015-11-04 20:07:53
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

政治家と国民との間に一種の無責任の分業体制、責任転嫁の協力関係が…出来上がり、…惰性化し、慢性化してしまえば、日本の民主政の前途は暗澹たるものがある…そういう危機意識が…そっけない表情をした岡さんの文体の下にかくされているのを、よみとらなければうそだろう。 萩原延寿『書書周游』

2015-10-31 20:07:59
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

岡さんの目指したのは、もっとも非政治的な政治論、一種の純粋政治理論であったのか、…非政治的な価値の領域に足を踏み入れることは、お門違いだとして遠慮されたのか…それを岡さんの現実政治にたいする無関心のあらわれとうけとるのは、やや見当はずれになりそうである。 萩原延寿『書書周游』

2015-11-07 20:07:51
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

岡さんの狙っているのは、「政治的なもの」の発現の仕方と態様、…政治の類型学を構成することであって、「結論」を指示することではな〔い〕…/『政治学云々』ではなく、ただ『政治』という、野心的といえばこれほど野心的な題はなく、謙遜といえばこれほど謙遜な題もない。 萩原延寿『書書周游』

2015-11-01 20:07:51
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

岡さんは、政治を舞台の上で演じられる芝居に見たてている…重要になってくるのは、この芝居を眺める位置の設定、舞台からの距離の取りかたの問題である…観劇の場所をどこに定めるかは、政治という芝居を観察し、評価する上で、ほとんど決定的な意味をもっているといってよい。 萩原延寿『書書周游』

2015-11-07 18:07:55
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

かなり前方を、タバコをくゆらしながら、ゆったりした足どりであるいているのは、どうやら岡さんそのひとらしい。なにか採集にでもでかけるのか、右の肩にカメラ用のカバン…をかけ、左に地図用のカバンをぶらさげている。…だが、岡さんとのあいだには、まだ相当の距離がある。 萩原延寿『書書周游』

2015-11-04 17:07:50
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

これ〔『政治』〕はきわめて懐疑的な、政治に関する一般的な考察の書物である。それが、…いわゆる「政治の季節」の真っ只中に放り出されたことに、わたしはひとつの警世の意味を賦与したい。…一般に懐疑的な精神ほど、日本人の伝統的な心性から遠いものはないからである。 萩原延寿『書書周游』

2015-11-05 19:37:50
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

共演という視点と細部にたいする関心、この二つ、あるいはそのいずれかが、ふつうのカメラしか使用しない政治理論には、とかく欠如しがちだが、その二つを同時に兼ねそなえているところに、岡さんの本〔『政治』〕の魅力とユニークさがひそんでいる。 萩原延寿『書書周游』

2015-11-06 12:07:54
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

岡さんがはっきりさせているのは、多彩な価値の組み合わせで出来あがっている人生地図の中で、政治という価値の占める位置はそのごく一部にすぎず、しかもそれはあまり「陽のあたる場所」ではないこと、価値の序列をつくるとしても、頂点などではもちろんないことである。 萩原延寿『書書周游』

2015-11-06 13:07:51
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

政治に関するある種の固定観念の充足をもとめるという、一種の功利主義的な態度をきれいさっぱり投げすてて、もっぱら好奇心という杖をたよりに、いわばこころを無にして、岡さんの論理の筋道をたどってみたらどうだろう、それでもまだむずかしさはのこるだろうか… 萩原延寿『書書周游』

2015-11-06 18:07:50
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

なにしろ、この岡さんの近著〔『政治』〕については、三回よんでやっとわかったとか、五回よんでもわからなかったとか、そういう種類のうわさばなしが――もとより真偽のほどは不明だが――すでに学界やジャーナリズムの一部で、相当出回っている様子がみえるのだから。 萩原延寿『書書周游』

2015-11-08 19:07:50
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

過大評価された政治のイメージ、つまり、「汎政治主義」的な願望や衝動、これがとりわけ問題である。そして、この「汎政治主義」的な期待を先行させることと、岡さんの本のむずかしさとのあいだには、切っても切れない関係がありそうだというのが、わたしの印象である。 萩原延寿『書書周游』

2015-11-08 18:07:54
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

野党のリーダーもまた〈政治ぎらい〉の利用価値をみとめて行動していくとすれば、これをする人はもちろん、これをみる人も興を覚えることであろう。しかし、しも、みもしない人の不幸はそれだけ大きい。革命をし、革命をいうにくらべて、革命をされる人が一番つらいことにも通じる… 岡義達『政治』

2015-11-08 08:07:50
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

本書で問題とするのは政治一般である。個々の問題や、問題解決の組織をあつかってはいない。…これらすべては、いわゆる政治過程の重要なアイテムであるが、本書では、これらすべて政治のあらわれとしてみ、したがって、…それらのウェイトに応じた説明をこころみてはいない。 岡義達『政治』

2015-10-31 10:07:50
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

町川の魚はつりにくいといわれる。学習の機会を多くあたえられているからである。技術のマイナス面をすでにしっている人間に対する技術が、単純な性質でありえようはずがない。この技術をしらぬ人が、しる人に容易に支配されることは当然であろう。…政治ぎらいが生まれるゆえんである 岡義達『政治』

2015-11-04 23:07:55
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

人災を未然にふせぐものは政策であり、そしてその政策を実現する人的技術である。そこには、世論にあらわれるグループや人間の問題があり、場合によっては世論自身も操作していく必要が生まれてくるであろう。ここに人的技術、簡単にいえば、政治の技術イメージが成立する理由がある。 岡義達『政治』

2015-11-01 14:07:56
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

嬰児の段階ですでにその泣き方が大切であり、われわれは解決要求だけでは問題の解決しないことを学んで現在にいたっただけに、技術の重要さに身をつまされている。そして必ずしも「忍耐は練達を生じ」(パウロ)ないだけに、技術へのルサンティマンはそれだけ蓄積することにもなる。 岡義達『政治』

2015-11-05 10:37:56
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

とくにこの利害の前に、一括して万人と称せられたものがいくつかのグループ、何人かのひとびとへと分裂していく。政策はいつしか蒼ざめた〈精神規定〉として、特別法の冒頭をかざるにとどまってしまう。ここにはじめて政策実現の方法がクローズ・アップされざるをえない。 岡義達『政治』

2015-11-05 11:37:55
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

政治性とはプラスのシンボルということができよう/…この手段の世界の展開は…みる人に新しい不安をもたらすこととなるであろう。この不安は政治の技術イメージに新たな色彩を加えることになる。〈政治的〉〈あまりに政治的〉とひとはいう…つまりはマイナス・シンボルになってくる。 岡義達『政治』

2015-11-05 17:37:53
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

一見解決不能にみえる問題を解決しうる技術はまた、当然解決可能とみえる問題を解決不能にみせ、または実際に不能にみちびく技術でもある。…トラブル・シューターは素朴なトラブル・メーカーにくらべて、より悪質なトラブル・メーカーに変じうるわけである。 岡義達『政治』

2015-11-05 22:37:50
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

作為は政治家にかぎられる問題ではない。ただ日常生活にみられるさりげない行為も、政治の舞台では大写しにされ、そのプラス、マイナスの効果も大きいのである。ここでは、何気なしにやった行為も政治の視点から評価されざるをえない。 岡義達『政治』

2015-11-06 17:07:52
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

人間の他の象徴行動とならんで、論文もまたこうした組織力をもっていることは、そこにもっとも広い意味での政治性がふくまれていることを意味している。…政治性をもたざるをえない論文の中にあらわれてくる差異は、たゞ書く人がその前提を意識し、確信しているか、いないかによる。 岡義達「論文」

2015-11-07 10:07:53
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

価値観がかわっていけば、仕事は新しくなろう。能も昔の能ではない。ここにまた能の表示があろう。…見方によって欺瞞ともなれば、啓蒙ともなろう。してみれば相互啓蒙もあれば、相互欺瞞もあるわけである。政治認識を異にしている人たちにもコミュニケーションが可能にもなる。 岡義達『政治』

2015-11-05 21:37:52
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

価値観に応じて政治の仕事がきまる。それは政治の能である。…この表示はもとより仕方がある。…しかし、表示の問題がはいってくることで、事態は多少複雑となろう。…すべて方法であり、仕草である。見ようによっては香具師になり、あるいは指導者の器になったりする。 岡義達『政治』

2015-11-07 11:07:54
岡義達bot @OkaYoshisatoBot

政策としての政治は、…もっとも素朴的であり、それだけにもっとも基本的な価値をもつ。…「鰯の頭も信心から」で、ひとにとっての価値は、さまざまにみえる。しかし、実際に価値とされているものは、思索してみるほどに多様ではない。〈変り者〉の存在は、むしろ一様性の例証となる。 岡義達『政治』

2015-11-07 12:07:54
1 ・・ 4 次へ