パレ・ド・キョート/現実のたてる音

2015/11/07-11/23 @ARTZONE ,KYOTO http://palaisdekyoto.jp/ 会場配布リーフレット 続きを読む
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Alata Hasegawa @rob_art

これ会期中も質問があったので訂正をしておくと,荒木さんの映像作品は「もともと」サイレントです。それが強度につながっていると僕は考えます。  >映像作品は音声を切られたり 現実のたてる音 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術 murrari.hatenablog.com/entry/20151212…

2015-12-12 15:26:47
中島 智 @nakashima001

「展覧会に於ける啓蒙が目指すものは、蒙が啓かれた先を真理として明示的に提示するのではなく、如何に自分達(これにはアーティストやキュレーターも含まれる)が蒙でしかないかを各々に各々の形で自覚化させる、… 階梯なのだ。」大村益三 murrari.hatenablog.com/entry/20151212…

2015-12-12 19:51:46
Alata Hasegawa @rob_art

「贈与行為の目的は、相手に行為させることであり、他者から行為をひきだすことであり、反応をひきおこすことである。つまり、相手から魂を盗むということである。そしてこの意味において、「贈与の交換」でないような社会的行為など存在しない。

2015-12-12 23:03:03
Alata Hasegawa @rob_art

というのも、あらゆる行為は、ある行為に働きかける行為、ある反応に対する反応であるかぎりで、そのときにのみ、社会的なものとなるからである。相互性は、このとき、ただ回帰性であるというだけであって、社会性とはまったく関係がない。利他主義についてはなおさらである。生とは強奪なのである。」

2015-12-12 23:06:30
m @mthshrak

【artscape 2015年12月15日号(artscapeレビュー)】現実のたてる音/パレ・ド・キョート|高嶋慈 artscape.jp/report/review/…

2015-12-17 20:04:47
せざにすむ @cezannisme

パレドキョートでもらったカイロが上野で役に立った。 pic.twitter.com/mHwGqq6Dbr

2015-12-19 17:44:47
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あたしか @wakarige075

@cezannisme パレドキョートに空目しました(^_^;←

2015-12-23 19:37:25
せざにすむ @cezannisme

@atashika_ymyh パレドトーキョーと言おうとするときにはパレドキョートと言いそうになり、パレドキョートと言おうとするときにはパレドトーキョーと言いそうになり、ややこしいですw

2015-12-23 19:41:28
kiikurute!! @kiikurute

パレドキョートで初めて見たヒスロム、ガキ使に近い何かがあった

2015-12-24 00:11:22
uououo @wanigyo

パレドキョート見に行けなかったから今度こそは絶対行こう...関西の同世代のキュレーターさん、マジリスペクト。

2015-12-26 02:24:45
240 @240sesame

今年最後のマヘル。16人+ダンサー編成。パレ・ド・キョートでやったという曲もやっていた。 pic.twitter.com/lZrHJP6bIV

2015-12-26 21:22:15
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m @mthshrak

極私的2015年展覧会ベスト10 *生誕100年 写真家・濱谷浩−もし写真に言葉があるとしたら/世田谷美術館 *戦争と平和——伝えたかった日本/IZU PHOTO MUSEUM *クリフエッジプロジェクト|半島の傷跡 *パレ・ド・キョート/ARTZONE

2015-12-30 19:26:34
m @mthshrak

「パレ・ド・キョート」では、たった1日だけにせよ京都という都市の中心に、芸術の解放区が出現したことが何より素晴らしかったです。当初予定されていたプログラム以外にも様々なことが起こり、動画や写真に記録されえなかった様々なことが起こった。

2015-12-30 20:31:53
m @mthshrak

その意味で今年、芸術がこんなにもワクワクする経験をさせてくれたのは「パレ・ド・キョート」以外にないですね。ぼくは東京の人間なのに、「パレ・ド・キョート」の間はまるで京都が自分の街みたいな感覚があった。

2015-12-30 20:32:33
m @mthshrak

京都がまるで自分の街みたいな感覚だったパレ・ド・キョートって、その意味では『三月の5日間』みたいだったかも。

2015-12-31 19:19:35
白湯飲む @sakai_cyk

展示は、思い出す中だと『おとなもこどもも考える ここはだれの場所?』『蔡國強 帰去来』『ヴォルフガング・ティルマンス』『他人の時間』『パレ・ド・キョート/現実のたてる音』『黄金のファラオと大ピラミッド』あたりがアレでした。 pic.twitter.com/GVPPlYifYM

2016-01-01 22:26:55
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ぽえん @nt1chk

美術に於ける演劇性、それは快快が演劇に於いて導入した汎質量性という演劇の公演可能性ではなかったか? 片や『パレ・ド・キョート』はそのときの演劇の状況に似ていた。とはいえ、作品の鑑賞という”アドホックさ”については寧ろ美術展示特有の質を実現していたのではないか?

2016-01-08 02:33:18
ぽえん @nt1chk

『パレ・ド・キョート』は幾分身内的なイベントであり、しかもそれについては「面白かった」というような漠然とした印象を残した。これは中々に言語化しにくいイベントだった。が、まだ語りようはある。語りにくさの乗り越えは用意されているように思う。それは先ず演劇であるし、対象性なのだ・

2016-01-08 02:39:24
ぽえん @nt1chk

『パレ・ド・キョート』が一定の好評を得たにもかかわらず、まだまともな批評(blogであれ雑誌であれ、ある程度まとまった評論)を受けていないのはなぜか? 確かに語りにくさはある。が、あれは先ずイベントであり、そして演劇に似ている、ついでアドホックである、という性質に注目すべきだ・

2016-01-08 10:30:03
Alata Hasegawa @rob_art

パレドキョートトーキョー、いいネーミングなので東京でやる際には採用したい。

2016-01-09 00:55:01
ぽえん @nt1chk

昨年の『パレ・ド・キョート』を演劇に例える場合、一番似ているものとして挙げられる作品は快快『SHIBAHAMA』(2010年)ではなかろうか。快快は劇場をダンスフロアに変えたが、このときはまだ観客は舞台の外側に居た。『パレ・ド・キョート』では観客囲んで外側に作品が在った・

2016-01-09 01:07:38
大村益三 @omuraji

2015年「パレ・ド・キョート」の白眉は「犬(GoPro装着)による記録動画」という印象がある。犬の視点を手に入れる事で犬になれる事。「すべての存在者は、世界を同じ仕方で見ている。変化するのはそれがみている世界なのである」(エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ)。

2016-01-10 00:03:17
🏔 @yama_o_koeru

現実の立てる音での田中功起の映像の役割はまさにそれだったと思う。見切れなさというかその時間軸の挿入が重要だった。あと現実の窓に対してのもう1つの窓。 pic.twitter.com/Xlg7yXmLQQ

2016-03-02 02:25:34
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