未完成世界の鎮守府　第1話

奇くらげ@C103日曜日東シ21a @boneofjellyfish

#未完成世界の鎮守府　01

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ある敬虔なキリスト教の信者はこう言ったそうだ。「地獄からは逃れられない。なぜなら地獄は自分の頭の中にあるからだ」 #未完成世界の鎮守府

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驚くほど単純で、驚くほど恐ろしい事実だ。自分の内面こそが地獄であり、どこへ行こうともそれからも逃れることはできない。 ―例え自分の命を絶ったり、世界を滅ぼしたり、別の世界へ行こうとも。 #未完成世界の鎮守府

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―― 『…クロベ1より黒猫、クロベ1より黒猫』 空中管制を担当している二式大艇の妖精さんが呼びかけている。 『クロベ1より黒猫、コード・スカイキッド、04号状況、応答願います…』「…クロベ1、こちら黒猫、任務符牒を確認したわ。どうしたの」 #未完成世界の鎮守府

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「2次攻撃隊から報告です。一部の残存敵艦が沿岸の港に逃げ込もうとしています。指示を求めています」沿岸の港…おそらく長期避難区域の漁港だ。 『隊長機に繋いで』「了解しました」 #未完成世界の鎮守府

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「アタミ1、アタミ1、こちら黒猫、コード・スカイキッド、送レ」 『黒猫、こちらアタミ1、送レ』「アタミ1、例の港は照準に入れられる？」『現在急行中、あと2分ください』「深海の奴らは？」『追撃中です。しかし雷装がありません。先ほどの攻撃でほとんど消耗しました』 #未完成世界の鎮守府

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「了解した。全兵装使用自由（ウェポンフリー）、港に入ったら全力で攻撃して」『港ごと爆撃するのですか』「その通り」『しかし、一時帰宅した民間人の避難が確認できていません』 #未完成世界の鎮守府

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妖精さんは深海棲艦しか基本的に攻撃できない。つまり、人間に被害が及ぶ可能性がある場合は攻撃できない。人間との契約でそうなっている。しかし艦娘の要請があれば、そう、心理的拘束を解いてしまえば妖精は悪魔へと変貌する。 #未完成世界の鎮守府

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「構わないわ、好きなだけ撃って」『了解』 ―― 妖精さんの視界が私の意識に流れ込んでくる。閃光と爆炎に包まれる視界も。爆弾が風を切りながら落下し、爆発する音も。駆逐イ級の初期型らしい個体に爆弾が直撃する。進路を誤った輸送ワ級が岸壁に衝突して沈んでいく。 #未完成世界の鎮守府

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建物と一緒に人間らしいものが吹っ飛ばされた。それが人型の深海棲艦だったのか、それとも逃げ遅れた民間人だったのか。 …どちらでも構わない。私は地獄の演出者なのだから。 #未完成世界の鎮守府

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逃げ惑うイ級がふと、こちらを見たのが分かった。魚類にも似た外観からは想像もできないほど感情にあふれた目をしているように見えた。そう、私と真逆の。 その目には既に敵意はなく、完全に許しを請うような、そんな目だった。 #未完成世界の鎮守府

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次の瞬間、イ級は吹っ飛んだ建物の下敷きになって見えなくなった。 ―― 私の話をしよう。いつとも、どことも分からない、刷り込まれた過去の話を。 姉いわく、戦船としての記憶はその名を冠し異形の者と戦うにあたってはアイデンティティそのものなのだと。 #未完成世界の鎮守府

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だからわたしの、もとい艦娘の最初の記憶とは船の記憶だと。 瑞鶴。極東の島国の言葉で、めでたいこと尽くしの名。その名の通り船としての戦歴は比較的幸運なものだった。 その戦争において私の海軍が負けたこと、その敗北を見届けずに沈んだことを除いては。 #未完成世界の鎮守府

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少なくとも動けぬまま本土の港に沈んだり、原子の光に焼かれて沈むよりははるかに幸運だろう。 不運の次に幸運が訪れるとは限らない。しかし、幸運の次は不運だ。これは確実。 なぜなら幸運を味わった後に、状況が少しでも悪ければそれは不運と感じられてしまうから。 #未完成世界の鎮守府

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初めて人間の、少女の姿に転生したと知った時、私は幸せだったはずだ。 女性名詞で呼ばれ、そしてその時代であればまず男所帯であった軍艦において女性とは興味深いものであった。 これが幸運。 #未完成世界の鎮守府

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その次の、相手が妖怪じみた異形の敵でありこれと戦わねばならない、いや戦えるという事実も幸運に含めていい。 私は戦った。同じように少女の姿をしたかつての仲間と、そして「提督」と呼ばれる司令官と。いつか来るであろう勝利の日をめざして。 #未完成世界の鎮守府

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…どこでおかしいと気づいたのだろう。この世界と違う世界で生きていたことは覚えていても、その記憶はほとんど思い出せなかった。 #未完成世界の鎮守府

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ただ、それに気づいたのは周りよりだいぶ遅かった気がする。ターニングポイントは既に遠い過去だったことも。そして魚雷で沈んだこと。沈めば異形の敵、深海棲艦となってかつての仲間と刃を交えなければならないという恐ろしい噂を反芻しながら意識を四散させていく最期の瞬間。 #未完成世界の鎮守府

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次の世界に関しては更に何も覚えていない。―ただ倫理と徳の崩壊という、程度の差はあれ、ある程度の悪条件であれば創れる地獄の一つであったことを除いては。 そこであったことはほとんど覚えていない。 #未完成世界の鎮守府

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覚えていなくても、幾度修復剤を使っても治らない、身体に刻まれた幾つもの歪な縫合痕やケロイドだけで十分説明はつく。 ただ一つ、確信したこと。―この世界は私の敵じゃない。私こそが世界の敵だ。 #未完成世界の鎮守府

奇くらげ@C103日曜日東シ21a @boneofjellyfish

だから隙をついて逃げ出した私に爆戦から投下された爆弾がスローモーションよろしく落下してくるのが見えた時、それはまるで天使が降りてくる姿に似ているとさえ感じた。 わたしは深海棲艦ではなく、同じ種としての艦娘によって倒される―殺されることで初めて救われる。 #未完成世界の鎮守府

奇くらげ@C103日曜日東シ21a @boneofjellyfish

いや、深海棲艦と艦娘が同じものから生まれているという説を信じるならどちらもどちら、同族を殺して―いや救っているのだろう。 先ほど吹っ飛んだ駆逐イ級のように。迷える子羊は救われた、めでたし。 #未完成世界の鎮守府

奇くらげ@C103日曜日東シ21a @boneofjellyfish

「クロベ1、こちら黒猫、送レ」『攻撃終了、残存敵兵力は全滅、確認戦果は駆逐3、輸送1。味方の損害は3機撃墜、2機損傷』 「了解、アタミに帰投せよと伝えて」『了解、アタミ、こちらクロベ1、黒猫より通達…』 #未完成世界の鎮守府

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…馬鹿馬鹿しい。世界は既に闇に落ちてしまっている。あるのは地獄だけだ。 ―― 『…黒猫、黒猫、こちらクロベ1、どうしました？応答願います』いつのまにか管制機から通信が入っているのに気付いた。 #未完成世界の鎮守府

奇くらげ@C103日曜日東シ21a @boneofjellyfish

―― ―「人間は恩知らずで気が変わり易く、偽善的で自らを偽り、臆病で貪欲である」 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ニッコロ・マキアヴェッリ― #未完成世界の鎮守府