テリーさんが、拾得にボウイさんが来たときのお話をしています。 本日は飛び入りライブデイです。 pic.twitter.com/FrWLTj5Q4K
2016-01-11 18:18:32デヴィッド・ボウイが京都に住んでたのは、アルバム「LOW」と「HEROES」の間くらいか。 派手なジギーなどを演じるのに疲れていたボウイは、京都の暮らしで癒されたんじゃないかな。 ディスコで女子高生を口説いているのを目撃したし、片言の英語で会話もした。幻のような思い出です。
2016-01-11 18:29:55デヴィッド・ボウイ イン京都 これ 初めて見ました~(∩´∀`)∩ なんだか。。いいな~。。。 mag.japaaan.com/archives/25184 pic.twitter.com/46ISJQeg8V
2016-01-11 18:36:37デビッド・ボウイ、京都、1980年 David Bowie in Kyoto 1980 (Masayoshi Sukita) pic.twitter.com/zGvj0AAQqa
2016-01-11 19:16:52Rest in Peace David Bowie! Your artistic greatness & creativity will definitely be missed. bbc.com/news/entertain… pic.twitter.com/zoO6KlINtH
2016-01-11 19:18:26@SuloveMetal マジですか! 羨まし過ぎます。 90年の来日ツアーで仲良くなったBowieファンの4人でBowieが遊びに来るという情報を得て六本木のレキシントンクイーンを徹夜で張りましたが会えませんでした… Bowieが体調不良で夜遊びNGだったのを後で知りました
2016-01-11 19:54:03@Dj_Koki_Abe 35年前、ボウイは京都に住む普通の外国人のように暮らしてましたよ。 当時の友人たちも色々な場所でボウイに出くわしてました。 ディスコで色々あってボウイにアッカンベーをされた友人もいました(笑
2016-01-11 20:02:49@nikawaseiwa 私が会ったのは35年前の1980年頃です。京都に住む普通の外国人のように暮らしていて、京都の河原町や錦市場などでよく見かけられていました。 当時の河原町のニューウェイブ系ディスコ「Club Modern」で会ったときは女子高生に声かけてましたよ(笑
2016-01-11 20:11:35I was shocked to learn of David Bowie’s death this morning... we will miss him badly - pg facebook.com/PeterGabriel/p… pic.twitter.com/dLvsgBonu8
2016-01-11 20:20:561980年頃ボウイは一時期京都に住んでいた。九条山という今のウエスティン都ホテルの東の山辺りに滞在し買い物に祇園や河原町に現れたりライブハウスやクラブにも顔を出していたとか。こんな美しい生き物をまじかで見れたなんてホント羨ましい。 pic.twitter.com/FToeFLg3ZF
2016-01-11 20:45:38あったあった!!!タモリとデヴィッド・ボウイのTin Machineの共演回!これ超おもしろかった。タモさんとTin Machineのボケ合戦が最高。この映像のおかげで、デヴィッド・ボウイのイメージがいい意味で変わったね。 youtube.com/watch?v=jF1xLj…
2016-01-11 21:08:59この写真は、ここ。姉小路麸屋町の kbs-kyoto.co.jp/tv/ippin/2007/… pic.twitter.com/Am2GZ7hT6g
2016-01-11 21:09:48あるいはその少し前かもしれません。 京都「サーカスサーカス」という小さなライブハウスでP-MODELのライブが行われたんであります。 メンバーは、オリジナルメンバーでありました。
2016-01-11 21:17:04@SuloveMetal こんばんは、ニュースを見て驚きましたが、あの人とコンタクトがあったとはまた驚きです。一度でもライブを見られなかったのは残念に思ってます。
2016-01-11 21:36:01暗がりの中で二度も「どうも」と日本語で言った男はニコニコ笑っておりました。 楽屋でゼーゼーしていると、コンコンとドアがノックされ、そこには満面に笑みを浮かべたデヴィッド・ボウイが立っておりました。 彼は 「どうも」 とお辞儀しました。
2016-01-11 21:39:05デヴィッド・ボウイに京都の飲み屋で会った、知り合いの京大生の話です。80年の事だと思います。彼は、とある目立たない飲み屋に行くと、一人の白人がいて、どうも知った顔なのだった。彼は、その白人に英語で話しかけてみた。あなたはデヴィッド・ボウイさんですか?答えは、そうです、だった(続く
2016-01-11 21:44:04彼はボウイに聞いた。なぜ京都にいるのですか?ボウイは答えた。私は少し悩んでいて、大好きな日本でユックリ考えようと思ったからです。何を悩んでいるのですか?ボウイは答えた。実はアメリカからオファーがあります。アメリカの音楽ビジネスはビッグです。飲み込まれてしまわないか不安です(続く
2016-01-11 21:47:33彼はボウイに言いました。確かにビッグかもしれませんが、あなたがそれを分かっていて、しっかりやっていけば大丈夫ではないですか?するとボウイは答えた。「いや、人間というものは、そんなに強くないのだよ」…彼はそれを聞いて、この人は伊達にアイドル的存在を10年もやってないなお思った(続く
2016-01-11 21:51:11そして、京大生の彼とそんな会話をしたデヴィッド・ボウイは、アメリカのオファーを受けて、のちに『レッツ・ダンス』をリリースするのです。私は、まだ一介の京大生と真摯な会話をするデヴィッド・ボウイを、本当に真面目な人だなと思いました。
2016-01-11 21:54:22@inari2015 こんばんは。 当時、京都で学生をしてましたが、河原町界隈の飲食店でバイトしてる仲間が多くて、ボウイが現れると電話連絡をしあって情報を共有してました。 ロックバーやディスコで何度も会ってるバンド仲間もいて、ボウイは京都の暮らしにすっかり溶け込んでましたよ。
2016-01-11 21:57:23