即興小説・話のできない花屋の話

即興で書いたものです。
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佐々木匙@やったー @sasasa3396

あるところに、小さな花屋がありました。小さな花屋は小さな家族が営んでおり、そろそろ年を取ってきた両親の代わりに店番をするのは、若い息子でした。息子はとても働き者で、いずれこの店を継ぐのだろうと誰もが思っておりました。ただ、彼はとても変わり者でもあったのです。

2016-02-04 02:56:41
佐々木匙@やったー @sasasa3396

花屋の息子は何よりも花や植物のことが大好きで、話し始めると止まらないくらいでした。それで時折お客さんを困らせることすらありましたから、両親はどちらかが彼に目が届くように注意をしておりした。そのくせ、それ以外のこと、特に自分の話は少しもしたがらない、というよりはできないのです。

2016-02-04 02:58:37
佐々木匙@やったー @sasasa3396

薔薇の花のきれいな保存の仕方について滔々と語っていても、ふとお客さんが「あなたはお幾つ?」などと聞こうものなら、すぐにもごもごと口ごもってしまいます。ただ、大抵の時は、やはり両親のどちらかが間に入ってごまかしてくれるのでした。

2016-02-04 03:01:04
佐々木匙@やったー @sasasa3396

これではいけないな、と花屋の息子はよく考えます。友達はまだいい、付き合いの長い彼らは彼の癖についてはよく知っていますから、にこにことしながら後についていけばいいのです。でも、女の子は。知り合ったばかりの女の子と話す時はどうでしょう。

2016-02-04 03:03:48
佐々木匙@やったー @sasasa3396

花の話ばかりしていて、最初はいいかもしれませんが、彼が今まで知り合った女の子たちは、大抵途中で飽き始めます。そして、こう言うのです。「ねえ、あなたの話をして?」と。植物好きの女の子と話した時も、結局はそうなりました。彼女たちは、彼の好きなものより彼自身が気になっているのですから。

2016-02-04 03:06:33
佐々木匙@やったー @sasasa3396

花屋の息子は、車に乗って花の配達をしながら、そんな悩みを何度も反芻しておりました。外はお天気で風は穏やかな日でしたが、彼はいつも通りなんとなく憂鬱でした。そうするうちに、最後の配達先に到着します。そこは赤い屋根の、小さな普通の家でした。そして、届けるものは一抱えもある花束。

2016-02-04 03:10:37
佐々木匙@やったー @sasasa3396

呼び鈴を鳴らすと、ぱたぱたという軽い足音がして、やがてドアが開きました。きゃっ、と小さく悲鳴が上がります。何せ、彼の顔は大きな花束に隠れて少しも見えませんでしたから。「失礼します、お届けものです」彼はともかくポケットから受取り証を取り出して押し付けました。

2016-02-04 03:13:46
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「はい、はい。ちょっと待ってくださいね」その若い女の子の声は、少し笑っておりました。彼女は花束をまず受け取りました。彼の手は自由になりましたが、今度は彼女の顔が見えません。彼女が苦心して大きな花束を脇の棚に置いて、そして初めて二人は向かい合いました。「はい、サイン」

2016-02-04 03:16:06
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「すごい花束。運びづらくありませんでしたか?」鼻のところに少しそばかすのあるその子は言いました。「いいえ」花屋は慌てて首を振ります。「父がね。今年結婚30周年だからって張り切っちゃって」どうするのかしらね、こんな花束。少し呆れたように腰に手を当てます。

2016-02-04 03:20:04
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「その、花束は」あっ、まずいぞ。花屋は口を押さえようとしましたが、彼は自然に話し始めていました。「ドライフラワーにしやすいものを選んでありますから。保存がききます。花がきれいなうちに、一本ずつばらばらにして日の当たらない、風通しのいいところに吊るしておくんです」

2016-02-04 03:24:13
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「できたら、葉や花は少し間引きをするといいです。乾きやすくなりますから。一週間から、二週間。そしたら、色は褪せますが、きれいなドライフラワーが出来上がりますよ」女の子は目をぱちくりしていましたが、やがてにこりと笑います。「ありがとうございます。そうするわ」

2016-02-04 03:27:06
佐々木匙@やったー @sasasa3396

その日の配達から帰って、店番を終えて、早くベッドに入って、それから彼は、あのそばかすのある子のことをぱちぱちと考えました。あの子はいつか店に来てくれるだろうか、と。ほんの少し、ほんの少しですが、彼はあの子の笑顔がなんだかとても好きになっていたのです。

2016-02-04 03:30:17
佐々木匙@やったー @sasasa3396

その願いは、少し経った頃に叶いました。彼女は時折花屋に立ち寄っては、切り花を何本か求めていくようになったのです。会話はほとんどありませんでしたが、かえってそれが彼にとっては嬉しいことでもありました。余計なことを口走ることもありませんでしたから。

2016-02-04 03:32:34
佐々木匙@やったー @sasasa3396

さてそうしてしばらくの時が過ぎ、ある日彼女は少し迷った顔で現れました。「お世話になったピアノの先生が引退するんです。花束を差し上げたいんだけど、どんなものがいいかしら?」彼は立て板に水ですらすらと、この花がいいとか、合わせるならこれがとか、色はとか、そんな話をしました。

2016-02-04 03:38:15
佐々木匙@やったー @sasasa3396

彼女は少し不満そうな顔で首を傾げます。「少しイメージと違うみたい。そうだなあ、例えば、あなたならお世話になった方にどんな花をあげますか?」途端に彼は固まってしまいました。一番苦手な、自分の話です。汗が流れ、顔がさっと青くなるのを感じました。

2016-02-04 03:40:52
佐々木匙@やったー @sasasa3396

しかも、こんな時に限って店の奥には誰もいないのです。彼は口をわなわなとさせながらしばらく立ち尽くしていました。「……どうしたの?」女の子は不思議そうな顔で尋ねますが、それに力無く首を振るくらいのことしかできませんでした。彼はどうにか何か伝えようと頭を振り絞りました。

2016-02-04 03:42:42
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「ぼ、僕の贈りたい花の話はできません。できないけど、あなたに合う花の話ならできます」彼はなんとかそんな言葉を絞り出しました。「だから、あなたが贈るのに似合う花を、選ばせてください」そうして、彼はうんと考えながら花束をこしらえました。白を基調にした、清楚な花束でした。

2016-02-04 03:46:03
佐々木匙@やったー @sasasa3396

女の子はとても喜びました。「これならきっと先生にも似合うわ。ありがとうございます」「あの」花屋は遠慮がちに彼女に声をかけました。「さっきは、すみませんでした」「え? いいえ」「僕……僕は」彼は、自分に驚きました。なんと、この自分が自分から自分の話をしようとしだしているのです。

2016-02-04 03:48:45
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「僕は、じ、自分の話ができないんです。いや、ほ、本当は、好きなものの話しか、できないんです」言い切ってから、はあ、と息を吐きます。言ってしまった。言わないでもいいことを。彼女には欠片も関心のないだろうことを。ぎっと奥の歯を噛んで、それから店の奥へと行こうとした時のこと。

2016-02-04 03:51:18
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「待って、待って待って待って」女の子は変に早口でそう言いました。「待ってください。か、勘違いかもしれないけど」それから、頬を軽く染め、少しよそを向きます。「それは、私の話はできるって、そういうこと?」花屋ははっとしました。先ほど確かに彼は、彼女に似合う花の話をしました。滔々と。

2016-02-04 03:54:53
佐々木匙@やったー @sasasa3396

彼は頷きました。彼女は俯きました。花たちが沈黙の間を埋めておりました。「うれしい」その言葉だけが、彼の耳に飛び込んで、あとはもうなんだかわからなくなってしまいました。気がついたら彼女は彼の腕の中にいて、長い髪には白いひなげしの花が飾ってありました。彼が挿したのでしょう。

2016-02-04 03:57:32
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「でも、自分の話、そんなに無理なの? 今はできてたのに」ふと、彼女が顔を上げます。「僕は、じ、自分のことが嫌いだから」彼は視線を逸らします。心臓がばくばくと鳴ります。「今なんでできてるのかも、よ、よくわからない」「前よりは好きになれたってことなんじゃないかしら」

2016-02-04 04:00:53
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「好きになれた?」「うん。きっとそうだよ」彼女は、花のような眩しい笑顔で言いました。「ねえ、私の話をいっぱいして。そしたら、私はあなたの話をうんとするわ。そうして、もっとずっとあなたはあなたのことを好きになるといい」それは、自分嫌いの花屋にとっての、どうしようもない福音でした。

2016-02-04 04:05:10
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「それで、いつか、あなたがあなたの話をきちんとできるようになったら、その話を私だけに聞かせてね」

2016-02-04 04:06:11
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「話のできない花屋の話」おわり

2016-02-04 04:06:28