#C翼前の同人誌印刷の思い出

編集4回目。 ・3月3日21時30分までタグにツイートされたものを追加しました…が、 流石に勢いが止まりましたね。 (Togetterの検索で漏れがあった場合はゴメンナサイ)   続きを読む
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発端はコチラ

吉本たいまつ @taimatsu_torch

<募集>夏コミに刊行予定の「真・同人誌印刷のあけぼの」では、東京文芸出版、ナール印刷を大々的に取り上げる予定です。そこで、この2社についての思い出をお持ちの方、ぜひお話を聞かせていただけないでしょうか。楽しかったこと、苦労談、何でもかまいません!

2016-02-16 17:26:22
吉本たいまつ @taimatsu_torch

<募集>「真・同人誌印刷のあけぼの」では、初期の同人誌印刷の思い出話も載せる予定です。そこで70年代末~80年代初頭から同人活動をされていた方に、印刷にまつわるお話をうかがいたいのです。 楽しかったこと、苦労したことはありませんか? 特にキャプ翼ブーム前のお話をお願いします!

2016-02-16 17:39:42
吉本たいまつ @taimatsu_torch

おたく史研究者。70年代半ばから80年代にかけての、おたくと呼ばれる人々と文化の成立を研究しています。7月をめどに「同人誌即売会史研究会記録集1」「おたくと中学受験1」を出す予定です。コロナウイルスが終息したら、「同人誌即売会史研究会」を再開します。

吉本たいまつ @taimatsu_torch

うわ、夕方のツイートが物凄くRTされてる。引きつづき70年代後半から80年代初頭、キャプ翼ブーム前の同人誌印刷についての情報を募集します。ハッシュタグ #C翼前の同人誌印刷の思い出 を付けて呟いていただけると盛り上がるかな、なんて思います。こちらに返信いただいても結構です!

2016-02-16 21:53:17
吉本たいまつ @taimatsu_torch

「C翼前」といっても範囲が広いですね。できることならコミケ開始(1975年12月)前後の情報が欲しいのです。同人誌専門印刷所ができる前、印刷はどれだけ大変なことだったのでしょう?これってほとんど文字の記録になってないんですよね。 #C翼前の同人誌印刷の思い出

2016-02-16 22:07:38
吉本たいまつ @taimatsu_torch

現在の同人誌印刷はデジタルなので、実に簡単です。ですが同人誌印刷所が確立していなかった時代は、現在よりずっと大変だったんですよね。一方、大変だったからこそ面白いこともあったと思います。そんな同人誌印刷に関わる思い出をうかがいたいんですよね。 #C翼前の同人誌印刷の思い出

2016-02-16 22:16:40
河内実加🌔 @macamica

漫画家。昔ちゃおで『弥生!!』を描いていました(現在Kindleで読めます) 。本格推理系、ロマンス系とコミカライズを渡り歩いて、1年に一度くらい商業誌仕事、同人誌で念願の『虹の橋』を扱った創作漫画を描いています。https://t.co/ykVjj5O8Nk クラララバードよろしくね!

https://t.co/DyhSJxTKJN

河内実加🌘 @macamica

ナールには何度か入稿してて、当時の社員さんの名前も覚えてるんだけど、なんせ昔すぎて記憶が錯誤してると困るからうかつに書けない。そんなにデーターがないのか…

2016-02-16 22:30:44
河内実加🌘 @macamica

あ、ナールなら幻影工房(旧ミラージュ)の方々を探し出してお話聞けばさぞや興味深いことが聴けるのでは…

2016-02-16 22:34:08
河内実加🌘 @macamica

東京文芸出版の漫画原稿用紙のガイド線は黄色で印刷されていた。

2016-02-16 22:36:17
河内実加🌘 @macamica

漫画同人誌印刷するなら西は東京文芸出版、東はナール印刷しかなくて、そこまでの運賃さえない10代は町の印刷所を開拓するしかなかった。そこにこの2社の価格表を持って行くと「お姉ちゃん!これ絶対だまされてるよ!」と言われた。業界標準よりずいぶん安かったらしい。

2016-02-16 22:41:22
河内実加🌘 @macamica

ずいぶんな量、突撃したよね、町の印刷屋。開拓に成功した友人は何人かいたけど、自分で飛び込んだところはほとんど玉砕だったなー。

2016-02-16 22:47:26
河内実加🌘 @macamica

あ、昔の同人誌印刷『軽オフセット』ってのがあったのを思い出した。略して軽オフ。今のオンデマに当たるようなオフセットより安い印刷。オンデマの黒々つやつやの印刷とは逆に、線画やベタが灰色に印刷された。あれ、いつ頃まであったんだろう?

2016-02-17 00:08:05
河内実加🌘 @macamica

少なくとも軽オフでC翼同人誌出してたとこはなかったな…あれ?ガンダムやJ9同人でも記憶にない。あれは一時のあだ花だったのかな?(わたしが関わった軽オフはオリジナルイラスト同人でした)

2016-02-17 00:13:59
河内実加🌘 @macamica

軽オフがナール印刷だったかもしれない!だった気もする…!

2016-02-17 00:15:43
くじらのおっさん @kujira_binder

オフセット印刷も紙版によるダイレクト製版が出来なければここまで地域地方の小規模印刷所での自社製造も出来なかったワケで、現在の同人誌を語る上では印刷設備の歴史も併せないと何にも見えてこない部分だったりする

2016-02-15 10:20:46
くじらのおっさん @kujira_binder

いわゆるマンガ同人誌の歴史っていうのは製造工程上の問題で1980年代くらいまでしか遡れない。それ以前はとなると青焼きや肉筆回覧以外に「手がなかった」ので、技術変遷から見る同人文化っていうアプローチもおススメはしておきたい。

2016-02-15 10:17:58
くじらのおっさん @kujira_binder

「見返しについて」をトゥギャりました。 togetter.com/li/939341

2016-02-17 10:35:22
よいこ @yoiko777

最初('81頃)は同人誌と言うよりファンクラブ冊子を印刷したんだけど、印刷屋を探すのに苦労した。活版印刷屋や企業向けのグラビア印刷屋はあったけど、軽印刷する所は大概新聞の折り込み広告が主だったから製本出来ないと言われて結局グラビア印刷屋を口説いた。続 #c翼前の同人誌印刷の思い出

2016-02-16 23:36:35
よいこ @yoiko777

承前 その後、仲間から専門にやってくれる印刷屋があると教えてもらったのは、まだ名古屋駅移転前のプリンプリント。恐る恐る訪ねたら社長さんが気さくで、友人が入稿する際にもついていって話ししたりしてた。オフセット印刷や面付けと言う言葉を知ったのもここで。 #c翼前の同人誌印刷の思い出

2016-02-16 23:45:17
よいこ @yoiko777

プリンさんに通い始めた頃は値段が社長の言い値みたいな所があったので、同人誌だけでなく即売会用の便箋やシールの印刷などを友達と一緒に入稿して社長さんに掛けあってどんぶり勘定にしてもらう事もあった。 学生だった事もあってかなり安くしてもらってたなぁ。 #c翼前の同人誌印刷の思い出

2016-02-16 23:53:03
よいこ @yoiko777

そのうち、プリンさんが忙しくなって「完全原稿で面付けしたの出して」と言われて目を白黒。後にプリンさんでバイトした友人に泣きついて面付けして貰った。当時は絵ものはケント紙とペン、文字ものはB5のセクションペーパーにポイントペンで描いてたよ。 #c翼前の同人誌印刷の思い出

2016-02-16 23:55:48
よいこ @yoiko777

今まで呟いたのは時期としては、キャプ翼全盛のちょっと前~かな。私はキャプ翼ファンではなかったけど、即売会で売り上げあげたいとヨコシマな気持ちで岬くん便箋をプリンさんで作ったよ。 版がB4でB5の便箋2種類作れるから本命のものを作った余りで。(笑) #c翼前の同人誌印刷の思い出

2016-02-17 00:07:35
月名砂都子 @tsukina_satoko

初めて「漫画用原稿用紙」をつかって本をつくった時は、ちょっと詳しい同級生が調べてきてくれて、ナール印刷さんに持っていきました@1982年。レタリング技術がなくて、表紙の写植も確か印刷所さんにお願いしたような覚えが。  #C翼前の同人誌印刷の思い出

2016-02-16 23:54:59
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コメント

高橋雅奇 @TakahashiMasaki 2016年2月20日
昔のエロ漫画雑誌最終ページの作者コメント欄でたしかTRUMP(大統領候補じゃないよ)が「ナー○印刷!てめぇいいかげんな仕事してんじゃねぇぞっ!」って書いてたのが印象的やった
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横山浩子@ゆるゆる活動中 @yok_mola 2016年2月20日
印刷のみならず、色んな分野の思い出話を知りたいぞなもし。
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じゃりねこは力をためている @jyaricat 2016年2月20日
記憶にあるのだと「ベタ禁止」←ベタの分だけ印刷料金が割増になるため。「同人誌サークルとは会費を払って所属するもの」←そのお金で本を人数分+α印刷する。原稿出さなくても会費は払う。本の後ろとかペーパーで収支報告がある、とかかなあ……
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和泉彼方 @kanata0954 2016年2月20日
まとめ主です。 編集1回目として、タグ上のツイ全突っ込み状態から以下のように編集しました。 ・話を時系列に、同じ方の連ツイは固める ・情報以外のツイは除外
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cinefuk 🌀 @cinefuk 2016年2月20日
地方ではコピー誌が常識で、オフセットなんて神を恐れぬ所業!と思っていました。原稿はB5入稿、隣のサークルでA4入稿した人の原稿用紙の縁を切って使う事故が発生(ひどい)
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ことだま けむりん @kemrin2011 2016年2月20日
ちょっと曖昧なんだけど、十条富士見銀座にあったしまや文具店(現しまや出版)は80年代からだんだん文具スペースが印刷機に代わって行ったです。同人誌印刷はナールなんかよりあとだったと思う。
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きゃきらん @kyakirun 2016年2月20日
便利な時代になったモノです
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トゥギャッター編集部 @tg_editor 2016年2月20日
昔は個人誌は皆無で団体参加が普通だったため、現在でも「サークル」という言葉が残っているというお話、驚きです…!!
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あいり @a_iri 2016年2月20日
このまとめの最初で発見者されている河内美加さんが作ったフルカラー表紙の同人誌が栃木のある印刷所にあって、そこに入稿する学生たちの憧れだったの 当時フルカラー表紙は印刷だけで100枚7万(紙代別) 高嶺の花でした コンビニバイトもなく学生が金稼ぐのは年賀状配達か区分けしかなかった時代
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謎の男 パーマン @nonenoname01 2016年2月20日
友人の付き合いで、牛乳ビンでコピー誌の折り目をゴリゴリ伸ばした思い出が。 …没交渉になってもう何十年にもなるな。
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深井龍一郎 @rfukai 2016年2月20日
キャプテン翼以前といったら、同人誌の元々の意味である文芸同人誌がメインストリームになるんでないの(「宇宙塵」とか未だに続いてるのもある)。これらが手書き文字を印刷していたとかあんまり聞かないけど。
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夢の夢 @__Y_Y 2016年2月20日
オタクってサブカルというのとジャンルがまちまちなので、文化を調べるにしても歴史そのものが記録されてない事があるので、こういうの沢山募って記録化してったら面白いだろうなあ。
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もうり (狂 @mourisuiko 2016年2月20日
c翼ブーム前だったと思うんだけど、俺に同人を教えてくれた近所のお姉さんはオリジナルをガリ版で出してたって聞いたことがある。
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bluemonkshood @bluemonkshood 2016年2月20日
1977年頃、後輩が同人誌を出していたのだが、お金が無かったので、印刷だけやって、自分たちで、半分に折って製本をしていました。合体同盟さんとかの時代ですね。
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bluemonkshood @bluemonkshood 2016年2月20日
同人誌といえば通信販売も涙なくしては語れない話があります。宛名カードを発明した人は凄いと思います。 亡くなった花郁悠紀子さんの遺作、同人誌 らっぽり 兄弟仁義が波津彬子さんが通販処理をされていたというのは、後で知りました。
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bluemonkshood @bluemonkshood 2016年2月20日
プリントごっこで、箔押しみたいなことができるキットがあったので、コピー本にプリントゴッコで箔押しした表紙をつけてコミケで売りました。製本するのが地獄でした。また、プリントごっこで、5刷くらいのカラー印刷を重ねて、版画のようなポストカードをつくって売っていたサークルさんもいらっしゃいましたね。
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もうり (狂 @mourisuiko 2016年2月20日
C翼以前は地方でもオリジナルか、アニメ評論が大半だった筈だけど、よく考えたら、その前に必殺と太陽にほえろ、があるはずなんだ…
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なぎの あやた @ayatan_nagi 2016年2月21日
C翼の頃だと、地方は電気屋やスーパーの写真屋のコピー機で会誌印刷してたんじゃないっけな。※当時コンビニありませんでした
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もうり (狂 @mourisuiko 2016年2月21日
ayatan_nagi トルーパーのころでも数多くはありませんでした。コンビニコピーは幽白あたりからですね。
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枢斬暗屯子@紅楼夢つ09a @suuzanantonko 2016年2月22日
昔のコピー機は一枚ごとに原稿をスキャンする方式だったので、大量に印刷しようとするとかなりの時間がかかってましたね。
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未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2016年2月22日
宇宙塵は昔からタイプ印刷って活字みたいな印刷じゃなかったかな。
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西船橋ちぇる @chel_nishifuna 2016年2月22日
コピーといえば10円コピーが安いって時代に8円だったか5円だったかコピーを売りにしてるコピー専門店があったようなおぼろげな記憶が……あれはたしか新宿あたりだったか。コミケがどこでやってた時代の話だかももう覚えていないんで、おそらくキャプつば以降。当時オフセ出してたのなんて余裕で大手だろうなあ。てか、思わず笑ってしまったけどたしかに今は「当時コンビニありませんでした」って注意書きが必要な時代なんだろうね(笑)
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年2月22日
81年だったか。「ぱふ」か「ComicBOX」で同人誌の依頼を受けてくれる印刷会社が東京で10社くらい掲載されたページがあって。とりあえず場所を確認しようと住所番地をたよりに何社か、探してみて。結局ナール。その時のサークルの副会長みたいな立場で、会長とすったもんだしながら3冊(8頁、16頁、32頁だったか?)発行。その時点では、2つ折りの会員登録カードはなくて。翌年、自分が代表者で晴海コミケに参加する頃には、カード発行が始まってたかな。
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年2月22日
カードと言っても、今時の磁気カードとかICタグみたいのじゃなくて、サークル名と氏名と番号が紙に印字されてて二つ折りにすると名刺サイズ。たまたま自分の本名が漢字は違うけど、読みは創作系でちょっと名の知られた人と同姓同名だったもので「あれ? 既に登録されています」とナールの人に驚かれた。で、やはり1982年のいつだったかからカウンターの隣に作業部屋みたいなのが出来て、ここで原稿の最終仕上げとか面付けとかやっても良いよみたいな。
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年2月22日
ということは、顧客台帳みたいな紙の名簿じゃなくて、何らかのOA機器で入稿の際に名前を入力すると以前の履歴とかサークル名とかが出て来るように82年の時点でなってたのでしょうね。また、81年の時点では受付カウンターで原稿の最終的な仕上げをやってたことになります。翌年に「こちらの部屋が使えますよ」と言われたの覚えがあるので、その前はそれがなかった。
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年2月22日
あの緑ラインのナール原稿用紙が81年の時点であったかのどうか記憶不明。最初の入稿は台紙に切り貼りしていて、2回目以降の時に「こういうのありますよ」と外枠線のマンガ原稿用紙(紙がA4サイズでB5仕上がり用)を知らされたのか。左右2段組の文字原稿用紙は82年の夏コミ前の入稿時に使ったのでその時には既に外枠線と文字原稿用のマス目のとがあった。文字サイズは最初は1種で、後から複数種になったか、最初から二種類以上あったのかも記憶の彼方。
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下山嘉彦/渋谷区 @yshimoyama 2016年2月22日
ナールの2階で製本したなぁ。折機の音がうるさいので利用時間に制限があって、結構めんどくさかった。まあ自分たちで製本してる人の殆どは中綴じで、平綴じやってたのは私を含めて5人もいなかった。いる時間が長かったから社員の手伝いさせられて、原稿の面付けなんかよくやらされた。仲が良かったせいで一番人使いが粗かったのは、後に独立して曳航社を興した赤桐女史(笑)。
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下山嘉彦/渋谷区 @yshimoyama 2016年2月22日
「西は東京文芸出版」って、吉見さんの事務所は東京は飯田橋だったのだけど、関西に宣伝打ってたのかな。あそこは印刷ブローカというか営業会社で、下請けの印刷屋に流すのが仕事だったから可能性はあるか。
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和泉彼方 @kanata0954 2016年2月23日
まとめ主です。 2回目の編集を行いました。 編集2回目。 ・22日までタグにツイートされたものをまとめました (Togetterの検索で漏れがあった場合はゴメンナサイ) ・発端である吉本たいまつさんのものを除き、同じ方のツイートはひと塊にしてあります。 (吉本さんのツイートは時系列上と求める話題の整理になるので) ※続く
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和泉彼方 @kanata0954 2016年2月23日
※続き ・当時の様子を知る情報としては重複するものも多々ありますが、 「思い出語り」も重要な要素と考え、まとめに入れてあります。 ・タグそのものに関するツイは基本的にまとめに入れておりません。   そろそろひとつのまとめとしてはツイ数が多いな、と感じています。 「2」に移行すべきかしら…。
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年2月23日
yshimoyama 東(葛飾区、江戸川区~千葉茨木)にとっては東京文芸で、西(練馬、杉並、世田谷~市部、埼玉)在住だとナールが多かったというなら話としてわからなくもないですが、西の東京文芸というのは私も聞いたことないですね。http://togetter.com/li/929525#c2441046 にもある通り話に聞いてたのは「西の大友出版」で。
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ことだま けむりん @kemrin2011 2016年2月23日
rfukai 学生文芸同人の場合、ガリ版+藁半紙→ボールペン原紙+手回し輪転機で一回飛躍があり(多分70年代)、ドラム型スキャナ転写(焼ける臭いがする奴)+輪転機とワープロ+コピーって言う時間が重なってたかなぁ。コピー屋は大体大学の周りにあって安いところは仕上がりが悪かった。
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下山嘉彦/渋谷区 @yshimoyama 2016年2月23日
@Yabe_MiHiRoさん あー、大友との勘違いなら理解できますね。
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下山嘉彦/渋谷区 @yshimoyama 2016年2月23日
考えてみれば、共信印刷の社長にインタビューするのが早いんじゃないのかな。安博さんは専務だか副社長だかの頃から個人的にコミケットを記録してたはずだし、当事者として同人誌印刷状況を(業界の動向も含めて)全部知ってるんだから。本人もダビッドソン(軽オフの印刷機)をいじくり回してた(笑)
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年2月23日
yshimoyama いる時間が長かったから社員の手伝いさせられて、原稿の面付けなんか…… 手が空いてる時には面付けの他、冊数を数えて梱包のアシストと、あとオペークをやった覚えが(w (注)製版フィルムでベタの部分の面積が大きい場合、ポツポツとスミの乗っていない針穴みたいなのがところどころ発生してしまう。それを補正液(?)で塗り潰す作業。エンジとグレーの中間みたいな赤い色。
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下山嘉彦/渋谷区 @yshimoyama 2016年2月23日
Yabe_MiHiRo そういえばそんなのもやった気がするなぁ。犬屋のオヤジ(会長)に「これ以上はバイト代出せよ」といったらほんとにバイトさせられそうになったので、以降は短時間で逃げるようになりましたが(^^;
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年2月23日
Yabe_MiHiRo http://ejje.weblio.jp/content/opaque いまさらながら英単語としてのつづりを知る。いまはCTPでデジタルデータからダイレクトで刷版が出来るようになって来てるので、製版フィルムを手作業で修正なんて消滅して行く作業なのでしょう(というか、私はたまたま経験あるけど同人関係でもそんなの知ってる人はあまりいないだろうから)。
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Toshio Hanai @toshi_hana 2016年2月24日
僕は86年頃から同人に触れる様になったけど、関西のサークルだったので「みにこみ館」にお世話になってました。最後はエラい事になりましたけどな…。
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🐉し㌖げ㌖の㌖β㌖版👑 @nega_rockwood 2016年2月24日
コピー機はコンビニに入るようになるまで高根の花だった。ウチらは学生時代はイラスト漫画部なるものに所属していたので学校の印刷室のドラム印刷機を勝手に使っていた(消耗品は部の負担)。ちなみにオフセット本などという神々しいものは未だに出した事はない。
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年2月24日
ナールの文字原稿用紙(?)について。あくまでも個人の使用感なんですけど、ありがたかったです。B罫レポート用紙の文字数が約1000字ぐらいで(手書きの文字サイズは個人差があるでしょうけど、自分の場合)、あの用紙が1行何文字で何行だったか忘れましたが、ページ内にイラスト1~2枚を入れて面積20~30%を使うとしてだいたい釣り合ったんです。なので、レポート用紙の枚数で何するか想定して。イラストを大きめにするか小さめにするか? 数行オーバーしてるけど字間を詰めて第2章までこのページに収めてしまうか?等
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年2月24日
何本かレポート用紙に下書きして、掲載することにしたものを入稿用紙に書き写しながら挿絵スペースなどを調整。その後、ペン入れするわけですが第1号で日程に不安があって部分的に友人に泣きついて。それが連載だったりすると次の号も、その次の号も同じ人に頼むことになったりしました。当時、絵を描く人達の普及率はロットリングが多かったものの、個人的にはロットリングを使ったことなく、すっとsteadtler。こちらの方がロットリングより安かったのかしれない? 容器に水を入れ、ペン先を外して沈めるのがメンテナンス。
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和泉彼方 @kanata0954 2016年2月26日
まとめ主です。3回目の編集を行いました。26日15時までタグにツイートされたものを追加。
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和泉彼方 @kanata0954 2016年3月3日
まとめ主です。4回目の編集を行いました。3月3日21時30分までタグにツイートされたものを追加しました…が、流石に勢いが止まりましたね。
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年3月5日
地方の即売会に委託の際、ナールで箱詰めして発送。先程ググってみたが板橋大山郵便局というのは違う。多分この板橋ハッピーロード郵便局というのに持って行ったのだと思う。もちろんナールさんで「この辺の郵便局ってどの辺ですか?」と教えてもらって。みかん箱は現在5kg箱がデフォながら、当時は10kg箱が普通で、潰して持って行ったのだったか。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%86%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AFによると
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年3月5日
Yabe_MiHiRo ゆうパック用ダンボールが発売されたのは83年6月なのだそうで、それまではゆうパック箱は無かったらしい。でも、郵便小包と言ったら朝ヒモで結束して荷札(タグです)をつけて送るもの……というのが子供心にあったので、それでも意外と手軽な感じがした。箱のセンターをガムテープで一直線に貼って持ち込んだら「天面と底面の短辺(計4辺)だけは最低限、テープで止めてください。でないと受け取れません」と言われ、ナールの2階に戻って来てテープ貼りして再持ち込みしたのだよな。
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玉藻さん@地球 @Roseate_Rosy 2016年3月5日
「いつかはオフセット印刷!」と言いながらコピーを二つ折りにしてグラスの底をしゅっとすべらせて折り目をカチカチにする作業に戻るんだ
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年3月12日
82~83年頃で印刷仕上がり予定日になったら、ナールに確認の電話を入れて受け取りに行く。梱包された同人誌を持参したスポーツバッグ(×2)に入れ、一つはストラップに左右の手を通してリュックサックのように背負い、もう一つを左手に持って帰る(少なくとも15kg以上はあった?)。
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年3月12日
女子だとそうは行かないだろうけれど、普通に持ち運んでいたような。10代の武勇伝というわけでなく、他サークルの年長者と話すと、印刷所からの持ち帰りや即売会への持込で20~30kgくらいは珍しくないようで。「そうそう、同人誌続けてると自然と筋力つくよ~(そのために必然的につけるようになるよ)」とも言われた(当時こちらは高校生)。当時、オフセットでそれなりの部数を出してる男子は標準もしくは標準以上の体力な人が多数派だったような気がします(あくまでも個人の印象)。
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年3月12日
そうか、30kgは普通なのか……と納得(運ぶ前に重さを計量するわけじゃないので、実際に通常が何キロで最大何キロだったか不明)。当時の女性同人はどうしてたのだろう? キャリーカートは現在ほど出回ってなかった。多人数で分けて一人あたりの負荷を軽くしてたのか。83年頃までは販売も発行もそんなに大量の部数はほとんどなかったので、搬送は問題にならなかったのかな。コミケ当日なら(幕張以前の)晴海でも駐車場があったので、18歳以上がいれば車で運んでるというサークルはもちろんあった。
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年3月12日
とはいえ20kg以上を自宅から運ぶとなると、最寄り駅までの時間が読めなくなるので、前日にコインロッカーにスポーツバッグ一つを入れておき、当日の朝は集合場所で後輩に持ってもらうようなことはやってました。 発行部数が1000部とかなってしまうともう必然的に自力搬入しようがなく、晴海まで印刷所に届けてもらって受け取りとなるので発行部数が300~600部程度の時に検討する課題。自力でどのくらい運ぶか? 友人後輩にどの程度頼むか?
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谷部覧博 @Yabe_MiHiRo 2016年3月12日
Yabe_MiHiRo 実体験では83年冬コミから、開場前に現地で受け取り台車を借りて自スペース&知人サークル委託先。
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三十郎 @sanjuro2 2016年3月30日
文芸しか印刷所がなかったんじゃよ...懐かしの飯田橋...
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ELFA @elfa_nikomat 2016年4月26日
赤桐さん(ケイコーポレーション代表取締役)あたりも、お話が聞けるうちに聞いといた方がいい人だよな~
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bluemonkshood @bluemonkshood 2016年8月2日
初期のワープロは、今のようにアウトラインフォントじゃなかったので、大きなフォントを印字すると、字がドットでガタガタしていた。信じられないだろうが、1行20文字くらいの白黒液晶表示しかなかったので、長編小説の校正が地獄で、全部プリントアウトしたあとで、誤字を見つけるとか、コピペダブりを見つけるとか、よくあった。宛名カードを発明した人が誰か知りたいな。何百枚もの定額小為替に名前を書いて換金しにいったのも懐かしい。
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さらさみさ🌸 @mpnmisa 2016年9月1日
私の同人はじめた時代よりチョイ前だけど、ホントにチョイ前だからありがたく読む
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Cook⚡生還しました。後遺症なし!詳細はピン留め @CookDrake 2016年12月13日
ざっくりいうと、肉筆回覧>青焼きコピーorガリ版印刷>コピーor軽オフセットって感じなのかなぁ。ガリ版印刷には、たしかに「ガリ版+藁半紙→ボールペン原紙+手回し輪転機」って段階が挟まる。てかボールペン原紙の方もガリ版って言ってたけど、正式には違う名前があるんだろうな。自分がコミケに出入りし始めた頃は、まだチラホラ青焼きコピー誌を見かけた気がする。漫研じゃボールペン原紙で部内誌作ってたな。コンビニのコピー機の10円コピー登場はピコ手にとって、大いなるブレイクスルーだった。
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夢見月水龍 (表) |*´︶`*)╯♡別垢の原稿中 @kuronekoya_y 2019年7月31日
印刷以前に兄弟の同人誌をガリ版印刷自分でしてた…あの当時コピー機まだなかったんじゃないかな?… 印刷所にお願いしたのここ10年くらいからかなぁ?初が栄光さんでした。 よく使ってたショップで印刷すると業務用の無線綴じできる機械自分でつかえたので大変お世話になった。(今は閉店…) これからはとじたくんに頑張ってもらう予定。
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