「私、これを最後の音楽活動にしようと思うの。」 「…ふぅん」 小さなライブハウスでの演奏を終えた後の打ち上げで、千早は打ち明けた。 あの雨の日以来、2人は時折一緒に演奏するような関係になっていた。 「レーベルからも、次で結果を出せないようなら、って言われたわ」 「…そーなんだ」
2016-02-25 00:49:51正直ジュリアは心のどこかで千早を馬鹿にしていた。かつて千早にギターを教えたのは ジュリアである。今ではアマチュアで音楽を楽しんでいるとはいうものの、 その教えた相手が、未だに、自分がとうの昔離れた場にとどまっている ことに、嫉妬にも卑下にも似た感情を持っていた。
2016-02-25 00:50:37そんな気持ちもあり、千早の「最後」という言葉を聞いて、 (まあ、そうだろうね)と思う程度だった。 「だから、最後の曲。…私の曲のアレンジ、ジュリアにお願いしたいの。」
2016-02-25 00:51:07(…安く見られたもんだな)ジュリアは正直少し苛立った。 「ちょっと聞かせてみてよ」 最後の曲に、あたしを? 諦めて適当に作ったであろう曲に? どうせつまらない曲だろう、こっちこそ適当に理由をつけて断ればいい。 そんな風に思っていた。この時までは。
2016-02-25 00:51:53「…ふざけんなよ。」 ジュリアが千早の曲を最後まで、声一つ漏らさず聞き終えたあとに出た最初の言葉。 「こんな…こんな曲作れるヤツがこれが最後って?どれだけあたしのこと馬鹿にしてんだ!」本心だった。嫉妬も世辞も一切ない気持ちだった。
2016-02-25 00:54:23「…そういう覚悟で作った曲よ。人生最後の曲のつもりで。これが最後でもいいって。」 ジュリアは目からあふれ出る涙を、止めることができなかった。
2016-02-25 00:54:57しばらくうつむいたままジュリアは何も言わず、大きくため息をついた。 「…わかった、やってやる。私がこの曲を、レーベルの連中が 頭下げに来るくらいの最高の曲にしてやる。その自信がある。 でも、一つだけ約束しろ。二度と、音楽をやめるなんて口にするな。」
2016-02-25 00:55:46他人の曲で泣いたのはいつぶりだろうか… 趣味でいいと思ってた、十分だと思っていた、それで幸せだと思っていた、思いたかった。でも、あの曲に、いつかの くすぶっていた思いをぶん殴られてしまった。思い出してしまった。 あの頃の青い蒼い思いを。
2016-02-25 00:57:37この日を境にジュリアは再びプロフェッショナルとして 音楽の道に進み始めるのだが、それはまた、別のお話。
2016-02-25 00:58:35それから数か月後、30歳を迎えた如月千早の記録的ヒットを出したアルバム、『約束』 がリリースされた。全13曲の中の13番目に、彼女が生涯最後のつもりで書き上げたという曲が 収録されている。ラストを飾るその曲名は、『私のすべて』。
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