もう一度【フルーツソングシリーズ⑤】

かおり @orange_shake_

【もう一度・1】 忙しいっていう漢字は心を亡くすって書く、って誰かが言うとったけど。 心亡くして務まる仕事ちゃうし、忙しいときこそメンタル安定させていかなあかんのちゃうんか。 そう思いながら今日も笑って、ふざけて、ツッコんで。 "忙しそうだねー。働きすぎじゃない？"

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【もう一度・2】 『いや〜、まだまだっすよ！』 同じこと何百回も言われすぎて、この言葉に何の感情も入らんくなった。 ただ、まだまだやとはほんまに思ってる。 まだまだ、こんなもんじゃ満足せぇへん。 誰に言ってんのか、自分に言い聞かせてんのか、気がつけば同じセリフを繰り返す毎日。

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【もう一度・3】 周りを気にして、自分を顧みて。 ただがむしゃらにやってればええってわけでもない。 気を遣ってるふりをして、遣ってないふりをする。 あの時は気づかんかったけど、今思えばそれが心を亡くすってことやったんかもしらん。 そんな毎日がずっと続いていく。

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【もう一度・4】 なんかしっくりこーへんような気もするけど、人生ってそういうもんやと思ってた。 ＊＊＊ 「村上くんのことなんてみんなどうでもいいんだからさ」 あっけらかんとそう言い放った女と出会ったのは、大きい仕事で大失敗やらかした収録の帰り。

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【もう一度・5】 やけ酒と言わんばかりに丸連れていつもの焼肉屋に行ったら、あいつマンガ読まなあかんとか何とか言って1時間もせんうちに帰りおった。 『はー、おもんなっ』 別に寂しいわけちゃうけど、焼肉って1人やと量食べられへんやん。 「ふ、」

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【もう一度・6】 その時、隣のテーブルから小さく笑う声が聞こえた。 俺の大きな独り言が届いたんか、俯いて顔を隠すように笑う女は… あれ？ 顔を上げたその女と目が合うと、 「悪い？1人ですけど」 俺の考えてたことはズバリ当てられてしまった。 それが、出会い。 ＊＊＊

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【もう一度・7】 一目見ただけで、仕事のできる女やなってわかった。 ビシッと着こなしたスーツに、頭のええ人の話し方。 俺と同い年やって言うのに、たまに出会う社長さんに負けず劣らずの知識とトーク力。 美人やし、なのに堅いイメージを全く与えることなく人当たりもいい。

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【もう一度・8】 そんな彼女がこの年齢まで独りなのは、彼女の意思なんやってことは一瞬でわかった。 ＊＊＊ どこが好きとかわからへんかったけど、吸い寄せられるように惹かれあった。 「村上くんのことなんてみんなどうでもいいんだからさ」

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【もう一度・9】 初めて会った焼肉屋で、流れでテーブルを一緒にした彼女は俺のらしくない愚痴を軽く笑い飛ばした。 ムッとした俺に対して、慌てたように続ける。 「ごめんごめん、悪い意味じゃないの！たとえば明日もし村上くんが芸能界引退しますって言ったとしたら。」

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【もう一度・10】 「それはそれは業界には多大な損害だし何万人というファンが泣くよ？」 縁起でもない例え話やけど、黙って続きを待つ。 「でもさ、福山雅治が結婚したショックで未だに仕事復帰できてない女性って日本に何人いると思う？福山雅治自身の芸能活動に何か大きな影響出てる？」

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【もう一度・11】 私は芸能界のことはわからないけど、と前置きして。 「村上くんの生き方に一生を左右されるのは村上くん自身だけなんだよ。どんなに人気者でも、他人はあくまで他人。そういう意味！」 豪快に笑って、ビールを流し込んだ。 悔しいけど、正論やと思った。

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【もう一度・12】 「村上くんってさ。最近泣いたの、いつ？」 『いつやろ…あ、丸と映画観てん。その時』 「その前は？」 『え〜、そんな泣くことないからなぁ…あ、あれちゃうかな。亮のドラマ』 「自分の意思で、泣いたのはいつ？」 『自分の意思？』

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【もう一度・13】 「それ、全部映画とかドラマとかに作ってもらった涙。自分の心で、泣いたのはいつ？」 何やこいつ。 『…わからへん』 大人なったらそういう機会も減るやん。 「つまんないの」 『何が』 「村上くんが」 は、何やねん。なんでそんなこと言われなあかんねん。

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【もう一度・14】 そう思ったけど、不思議と次の言葉を待ってしまう自分がおった。 「自分の人生なのに、自分の意思で生きればいいのに」 簡単に言うなや。 そう思ったけど、気づいた。 こいつも俺と一緒なんや。 そこから、世界が変わった。

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【もう一度・15】 生きたいように生きて、言いたいこと言って、やりたいことをやった。 "村上くん、最近楽しそうだね" 一緒に仕事する人にもそう言われることが増えた。 それはあいつも一緒やったと思う。 「次のプロジェクト、リーダー任せてもらえることになった」

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【もう一度・16】 『おー、良かったやん！』 「信ちゃんは？」 『俺は、特番の仕事もらった』 「すごい。MCは、信ちゃんがやりたかった仕事？」 『そう意識したことはなかったけど、期待に応えられる仕事をするんが今は1番楽しいかな』 「信ちゃん」 『ん？』

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【もう一度・17】 「私達、幸せだね」 ＊＊＊ あいつの見た夢が俺の一部に、俺の話す言葉があいつの一部に。 時には飾らない言葉で剥き出しの感情をぶつけ合う日もあった。あいつの前では、赤裸々に自分をさらけ出せた。

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【もう一度・18】 当たり障りない会話だけで穏やかに過ごす日もあった。 それでも俺らは、言葉がなくても怖いぐらいにお互いの考えてることがわかってた。 やからこそ、疲れきってもーたんかな。 ＊＊＊ 「もう、一緒にいない方がいいかも」 『俺もそう言おうと思ってた』

かおり @orange_shake_

【もう一度・19】 あいつに何も不満はなかった。 恋愛にメンタル左右されて仕事に影響することほど、カッコ悪いものはないと思ってきた。 俺らの仕事は特に、恋愛が仕事に直接影響する。 ええ仕事しとるのにそんなしょーもないことでダメになってった奴、何人も見てきとる。

かおり @orange_shake_

【もう一度・20】 このまんまやったら俺はきっと、ダメになる。 自分の力で立たれへんようになる。 仕事と恋愛のどっちが大事かなんてありきたりな質問、ナンセンスやとは思うけど。 それでも、それを選ばなあかん人間もおんねん。 『俺は、お前とは違う人間や』

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【もう一度・21】 「私だって、信ちゃんとは別の世界で生きてる」 『お前の人生やなくて、俺の人生を生きる』 「私の人生にとって、信ちゃんより大事なものがある」 『幸せやった』 「私もだよ」 ＊＊＊

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【もう一度・22】 ＊＊＊ "村上くん、これ次回の曲の楽譜。収録は再来週" 『了解ですー』 "じゃ、明日は9時ね。お疲れ様" ＊＊ 『ただいまー。ちー、ちゃんとお利口にしとったかぁ？』 ちー以外誰もいない静かな部屋。 今受け取ったばかりの楽譜を電子ピアノの上に置く。

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【もう一度・23】 あいつが唯一、残していったもの。 (これ、送ったらええ？) (ああ。これは信ちゃんにあげるよ) (いやええよ、借りてたんやし) (実はね、同じの自分で買っちゃったの) (ほな金だけでも、) (いらなーい。たくさん弾いてあげて？)

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【もう一度・24】 彼女は自分の持ってる全てを俺にくれようとした。 俺も、自分の全部をあいつにあげたつもりやった。 お互い、何一つ欲しがらんかったのに。 『うわ、結構難しそうやなこれ…』 あいつ、俺がテレビでピアノ弾くようになったん見てくれとるんかな。

かおり @orange_shake_

【もう一度・25】 おかげさまで、この電子ピアノも大活躍やで。 何回思い出してみても、あいつとの思い出は幸せなまま。 もう一緒におることはできんけど、もし、もう一度出会うことがあったら。 その時は、どんなこと話すやろ。 ピアノ、弾いたろかな。 どんな顔して聴くんやろ。