「小鷹信光さんを偲ぶ会」開催

3月29日(火)、明治記念館にて「小鷹信光さんを偲ぶ会」が開催されました。 会場には多数の関係者だけでなく、一般の方も駆けつけ献花するとともに、公開された著訳書やコレクションに見入っていました。関係者向けの会では翻訳者、編集者が多数集まり、当時の思い出を語り合っていたようです。 当日参加された方のツイートをまとめました。 なお、この会の段取りは、生前に小鷹さんがすべて決めていたとのこと。 続きを読む
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MoJoQ @mojo_quena

小鷹信光PBスクラップ・ブック、開始。 kodakanobumitsu.com

2016-04-01 09:13:15
minneco @minneco818

小鷹信光PBスクラップブックが始まりました~~~~。kodakanobumitsu.com

2016-04-01 18:47:57

小鷹信光氏の四十九日にあたって

最後に、時間を遡って、ほしおさなえ氏が1月25日に連投された四十九日を迎えてのツイートを。

ほしおさなえ @hoshio_s

今日は父の四十九日です。菩提寺が富山にあり、冬は雪で行くのがむずかしい土地のため、納骨は春、あたたかくなってから行います。そして、父の追悼特集の掲載されたミステリマガジン3月号も今日発売されます。昨晩雑誌が届きました。 pic.twitter.com/UKCFISjnRG

2016-01-25 08:51:28
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ほしおさなえ @hoshio_s

多くの方が追悼文をお寄せくださり、たくさんの人のなかで生きている父の姿を見ることができ、感謝しています。年譜や著作リストも作っていただき、過去の小説(探偵物語の短編)、翻訳、エッセイも再録され、前々号からの連続企画「小鷹信光ミステリマガジン」最終号も掲載されています。

2016-01-25 08:55:48
ほしおさなえ @hoshio_s

父が肝臓の異常値で緊急入院したのは去年の春。同じころ、母も腸の病気で倒れ、同じ病院で手術を受けました。そのときはまだ父の方は自覚症状もなく元気で、待合室で母の手術が終わるのを待っていたとき、わたしの娘に「昨日夜寝る前にこうやってお腹に手をあててね、お腹さんとお話ししてたんだよ、

2016-01-25 08:59:51
ほしおさなえ @hoshio_s

『お腹さん、お腹さん、今までずーっと働いてくれてありがとうね』って。でも、人間、死ぬときはみんなひとりだからね」と言っていました。父の方はそのとき検査の結果待ちの状態で「はっきりしたことがわかったら、もうこんなふうに元気ではいられないかもしれないなあ」とも言っていました。

2016-01-25 09:02:55
ほしおさなえ @hoshio_s

数日後、癌の告知があり、余命は半年程度、一年はない、と言われました。そのころ、病院の庭には(ソメイヨシノでない)桜が満開で、告知を受けた帰り、来年父があの花を見ることはないのだなあ、と思いました。

2016-01-25 09:06:14
ほしおさなえ @hoshio_s

母は完治し、父は胆道ドレーンをつけたことで肝臓の数値は下がり、治療はできないということで退院し、その後は自宅療養となりました。わたしは、自分にはできることはなにもないけれど、できるだけそばにいて、仕事で手伝えることは手伝おうと決めました。

2016-01-25 09:07:23
ほしおさなえ @hoshio_s

父は余命と言う言葉を嫌い、先のことは神様しかわからない、と言いながら、仕事を続けました。父の書斎でコピーや切り貼りを手伝っていると、子どものころ父を手伝ったときのことを思い出したりもしました。なごやかな時間でしたが、父は分かち合えない孤独を感じていたのかもしれない、とも思います。

2016-01-25 09:13:10
ほしおさなえ @hoshio_s

ときどきいらいらしたり、ふさいいだりすることもありましたが、父はずっとおだやかで、前向きでした。いま母も妹もわたしも元気に過ごせているのは、父のやさしさのおかげだなあ、と思います。やらなければならないことももろもろありますが、今日は追悼号を読みながら、父を偲ぼうと思います。

2016-01-25 09:18:28
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