4月29日 三笠の昔話
- senkan_mikasa
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今日は、露国の作家アレクセイ・ノヴィコフ=プリボイさんの命日(1944)です。 日本海海戦での露戦艦オリョール乗組経験と生き残った水兵たちへのインタビューを基に小説「バルチック艦隊の最期(原題:『ツシマ』)」を著し、露側から見た日本海海戦を伝えています。 #三笠の昔話
2016-04-29 21:36:51小さな頃、世界を旅する船乗りを夢見たプリボイさん。兵役の配属先にクロンシュタット軍港を希望し毎日軍艦を眺めて過ごす傍ら、母の薦めで日曜学校に通い読み書きを覚えました。 以前触れたように当時の露兵は識字率が低く、読み書きできる兵は珍しかったのですが… #三笠の昔話
2016-04-29 21:44:30読み書きできると、自ずと世間の矛盾に気がついてしまうわけで。 日露戦争開戦前、プリボイさんは思想犯として逮捕されてしまいました。この時は幸い決め手がなく釈放となり、兵役期間も終わりかけていたため、ご本人はその後は大学に入り小説家になるつもりでいたそうです。 #三笠の昔話
2016-04-29 21:50:08ところがプリボイさんを目の敵にしていた軍上層部が、突然プリボイさんを今からまさに極東に向かわんとするバルチック艦隊の水兵にしてしまいました。(プリボイさんは本来陸兵) こうしてプリボイさんは、思わぬ形で子供の頃の夢のとおり世界を旅することになってしまったのでした。 #三笠の昔話
2016-04-29 21:54:42露海軍は身分差別が凄まじく酷かったことで有名です。 プリボイさんは読み書きができたので主計兵となり、水兵はもちろん、士官、時には艦長・副長などの高級士官とも接していたことが小説からもわかりますが、その雰囲気は極めてギスギスしたものだったことが窺えます。 #三笠の昔話
2016-04-29 22:04:49ご存じの通りバルチック艦隊は潰滅、戦艦オリョールちゃんは降伏して生き残ったプリボイさんたちは捕虜になりました。 プリボイさんは熊本の収容所に送られ、そこで自分の体験を綴り始め、さらには他の水兵たちの聞き取りも始め、こうしてできたのが小説「バルチック艦隊の潰滅」。 #三笠の昔話
2016-04-29 22:13:32当然露海軍側は面白くないわけで、プリボイさんは当局に睨まれることになり、プリボイさんもそれを避けて亡命。 今度こそ本当に船乗りとなり、その傍ら再び小説を書き始め、文豪ゴーリキーの薦めで1932年に出版した「バルチック艦隊の潰滅」が大ヒット。 #三笠の昔話
2016-04-29 22:19:31こちらは、先日亡くなったとある方から譲り受けた、日本語版の第五刷(1972)。帯を見ますと、NHKのラジオ朗読で大ヒットし、初版から半年程度で重版してますから、日本でもかなりヒットしたんでしょうね。 #三笠の昔話 pic.twitter.com/tZfdVwfEt9
2016-04-29 22:30:47こちらの本には、日本側で所蔵されている鹵獲後の戦艦オリョールちゃんの写真が掲載されています。 #三笠の昔話 pic.twitter.com/4zUv91WNps
2016-04-29 22:35:23プリボイさんは収容所時代に地元の通訳の妹さんと懇ろになったそうで、日本人のインタビューに応え当時を懐かしむなど、日本に強い愛着があったことがあとがきに記されています。 敗れた敵兵すら懐かしんでくれる国、それが日本だったのです。 #三笠の昔話
2016-04-29 22:39:45今日は昭和天皇の誕生日(1901)です。戦前の昭和期では、「天長節」という祝日で、四大節(四方節、紀元節、明治節、天長節)の1つでした。 2007年以降、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日として「昭和の日」とされました。 #三笠の昔話
2015-04-29 19:58:04戦前ですとこの日は日本各地で祝賀行事が行われ、パレード等も行われていました。 それを狙った「上海天長節爆弾事件」というテロ事件も起きています。この事件では、大陸方面を担当する第三艦隊の司令長官だった野村吉三郎中将が重傷を負っています。 #三笠の昔話
2015-04-29 20:03:25で、将官ネタ。 今日は、海軍大将黒井悌次郎提督の命日(1937)です。 旅順攻略戦では、海軍陸戦部隊の重砲隊を指揮し旅順要塞攻略に貢献しました。 #三笠の昔話
2015-04-29 20:11:24日露戦争前には、英国等へ大量に発注した戦艦・巡洋艦・駆逐艦の建造進捗管理・回航手続きなどを一手に仕切り、能吏として大きく評価されました。また、旅順攻略戦での戦果もあり、普通ならこのまま出世・・・のはずでしたが。 理由は不明ですが、予備役直行コースを驀進。 #三笠の昔話
2015-04-29 20:21:02シーメンス事件の後の山本権兵衛大臣失脚の後を襲った八代提督の人事で、同期の野間口、栃内両提督ともども大将に昇格して再び返り咲くかと思われましたが、やっぱりそのまま楽隠居コースを驀進。 なぜでしょうね・・・・なんか問題があったのかなあ・・・ #三笠の昔話
2015-04-29 20:23:34