牢人さんいらっしゃい(大坂夏の陣2016、八尾・若江編)

八尾・若江での仮想実況と簡易紹介
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伊達 政宗 @bot_dt_masamune

大坂夏の陣、長宗我部元親の娘を母に持つ佐竹忠次郎が伊達に捕えられた。 政宗は顔を見ると「ただ者じゃない」と思い家臣の家に嫁がせる。 彼は後の伊達騒動で伊達家を救おうと奔走するが長宗我部の誇りも忘れず香宗我部氏が牢人した際は伊達家への仕官を取り持った。 その名も柴田外記である

2016-04-30 01:09:08
戦国史bot @bot_1059

長宗我部盛親 ……… 1575~1615 長宗我部一門。元親の四男。1599年当主となるが、関ヶ原の戦いで西軍に属し、所領を没収される。その後京都で寺子屋を開いていたが、1614年豊臣秀頼の招きで大坂城に入り、大坂の陣で奮戦。夏の陣の後、捕えられて処刑された。

2016-05-01 20:57:41
東北戦国武将bot @tohokusengoku

~柴田外記の生い立ち~ 伊達騒動で原田甲斐に斬られた伊達家臣柴田外記宗意は元を佐竹忠次郎といい、少年時代に大坂夏の陣にて伊達家に保護されたが、その素性は長宗我部家臣佐竹親直の子で、母は長宗我部元親の娘であった為、元親の外孫にあたる。

2016-05-02 18:14:44
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6】ご挨拶 こんばんは。いつもご愛読いただきありがとうございます。だいたい戦国紹介botでございます。さて、皆様もご存じのとおり、遡ること1615年の今頃、武の時代の終焉を告げる戦国最後の戦・大坂夏の陣は最終局面を迎えていました。 #戦国 #夏の陣

2016-05-06 00:00:45
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 子の下刻/大坂】 戻って運命の5月6日深夜。昼間の暑さから一遍、夜に入って急激に温度が低下したことによって、湿地帯を多く有していた摂河泉の大地には濃い夜霧が立ち込めていた。勝機の行方を晦ますように。―大坂落城まで残り2日。

2016-05-06 00:30:12
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 子の下刻/大坂城】長曾我部盛親の出陣 悪天候を押して長曾我部盛親、増田盛次らが一万の兵を率いて大坂城を出陣。すでに道明寺方面へと出立していた後藤隊、真田隊とは異なる八尾方面へと兵を進めた。敵に大軍と悟られぬよう提灯ひとつのみで進軍したという。

2016-05-06 01:00:29
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 子の下刻/大坂城】長曾我部盛親の奇策 道明寺方面から徳川軍迎撃を狙う後藤・真田隊に対して、盛親はあえて足取りが悪く進軍しづらい沼地の八尾方面へと出陣し、敵の裏をかいて徳川本隊を側面から奇襲するという作戦を描いた。

2016-05-06 01:05:02
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 丑の刻/大坂城】木村重成の出撃 長曾我部盛親や増田盛次らと同じく、八尾方面への進軍を予定していた木村重成であったが、兵の集結や軍備などに手間取り、先行していた長曾我部隊や増田隊から大きく遅れて、大坂城を出撃した。

2016-05-06 01:45:18
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 寅の上刻/若江】木村重成の失態 長曾我部盛親に遅れて八尾方面へ向かった木村重成隊だったが、濃霧や湿地帯での進軍行動に苦戦。熟練の長曾我部盛親らに比べて指揮に不慣れな木村重成はさらに遅れをとり、先行部隊を見失ってしまう。

2016-05-06 03:30:18
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 寅の刻/若江】木村重成の進路 先行しているはずの長宗我部盛親隊を見失った木村重成は八尾方面へ進軍していたものの、入り組んだ沼地によって進軍を阻まれる。やむなく木村隊は長曾我部隊の進路よりも北の若江方面へ進路を変更した。

2016-05-06 04:10:17
かずき @simpson1314

@ChoMorichika 夜分遅くに失礼します。 かずき と申します。 6月に舞台で「盛親」役を頂きました。よろしければ応援して下さい。 それと、 八尾の戦い、頑張ってください!!! 応援してます!

2016-05-06 04:18:38
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 寅の下刻/若江】木村重成の索敵 若江への進軍中、幕府軍の先鋒を務める藤堂高虎隊を目と鼻の先に補足するが、藤堂隊がこちら側に気付いた様子もなかったため、長曾我部隊へ任せることにしてこれを無視。濃霧の中を若江方面へ急いだ。

2016-05-06 04:35:03
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 寅の下刻/八尾】長曾我部盛親の着陣 八尾方面へ進出した長曾我部盛親隊は、木村重成隊が向かった若江から見て南側に位置する久宝寺村付近に到着。家臣の吉田重親を先鋒を命じ、敵の様子を探らせに更に進軍させた。

2016-05-06 04:40:19
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 寅の下刻/若江】木村重成の布陣 鶏鳴の時刻、八尾方面から進路を変更し、若江付近に到着した木村重成隊は部隊を三つに分けて布陣。北の奈良街道から南に位置する幕府軍藤堂隊まで、警戒線を広く構えて、戦闘に備えた。

2016-05-06 04:55:18
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 卯の上刻/八尾・若江】藤堂高虎の不覚 小松山方面からの銃声を聞きつけた藤堂高虎隊はこの戦闘の救援に向かうべく兵を進めていたが、目前にも敵勢が迫っているとの報告を受ける。濃霧のために敵の発見が遅れた藤堂隊は急ぎ戦闘態勢を構えた。

2016-05-06 05:10:19
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 卯の上刻/若江】井伊直孝の独断 道明寺方面を目指して行軍していた幕府方の井伊直孝隊だったが、若江方面に敵を察知。父の直政の代からの老臣達の「予定通り道明寺方面へ向かうべき」という進言を退け、若江方面へ兵を進めることを決定した。

2016-05-06 05:15:17
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 卯の上刻/八尾・若江】藤堂良勝の危惧 藤堂高虎隊は敵を捕捉したものの、勝手な戦闘は慎めとの命令が下っていたため、高虎は将軍に戦闘開始の許可を得ようとしたが、藤堂良勝が「敵は両将軍本陣を狙っていると考えられるため、直ちに攻撃するべき」と進言。

2016-05-06 05:20:17
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 卯の上刻/八尾・若江】藤堂高虎の采配 藤堂良勝の進言を受けた藤堂高虎は目前に迫る豊臣軍に先制攻撃を仕掛ける。藤堂良重・藤堂良勝を木村隊へ、藤堂高吉・藤堂家信を増田隊へ向かわせ、高虎本隊は長曾我部隊へ攻撃。道明寺に遅れて、八尾・若江の戦いが開戦された。

2016-05-06 05:25:19
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 卯の上刻/若江】藤堂良重の突撃 豊臣軍の接近を受けて、藤堂良勝隊は若江方面の木村隊へ攻撃を開始。副将の藤堂良重は敵を奇襲攪乱すべく単騎で敵部隊へ突撃したが、すでに臨戦態勢にあった木村隊の返り討ちにあって負傷。撤退するも、まもなく絶命した。

2016-05-06 05:35:17
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【藤堂良重】藤堂家臣。良政の三男。父が関ヶ原合戦で島清興に討たれた後、兄の病没に伴って家督を継いだ。大坂夏の陣の若江の戦いでは藤堂良勝の副将として藤堂隊先鋒を務めて単騎で敵陣に突入したが、木村重成の猛攻の前に討死を遂げた。その死様は主君の藤堂高虎から「手柄の討死」と評された。

2016-05-06 05:40:08
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 卯の刻/若江】藤堂良勝の奮戦 副将の藤堂良重を失った藤堂良勝隊だったが、藤堂良勝隊は退くことなく木村隊に更なる攻撃を仕掛け、数倍に及ぶ木村隊相手に奮戦した。木村隊は藤堂隊へ銃撃を開始し、藤堂良勝もこれに応戦、戦闘は銃撃戦へと持ち込まれた。

2016-05-06 05:45:18
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 卯の刻/八尾】吉田重親の苦戦 霧の中、増田隊を討つべく進軍した藤堂高吉隊は長曾我部隊先鋒の吉田重親隊と遭遇し、銃撃を開始する。長曾我部盛親へ敵と遭遇した旨と援軍要請の伝令を送ると、これに応戦したが、武装の薄い吉田隊は一方的に攻めたてられる。

2016-05-06 05:50:17
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/6 卯の刻/八尾】長曾我部盛親の先鋒 先鋒に大兵力を率いらせる近代戦法に対して、土佐の兵法は遅れており、先鋒を物見程度にしか考えていなかったため、長曾我部盛親隊先鋒の吉田重親隊の装備は薄く、敵の銃撃に応戦するための火器すら持ち合わせていなかった。

2016-05-06 06:00:23
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【実況 #大坂の陣 5/7 卯の刻/八尾】吉田重親の抵抗 長曾我部盛親は吉田隊からの伝令を受けると、救援部隊を送り出すが、圧倒的な戦力差の前に吉田重親隊はすでに壊滅。吉田重親は藤堂家信と組打ちに及んだ末、家信の膝を負傷させるものの、あえなく討死を遂げた。

2016-05-06 06:05:17
だいたい戦国紹介bot @sanrakuken

【吉田重親】長曾我部家臣。貞重の子。譜代の長曾我部家臣であったが、関ヶ原合戦で主家が西軍に属したことから改易された際には浪人となるも、長曾我部遺臣が蜂起した浦戸一気には従わなかった。大坂の陣が勃発すると、長曾我部盛親に従って入城。八尾の戦いで先鋒を務めたが、討死を遂げた。

2016-05-06 06:10:11
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