20160516茶の助さんの『キュッチャニア内戦』

(ヽ´゜ω゜)まとめた
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茶の助 @tyanosuke

キュッチャニアではない過去に内戦が行われたことがある。東キュッチャニア独立自治政府と西キュッチャニア共和国に分裂した『キュッチャニア内戦』である。

2016-05-16 09:10:59
茶の助 @tyanosuke

@tyanosuke モモンガさんたちのお狐様信仰の違いが内戦の原因である。もともとも西部では過去の守護神として崇められており、東部では来るべき救世主として信仰されていた。この違いは埋め難かった。

2016-05-16 09:19:57
茶の助 @tyanosuke

@tyanosuke 内戦の直接的な原因はキュッチャニア中央に位置する都市エゾモモン市における祭事の扱いをめぐって両陣営がどんぐりを投げ合ったことによる。なお現在でもどちらが先に投げたのかはっきりしておらずタヌキスタンによる陰謀説もある。

2016-05-16 09:22:50
茶の助 @tyanosuke

@tyanosuke 西キュッチャニアは東側の支援を、東キュッチャニアは西側の支援を受けながら戦闘を続けキュッチャン総統は蚊帳の外であった。

2016-05-16 09:24:44
茶の助 @tyanosuke

@tyanosuke もともともモモンガさんたちは戦意に乏しく国際的にも価値のある土地ではなかったため外国勢力の本格的な介入のないまま数年が過ぎた。

2016-05-16 09:26:35
茶の助 @tyanosuke

@tyanosuke 戦局がこう着状態の中それは突然起きた。離島に逃げていたキュッチャン総統が突如足こぎボートで帰国したのだ。

2016-05-16 09:29:02
茶の助 @tyanosuke

@tyanosuke 帰国したキュッチャンを東西両陣営両陣営は棒で叩いた。しかしキュッチャン総統はめげなかった。「私を叩くことでモモンガさんたちが戦いをやめられるのなら喜んで叩かれよう」のちにエゾモモンの演説で知られる一句である。

2016-05-16 09:31:12
茶の助 @tyanosuke

@tyanosuke この演説によって再度キュッチャニアは統合され現在のキュッチャニアとなった。またモモンガさんたちはキュッチャン総統の高潔さに深い感銘を受けた。ここに棒で叩かれつつも愛されるキュッチャンが誕生したのである。

2016-05-16 09:34:13
茶の助 @tyanosuke

@tyanosuke お気楽に見えるキュッチャニアも決して平坦な道を歩んできたわけではないことがわかるだろう。(茶の助著 モモンガブックス刊 「キュッチャニアの歴史」より)

2016-05-16 09:35:55
茶の助 @tyanosuke

仕事休みだから朝キュッチャン決めてみた

2016-05-16 09:36:34
茶の助 @tyanosuke

おれは休みの朝から何をしてるんだろうか

2016-05-16 09:38:20
茶の助 @tyanosuke

感想お待ちしております

2016-05-16 09:38:53