ゲームが見る夢、ユーザーが見る夢に寄せて

ゲームが見る夢、ユーザーが見る夢というツィートに寄せて。 たとえば車で言えば全人類が小型車やエコカーに向かう必要はない。 車は人を安く遠くへ人を運ぶという目途も、運転そのものが楽しいという目途も、地上で世界最速で人を走らせるという目途も持つ。 それらに優劣などつけられない。当然、シェアだけが全てなら絞れるけれどね。しかし車同様、ゲームにはそれぞれがそれぞれに担うべき夢というものがあるんだ。ひとつに引っ張られることはない。 道は一本きりにする必要はない。 続きを読む
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企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

.@miyayou 全てのゲームがユーザーに寄り添うなどと言う考え自体が傲慢だ。車と同じで移動して観光したい人間はスポーツカーの性能は無意味に思えるし、置いて行かれた気持ちになる。マッスルカーやスーパーカーの進歩にも興味は無かろう。だが日常のためには乗らない車にも意味はある。

2011-02-14 22:42:59
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

ゲームとしてゲームを論じるからややこしいのだ。ゲームはそのうちゲームではなくなると考えれば良いんだ。娯楽ではあるが、ゲームという枠では捉えられないものへと進歩してゆく道筋は、絶対に残さなくてはならない。なぜなら人にできる体験には限界があるが、そういった仮想体験は限界がない。

2011-02-14 22:48:26
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

現実の人生では人は容易に死ぬことができないし、他を傷つけることもできない。痛みを伴い、リスクを伴う体験をすることは人生への大きなダメージがある。過去、未来、数万光年離れた土地の今のできごとなど、時空を超越した体験をすることもできない。しかしそれが可能だ、仮想の体験ならば。

2011-02-14 22:50:57
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

無論エンターティメントという枠の中の仮想で済むからこそ出来る体験ではあるが、今の人生だけでは得られない経験は人間に大きな影響を及ぼすだろう。そういう意味で将来的には現実と仮想はならされて地続きになってゆく。遊びじゃない遊びが人生を広げてゆく。いまはその入口に立っている。

2011-02-14 22:54:59
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

多様、分化してゆけばいいのだ。人生の隙間を潰すゲームと、人間同士が出会うきっかけになるための場のゲームと、人生を拡張させる体験のゲームと。それら全てが融合することはない。目途が違いすぎる。まったくの別物だ。

2011-02-14 22:59:14
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

そうですね。さんくす。^^ RT @yas_kawamura 全てのゲームがユーザーに寄り添うなどと言う考え自体が傲慢だ。車と同じで移動して観光したい人間はスポーツカーの性能は無意味に思えるし、置いて行かれた気持ちになる。…

2011-02-14 23:01:11
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

テトリスやスーパーマリオ、ドンキーコングは確かに面白く満足できるが、そういったゲームは人生に何らかの影響を及ぼすというメッセージ性は目的として持っていない。より高尚か下等かという話ではなく、遊びとしての用途が違うものだ。

2011-02-14 23:09:38
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

さてでは、トゥギャッタのコメントサルベージします。

2011-02-17 14:18:45
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

これは本当によく誤解されるんだけれど、フィクションのリアリティ=現実世界に精密に似せることが混同されているのは大きな認識の誤りですよ。フィクションのリアリティというのは「現実と似ている、似ていない」という事には軸がない。

2011-02-17 14:19:59
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

「そのフィクション(架空)が受け容れられるかどうか」がリアリティのあるなし。

2011-02-17 14:20:06
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

ゲームの仮想空間を精密に描くことが面白さを失わせるというのもナンセンス。ゲームは現実世界のシミュレーターではないが、フィクションの空間をシミュレートするものではある。

2011-02-17 14:20:57
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

仕組みのゲームにはもちろんそんな要素は必要ないが、体験するためのゲームでは重要。ゲームの仕組みを遊ぶゲームと世界体験ゲームがごっちゃになるからおかしいんだ。

2011-02-17 14:21:05
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

ある人間、ある生命体のある体験を、成り代わって楽しむ事を目的の軸としたゲームが既に存在している。そういったゲームの場合はゲームの仕組みというものはただのデバイスで、そこに目新しさは必ずしも必要ないし、絞ったり誇張したりする必要もない。

2011-02-17 14:22:04
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

楽しい体験をするための便利で扱いやすいこなれたシステムがあればいい。そういうゲームの軸は表現やAIや物理が生み出す体験やドラマが軸だ。

2011-02-17 14:22:18
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

膜の話は俺も良く分りません。「とことんリアルな異世界を画面越しに見てる方向」というのは、その世界にインタラクションできていない(水族館をながめるシーマンみたいなゲームもあるだろうけど、ゲームの主流として語れる分野ではない)。

2011-02-17 14:23:26
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

異世界を画面ごしに見るのではなく、異世界に頭を突っ込んでいこうという方向がいわゆるハイエンドなゲーム。

2011-02-17 14:23:32
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

あと現実と仮想空間が有馬さんのいう意味での「地続き」になってしまったら、それは架空ではなく現実だ。何故なら人生に直接影響を及ぼす仮想空間は物質的に仮想や代替と言うだけで、エンターティメントのフィクションではなくなる。

2011-02-17 14:24:00
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

そういう「データ的現実世界」も来るかもしれないが、ゲームは拡張現実(AR)と近縁技術を持つと言うだけでそっちへ向かうことが目的ではないと思う。それについてはhttp://togetter.com/li/100985でも触れていますが、32hampさんの言うことに同意する。

2011-02-17 14:24:32
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

フィクションは自分の人生とは別のものだからね。だからこそ出来ることがある。

2011-02-17 14:24:42
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

ちょうど小野さんがいいインタビュー記事を引っ張ってくれたので貼っておきます。http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110131/218223/?P=4

2011-02-17 14:25:06
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

観念的なことを言うけれど、そこに膜があると認識している時点で夢じゃなくなっている。夢を見ていない。目が覚めている。

2011-02-17 14:25:43
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

ゲームに夢はある。俺がACTADVゲーム開発馬鹿であるが故の発言でもあるが、いまのハイエンド機における高い表現をもった体験アトラクション型ゲームというのは、人類史上初めて到達する領域に向かおうとしている。

2011-02-17 14:26:08
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

ある番組でいとうせいこう氏がボカロについてこういうような評価をしていた。かつては歌うこととは発声することと同意で、こう歌うんだという意思も人間の声帯の性能という限界によって縛られていた。

2011-02-17 14:26:27
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

しかしボーカロイドの出現により、歌うという意識(創造力)が発声することと言う肉体の行為と切り離され、自由を得た。これは人類史上始まって以来のことだ。

2011-02-17 14:27:14
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

と(バックコーラスとしての合成音声は昔からあったが、メインボーカルとしての合成音声の時代が来たことが重要である)。http://www.youtube.com/watch?v=Lm0KtK2kbmI

2011-02-17 14:27:31
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