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ゲームが見る夢、ユーザーが見る夢

ゲームが見る夢、ユーザーが見る夢、一つと一人が見る夢の関係を歴史的に考察してみました。これからのゲームのためにも。 時系列順は @_tarako さんがこちらにまとめてくださいました。^^ http://togetter.com/li/100971 続きを読む
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三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
かつて80年代のゲームはユーザーの想像を刺激する素材だった。僕らは何倍も拡大してゲームを味わっていた。僕らが夢見ていた。現在のゲームはゲーム自身の情報を受け手が解釈する。夢を見ているのはゲームであって、ユーザーはその夢を見ている。この違いがわからないと10年代のゲームは語れない。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】80年代のゲームはユーザーに夢を見せようとしていた。貧弱なハードの上から、最大限の情報を発信してユーザーを刺激しようとしていた。現在のゲームは、ゲーム自身の中で全てを実現できると思っている。CG,オーケストラ…ゲームは次第に、ゲーム自身が夢を見るメディアになった。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】プレイステーションはその二つの端境期だった。ゲームも、ユーザーも仲良く夢を見ていた。少々足りない表現はユーザーが頭の中で補完して、生まれたばかりの3DCGも賢明にユーザーのために踊っていた。しかし、ハードウェアの性能の向上は、ゲーム自身が見る夢を拡大するようになった。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】ユーザーの夢とゲームが見る夢、皮肉なことに、ゲームの表現が増せば増すほど、それはゲーム自身に夢になって行った。嗜好が先鋭化と固定化の一途をたどり、受け取ることのユーザーはますます限定されて行った。ユーザーは、より表現力のないメディアへの回帰さえ求めた。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】表現力の向上、ゲーム自身の見る夢の拡大こそがユーザーのためだと信じて疑わなかった10年を通じて、その結果を今一度反省せねばならない。次の10年にゲームをどのような方向に進化させて行くべきかを考えねばならない。ユーザーがもう一度ゲームと一緒に夢を見るにはどうすればいいのか?
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】ゲーム売り場に行けば、たくさんの映像や画像が流れている。ゲーム自身の見る夢が膨大な情報と共にユーザーに降り注いでいる。しかし、その情報に押し流されて遠ざかってしまうユーザーもいるのだ。つまり、そこには安心がない。夢をコントロールするのはゲームであってユーザーではないから。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】おそらく現在足りていないAIとプロシージャル技術の本格的導入をもってゲームが見る夢は完成するだろう。だがゲームが見る夢が完成した時、ゲームの前にユーザーがいるとは限らないのだ。次の10年にゲームが向かうべき道はどこだろう?ユーザーと共にあるゲームはどこだろう?
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】じゃあ、今、人々はどこで一番夢を見ているだろう?コミック、アニメ、それともゲーム、ARG、ボードゲーム、携帯電話、携帯ゲーム機?ふと気がつくと、そこには明確な答えがないことに気付く。平準化された情報社会は、情報の中で夢を見ることを奪ってしまったのだろうか?
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】かつてコンピュータが珍しかった時代に、ゲームは深い井戸の中の世界のように存在した。僕たちはそこに出入りすることで子供のように冒険をしていた。しかし情報社会は井戸を埋めて、デジタルで社会を平準化してしまった。かつてのような井戸は作れないし、井戸は掘ってもすぐに埋まってしまう
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】深い井戸を掘ることをやめて、浅い仕掛けを繋いだゲームがソーシャルであり、軽いMOゲームだったりする。コンソールではなくて携帯ゲーム機のコミュニケーションであったりする。現代の情報社会で、一箇所の情報井戸に入ることは危険なのだという意識がどこかにある。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】常に浅瀬をめぐりながら、彼方こなたからやって来る情報に目を光らせていなければならない(何のために?)。ツイッターや FACEBOOK は、そんな浅瀬のコミュニケーションを実現した、薄く広いつながりで、ここに人が集まるのは、ごく自然なことだ。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】だから、もし、ツイッターから始まる巨大MMOPRGがあっても、人はそこに入り込まずに浅瀬でたゆたうだけだろう。深い井戸に入り込むことは、大きくて薄いコミュニケーション層から逸脱してしまうからだ。僕たちは、そういう意味で、薄くて巨大な膜の中に囚われてしまっているんだ。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】ゲームは深くて大きな物語を提供したい。しかし、社会はますますどこまでも薄く広い膜の中に人々を閉じ込めようとする。逆に、この薄い膜の中でゲームを展開しようとするのがソーシャルゲームやコミュニケーションゲームであって、この水平方向の展開は、水平方向のゲームの可能性を示した。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】垂直(井戸)か?水平化か(ソーシャル)?もはや、どんな深い井戸の吸引力も、薄い膜に囚われたユーザーを長い時間束縛することは、難しくなりつつある。ゲームを長時間すること自体、危険だという意識さえある。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
【承前】次の10年でヒットするゲームは、この状況で、再び大きな穴(ボイド)を作ってユーザーを引き付けるゲームなのか、それとも限りなく薄く広がって行くゲームなのか、それともこの両者の融合か、全く違う次元から展開されるゲームがあるのか、僕はみんなと考え始めたい。(おしまい。さんくす)
浮田 @floatune
@miyayou 絵画の歴史において、写真の登場によりリアルさへの追求が廃れて印象派が生まれた経緯を考えると、ビデオゲームのデザインも転換期に来ているのかもしれません。
yemerablue @yemeue
@miyayou 今、というか10年位前からそれをある意味果たしつつあるのは東方なんだと思いますが。二次創作がひとつのユーザーとゲームの共有点だと思います。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura
.@miyayou 全てのゲームがユーザーに寄り添うなどと言う考え自体が傲慢だ。車と同じで移動して観光したい人間はスポーツカーの性能は無意味に思えるし、置いて行かれた気持ちになる。マッスルカーやスーパーカーの進歩にも興味は無かろう。だが日常のためには乗らない車にも意味はある。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
東方はうまくユーザー自身が夢見るようにしているよね。そこは勉強になるね。 RT @yemeue 今、というか10年位前からそれをある意味果たしつつあるのは東方なんだと思いますが。二次創作がひとつのユーザーとゲームの共有点だと思います。
chiyama @chiyama
@miyayou 昔の、ドットざらざらで情報量が少ないゲームの方が想像力を掻き立てて面白かったです。リアルだから面白いゲームもある(GTとか)けど、リアルじゃダメなゲームもあると思うんですよ。
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
印象派誕生のためには写実の完成が必要だったように、今が次を産みだす母体になっている。その兆候はそこかしこにある。産みの苦しみが来る。RT @floatune 絵画の歴史において写真の登場によりリアルさへの追求が廃れて印象派が生まれた…ビデオゲームのデザインも転換期に来ているのかも
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
そうですね。さんくす。^^ RT @yas_kawamura 全てのゲームがユーザーに寄り添うなどと言う考え自体が傲慢だ。車と同じで移動して観光したい人間はスポーツカーの性能は無意味に思えるし、置いて行かれた気持ちになる。…
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou
リアルが想像を駆き立てないわけではない、と思う。そこに可能性があるのか? RT @chiyama 昔の、ドットざらざらで情報量が少ないゲームの方が想像力を掻き立てて面白かったです。リアルだから面白いゲームもある(GTとか)けど、リアルじゃダメなゲームもあると思うんですよ。
chiyama @chiyama
@miyayou 多分そこまで行くと別な感覚になりそうですね。例えるなら画家の作品を見て、タッチから息吹を感じたり、当時キャンパスの前に立った画家の存在感を感じるようなものになりそうです
SiFi-TZK @SiFi_TZK
.@miyayou さんのつぶやきが面白ぇな。たぶんこれ、「ゲーム」の話じゃない。これを「ゲーム」の話として自らに引きつけて考えてるのがたぶん最近の任天堂。ゲームの「あちら側」ではなく、「こちら側」のエンタメ。WiiFITやトモダチコレクション。
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コメント

企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月14日
「ゲームが見る夢、ユーザーが見る夢に寄せて」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/100985
inatak @inatak 2011年2月15日
格ゲーキャラに、ゲームには関係ない趣味や好きな食べ物まで設定しちゃってるのも、プレイヤーから夢想する楽しみ奪っちゃってるんでしょうね。
橋本 新義 @Shingi 2011年2月15日
ゲームの見る夢というのは流石で、楽しい視点だと感じました。個人的には、これからは「説得力があるからこそ付けるウソ」がひとつのキーワードではないかと感じます。物理演算を異常重力や無重力表現で使うといった感じで。
橋本 新義 @Shingi 2011年2月15日
あと、ゲーム周辺での話題の広がりや、そこで見られる不思議の探求なども興味深いと思います。私のまとめで恐縮ではありますが、パックマンのクッキー問題( http://togetter.com/li/49869 )や、これからのアドベンチャーゲームで出てきそうな3D立体視文字( http://togetter.com/li/25708 )の夢想などは、少なくとも私にとってはかなりワクワクできる議題ですね。
S.A.M. @SAM_tak 2011年2月15日
>格ゲーキャラに、ゲームには関係ない趣味や好きな食べ物まで設定しちゃってるのも、プレイヤーから夢想する楽しみ奪っちゃってるんでしょうね。 うーん、それは逆じゃないかな。想像のとっかりを与えてるわけで
ゐっちやん @icchan_s 2011年2月15日
ゲームが遊びを追求する時代から、リアリティを追求する事が主流になってから、おかしくなってきた気がする。ゲームはリアルのシミュレータではないし、すべてを描くことがいい事とは思えない。演出上、映像などの表現をせずに何があったか考えさせるような事も必要だと思う。
keso @Kesomaru 2011年2月15日
見た目がうかつにリアルになったので逆にややこしくなったけど、ゲームはずーっと切り取られて誇張された「体験」を娯楽として提供してきたと思います。切り取れなかった角度から大胆に切り取れるようになることはあっても、その根本は変わらないと思います。
ひづめ@新作SRPGのSwitch版発売中 @hdm_tw 2011年2月15日
どんなに表現力が高くなり広がっても、ゲームとしてのインタラクティブ性の提供だけは忘れないでほしいと思います プレイヤーが何らかの形で介入・体験できるところはゲームが持っている大きな魅力なのですし
keso @Kesomaru 2011年2月15日
あと、技術の進化で選択肢が増えるのはいい事だが、ファミリーカーにF1エンジンを積んでは、目的と手段がなんとやら。ラーメンを食べたいお客には、客のサイフに合わせた額で、お客が満足「+α」の"ラーメン"を出すべきで、こっちのほうがウマイだろと言ってオリジナルの謎料理を押し付けようとしても、客は帰ると思う。
すいどうばし @kamikyoku 2011年2月15日
リアル志向路線においても要求される技術が高くなりすぎて、実現できてない中途半端な出来のゲームが大半。グラフィックの進歩と競争がいつのまにかゲームの首を自分で絞める結果になったというのは皮肉なことです。
inatak @inatak 2011年2月16日
>うーん、それは逆じゃないかな。想像のとっかりを与えてるわけで ・・・それもそうかもしれないとも思う。
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
「夢・コンピューター・ゲーム・人工知能」 http://togetter.com/li/71640 の元ネタの有馬でございます(思考の一助になれてうれしいので、たぶんずっと言い続けるw) 薄い膜/濃い膜というわかりやすい例えだったので、コメントしてみます。
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
たぶん「とことんリアルな異世界を画面越しに見てる」方向と、「たえず隣にいるゲーム世界」の2方向になると思ってます。濃い膜/薄い膜ですね。で、いつかこの膜が壊れるべきじゃないのかな、と。つまり膜がない。もう現実世界にだだ漏れなゲーム世界。
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
薄い膜方向。たとえばあらゆるデバイス/サービスで私たちはコミュニケーションを取っています。それと同じようにひとつのゲーム世界へあらゆるデバイス/サービスで人と同じようにコミュニケーションを取り、その上で「遊び」を構築したらどうか。そんな「膜の質」を変えてみるという試しがひとつ。
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
濃い膜方向。ひたすらリアルを突き詰め、あまりに現実世界過ぎてつまらないぐらいになるとすると、デバイスが投影しているかどうかで、ゲームか現実か認識できるようになる。AIなどいろいろ障害はあれど、たぶんこれが最後の膜となる。フレームがあるからああゲーム世界なんだなと認知できる、と。
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
もしこうした膜の質が変えられたり、膜が薄皮一枚になった果てがあったとしたら、次は膜が破れますよね。NPCのAIがアンドロイドになって現実世界でゲームを進行したり、ゲーム世界と現実世界が交互に連続してまったく混乱するような世界。これが薄くても濃くてもゲームの進化の行き着く先だと思います。
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
私はいまのところ薄い膜方向で模索していて、膜の質を変えられるように考えています。I/F、操作系、見せ方、遊ばせ方などなど、いろいろ膜の質は変えられると思うんです。
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
質が変われば、弱いAIでも少し強めなら人と認知できるかもしれない。140字以内のやり取りに制限すればチューリングテストを合格できるかもしれない的な。AIを人のレベルまで上げるのは難しいけど人全体の行動に制限をかけてあげれば、いまあるAIでも何とか人と認識できるほどになれるんじゃないのか、とか。
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
なんかこんなネタでいろいろな人と座談会でもやっていただければ、ぜひぜひw
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年2月16日
膜理論は初めて聞いたので、見当外れかもしれませんが、膜が破れたらまずいんちゃうかなぁと…… 極論を言えばゲームしてるつもりで人殺してたらシャレにならんし…… 
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年2月16日
ゲームの楽しみの一つに、間違いなくインモラルな部分はあるので、膜破っちゃうと、こっちを封印しないといけないの……かな? 膜理論がいまいちよくわからないです。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月16日
これは本当によく誤解されるんだけれど、フィクションのリアリティ=現実世界に精密に似せることが混同されているのは大きな認識の誤りですよ。フィクションのリアリティというのは「現実と似ている、似ていない」という事には軸がない。「そのフィクション(架空)が受け容れられるかどうか」がリアリティのあるなし。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月16日
ゲームの仮想空間を精密に描くことが面白さを失わせるというのもナンセンス。ゲームは現実世界のシミュレーターではないが、フィクションの空間をシミュレートするものではある。仕組みのゲームにはもちろんそんな要素は必要ないが、体験するためのゲームでは重要。ゲームの仕組みを遊ぶゲームと世界体験ゲームがごっちゃになるからおかしいんだ。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月16日
ある人間、ある生命体のある体験を、成り代わって楽しむ事を目的の軸としたゲームが既に存在している。そういったゲームの場合はゲームの仕組みというものはただのデバイスで、そこに目新しさは必ずしも必要ないし、絞ったり誇張したりする必要もない。楽しい体験をするための便利で扱いやすいこなれたシステムがあればいい。そういうゲームの軸は表現やAIや物理が生み出す体験やドラマが軸だ。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月16日
膜の話は俺も良く分りません。「とことんリアルな異世界を画面越しに見てる方向」というのは、その世界にインタラクションできていない(水族館をながめるシーマンみたいなゲームもあるだろうけど、ゲームの主流として語れる分野ではない)。異世界を画面ごしに見るのではなく、異世界に頭を突っ込んでいこうという方向がいわゆるハイエンドなゲーム。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月16日
あと現実と仮想空間が有馬さんのいう意味での「地続き」になってしまったら、それは架空ではなく現実だ。何故なら人生に直接影響を及ぼす仮想空間は物質的に仮想や代替と言うだけで、エンターティメントのフィクションではなくなる。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月16日
そういう「データ的現実世界」も来るかもしれないが、ゲームは拡張現実(AR)と近縁技術を持つと言うだけでそっちへ向かうことが目的ではないと思う。それについてはhttp://togetter.com/li/100985でも触れていますが、32hampさんの言うことに同意する。フィクションは自分の人生とは別のものだからね。だからこそ出来ることがある。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月16日
ちょうど小野さんがいいインタビュー記事を引っ張ってくれたので貼っておきます。http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110131/218223/?P=4
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
どんどん議論して欲しいですね。座談会まだかーw
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
膜にだけひとつ。ゲーム世界と現実世界を隔ててるもの。たとえば「人の手のシナリオ、現実世界にはないルール」、「機械ごしでのインタラクティブ感」などなど。そういうのが膜としてあるんじゃないのかなと。@miyayou さんの考えと違っちゃってたらごめんなさい。膜の中にはそれぞれの夢がある感覚で。
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
いまはその膜に、緻密なリアルの追求、立体視化、キネクトなど既存と違うより現実に近い操作感など「深いもの」、カジュアル系ゲームやソーシャルなどの「薄くて広いもの」があるのかなと感じてます。
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
この現在の流れのベクトルと膜というモデルで、ゲームの将来を考えてみたらどうなるのかなー、という考察でした。お茶濁し済みません。膜だからいつか破れるんだろう的なw
有馬 もと @arimamoto 2011年2月16日
いろいろな人が思うゲームのこういう「モデル」が見たいし、今現在どういうベクトルを感じ、それがどう進化すると考えてるのか知りたいです。そうすれば将来像が見えたりブレークスルーのきっかけもできるのかなと。なので、いろいろな意見を聞かせてください。
むらっち@ひげ @dwarvenwizard 2011年2月16日
ゲームはメインフレームからソリティアになってまた元の世界に戻ってきているわけなので混乱しているのかもしれない。人形はリアルであるべきかを問うているのと同様の話に見える。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月16日
観念的なことを言うけれど、そこに膜があると認識している時点で夢じゃなくなっている。夢を見ていない。目が覚めている。
S.A.M. @SAM_tak 2011年2月16日
"ゲームの仮想空間を精密に描くことが面白さを失わせるというのもナンセンス"全く同意。ビデオゲームの表現追及は第四の壁を崩す努力で、基本的に面白さの向上に直結している
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年2月17日
arimamotoさんの話は、結局ハードだけに限ってのモデルなので、面白いけど難しい……yas_kawamuraさんの>「そのフィクション(架空)が受け容れられるかどうか」がリアリティのあるなし。  に同意しますが、こういうソフト的な目的に合わせてハード的手法が適宜使われている訳なので。
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年2月17日
ただ「薄い膜」に関しては、これは「現実」じゃね? と言う気がするので、この俎上に載せるのは危険な気がします。まぁ、殺人まで行かなくても人間関係には影響します罠。これを「ゲームを作る」という観点からのみ語るのは出来ますが、心理教育も受けてないわたしらがそれやって良いの?と。(小学校の先生は児童心理についてかなり教育を受けています)
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年2月17日
また薄い膜の話を突き詰めると、結局、(間にAIを挟もうが何しようが)マスコミュニケーション(双方向)の話になり、これはゲーム関係者には目新しいかもしれないけど、実際は昔からある話に行き着く。
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年2月17日
今の制作者が夢のある子供だった頃、ゲームは最先端「だった」。でも、今は1ジャンルに過ぎない。yas_kawamuraさんの挙げた日系のインタビュー記事にあるように「そろそろ他ジャンルのプロの仕事を見たら」という事になっちゃうのかな?
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年2月17日
厚い膜に関しても、じゃ、そこに縁深い人間工学や生理学に通じた人間がゲーム業界にどれだけ居るのだろう?今の業界人の希望や疑問のいくつかは何十年も前にそこで結論が出てるモノもあると思う。
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年2月17日
そういう意味でmiyayouさんの最初の問いかけを考えると「そういう夢はゲームにはもう無い」としか言いようがないかも。ゲームだけが特別じゃない、技術というのは黎明期には夢と共に語られ、その夢が実現した完熟期には「当たり前な選択肢の一つ」になる(なってないと浸透したとは言えない)
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年2月17日
これから「夢」を求めるなら「ゲーム的手法を新しい何かの中に生かす」しかないと言うことになる。ただし、そういう意味での夢が無いからと言って、ゲームの円熟に参加しないのも勿体ない。そもそも殆どの創造物は円熟期間の方が長い。
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年2月17日
今の3,40代はゲームやPCと歩調を合わせて成長したと言える。それは希有な経験であり有利な点もある。しかし、それが悪い方に当たり前だと思うとモータライゼーションと共に成長して、車を買うことだけがステータスのように言う、団塊世代内のしょぼい人と同じになる。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月17日
ゲームに夢はある。俺がACTADVゲーム開発馬鹿であるが故の発言でもあるが、いまのハイエンド機における高い表現をもった体験アトラクション型ゲームというのは、人類史上初めて到達する領域に向かおうとしている。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月17日
ある番組でいとうせいこう氏がボカロについてこういうような評価をしていた。かつては歌うこととは発声することと同意で、こう歌うんだという意思も人間の声帯の性能という限界によって縛られていた。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月17日
しかしボーカロイドの出現により、歌うという意識(創造力)が発声することと言う肉体の行為と切り離され、自由を得た。これは人類史上始まって以来のことだ。と(バックコーラスとしての合成音声は昔からあったが、メインボーカルとしての合成音声の時代が来たことが重要である)。http://www.youtube.com/watch?v=Lm0KtK2kbmI
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月17日
なぜこのような話をしたかというと、俺が常に言っている「世界体験」というもの、これはハイエンド表現のゲームだけがプレイヤーに与えられるものであり、かつハイエンドのゲームはそれを目的としたものである(全てではないが)と言う事だ。ある人生、ある状況、ある時間、ある空間、それを「体験させられる」のはゲームだけである。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月17日
体験というのは、実際に自分でさまざまな事を経験することだ。経験というのは自らの試行錯誤によって感得された経験を指している。音楽は脳内で無想を広げることが出来る。詩もそうだ。小説も、漫画も、アニメも、実写映画も、それぞれを「視聴する体験」は可能だが、それらは自らが行動的に、実際に何かを行って得る経験ではない。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月17日
結構ここをごっちゃにしている人がいるが、読書体験や映画視聴体験や非リアルタイム型のゲーム体験は厳密に言えば「体験」とは言わないのだ(それらはある世界や物語を意識下で夢想しただけで、自らの試行錯誤や行為によって感得した記憶ではない)。体験とは実際に肉体を行使する事とは切っても切り離せない経験だったわけです。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月17日
それがハイエンドのゲームが生み出す仮想空間、仮想状況にプレイヤーが置かれる事により、肉体を介さずに体験そのものがダイレクトに得られるようになった。いや得られるようになってゆくだろう。「肉体を伴う行為」と「体験」が分離する。それによって肉体的な限界を超えた体験を得ることが出来る。そういう意味での「仮想体験」の娯楽分野として、ゲームは唯一世界に存在している。これはまさに夢と言って良い。
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura 2011年2月17日
川村コメントのみを抜粋して時系列に沿ってまとめました。 http://togetter.com/li/100985
浪花の商人 @akindoofnaniwa 2011年2月20日
自分は世界的にも評価されている日本で有数の開発チームでゲーム開発に携わっているが、そこの先輩達でさえゲーム業界の未来について語ることをしない。それが凄く不満だった。ユーザーは勿論、当事者である製作者でさえ夢を見れなくなってきている。
浪花の商人 @akindoofnaniwa 2011年2月20日
夢をみる才能とゲームを開発する才能は違う。日々の業務が忙しすぎてそんな所まで頭が回らない。目の前のライバルを半歩でも上回る仕掛けを実現するので精一杯。イロイロ理由はあるが夢を語らないと進化はないと思う。
浪花の商人 @akindoofnaniwa 2011年2月20日
夢が見づらくなってきたのはゲームが成熟してきた証拠。車が空を飛ぶのは現実的ではない事をみんなが知っているのと同じ。『AIとプロシージャルで夢の形は完結する』という指摘は業界人が全力で覆さないといけない。
浪花の商人 @akindoofnaniwa 2011年2月20日
ユーザーの立場から開発者が夢を見れば、それはユーザーにも夢を与えるものになるだろう。コストの肥大化や企画の通りにくさ。現場を知りすぎている現場の開発者こそ、夢を見ることが必要な時期に来ているのだと思う。
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