ゲームが見る夢、ユーザーが見る夢に寄せて

ゲームが見る夢、ユーザーが見る夢というツィートに寄せて。 たとえば車で言えば全人類が小型車やエコカーに向かう必要はない。 車は人を安く遠くへ人を運ぶという目途も、運転そのものが楽しいという目途も、地上で世界最速で人を走らせるという目途も持つ。 それらに優劣などつけられない。当然、シェアだけが全てなら絞れるけれどね。しかし車同様、ゲームにはそれぞれがそれぞれに担うべき夢というものがあるんだ。ひとつに引っ張られることはない。 道は一本きりにする必要はない。 続きを読む
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企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

なぜこのような話をしたかというと、俺が常に言っている「世界体験」というもの、これはハイエンド表現のゲームだけがプレイヤーに与えられるものであり、かつハイエンドのゲームはそれを目的としたものである(全てではないが)と言う事だ。

2011-02-17 14:28:04
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

ある人生、ある状況、ある時間、ある空間、それを「体験させられる」のはゲームだけである。

2011-02-17 14:28:14
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

体験というのは、実際に自分でさまざまな事を経験することだ。経験というのは自らの試行錯誤によって感得された経験を指している。

2011-02-17 14:29:03
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

音楽は脳内で無想を広げることが出来る。詩もそうだ。小説も、漫画も、アニメも、実写映画も、それぞれを「視聴する体験」は可能だが、それらは自らが行動的に、実際に何かを行って得る経験ではない。

2011-02-17 14:29:10
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

結構ここをごっちゃにしている人がいるが、読書体験や映画視聴体験や非リアルタイム型のゲーム体験は厳密に言えば「体験」とは言わないのだ(それらはある世界や物語を意識下で夢想しただけで、自らの試行錯誤や行為によって感得した記憶ではない)。

2011-02-17 14:29:36
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

体験とは実際に肉体を行使する事とは切っても切り離せない経験だったわけです。

2011-02-17 14:29:44
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

それがハイエンドのゲームが生み出す仮想空間、仮想状況にプレイヤーが置かれる事により、肉体を介さずに体験そのものがダイレクトに得られるようになった。いや得られるようになってゆくだろう。

2011-02-17 14:30:19
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

「肉体を伴う行為」と「体験」が分離する。それによって肉体的な限界を超えた体験を得ることが出来る。そういう意味での「仮想体験」の娯楽分野として、ゲームは唯一世界に存在している。これはまさに夢と言って良い。

2011-02-17 14:30:30