映画「ロックス・イン・マイ・ポケッツ」の公式日本版を、一介の映画ファンが作ったというお話

ラトビア出身の女性クリエイターが、クラウドファンディングで自伝的なアニメーションを製作し、それを気に入った日本の映画ファンが勝手に日本語字幕版を作成したら、それがそのまま公式の日本版になりました。
106

身辺が片づいていよいよ本作に字幕を付け始めたのが2016年6月初旬。当時本作はラトビア語版がオリジナルと認識していましたが、購入したラトビア語版には英語字幕が焼き付けられていたため、英語版映像にラトビア語版音声を重ねて字幕を付けていくという、少々面倒くさいことをやっています(後にもっと面倒なことになります)。

本作の字幕付けはかなり困難な作業となりました。元々非英語圏の方の英語ということもあって、意味の解釈で困ることはあまりなかったですが、とにかく語りがめっちゃくちゃに多い。4秒超の長字幕が連発する作りでありながら、最終的な字幕数は1300を超えました。

字幕が一応完成したのは8月初旬。仕事の合間合間の作業ということもありましたが、約2ヶ月にわたる長丁場です。普段ならこれで確認上映が済めば本作に関しては終了なんですが、今回は特にインディーズ色の強い作品であり、また日本語字幕版製作において一切後ろ暗いこともしていないので、製作者側にコンタクトをとってみることにしました。

𝑷𝑲𝑨 @PKAnzug

それにしても「ロックス・イン・マイ・ポケッツ」の字幕がなかなかヤバい。このピンクのやつ全部字幕で、本編始まってからほぼ隙間なくセリフがある。まだ字幕作ったの3分くらいだけど、この調子で1時間半続くんでしょうかね。 pic.twitter.com/jJpwbTvejx

2016-06-10 10:22:00
拡大

※続きました。

𝑷𝑲𝑨 @PKAnzug

「ロックス・イン・マイ・ポケッツ」の字幕が完了。字幕確認の試写で初めてちゃんと本作を鑑賞したけど、やっぱり面白い。かなり個人的な映画で、公式サイトの連絡先が監督の個人メールだったりするので、試しにコンタクト取ってみようかな。

2016-08-05 22:46:53

実は少し見た時点で「これは面白そうだ」と思って、字幕付けをしながら鑑賞するという形で進めていました。この方法は、鑑賞し終わるのに数週間かかる、伏線の翻訳が難しい場合があるという問題もありますが、確実に内容を理解しながら鑑賞できる、翻訳作業に飽きが来にくいという大きな利点があるのです。

監督サイドとのコンタクト

本作公式サイトの連絡用メールアドレスが"signe@"で始まっていたので、これで監督に直接連絡できると思い、個人的に日本語字幕版を作成したという事実、公式からの映画購入者に動画を渡したいという希望、よかったら公式側にも日本語字幕版を寄贈したいという提案を伝えました。

翌日、本作の共同製作者であり、主にストップモーション撮影パートを担当したスタージス・ワーナー氏から返信が来ました。日本語字幕を買い取れなかったなどの事情を教えてくれた上で、字幕付けに関してはとにかく感謝しており、可能なら公式配信に繋げたいと言ってくれました。

突然見知らぬ日本人から来た「日本語版作ったけど要ります?」というメールなのに、ちゃんと信用してくれたのはありがたい限りです。

その後数回のメール交換で、こちらは実際に作った証拠として字幕付き動画の一部を送り、向こうからは上記に示したラトビアの状況など興味深い話を聞くことができました。ただ、ここで1つ重要なミスがあったことに気が付きます(気付かなかったらもっとマズかったので、気付いてよかった)。

𝑷𝑲𝑨 @PKAnzug

「ロックス・イン・マイ・ポケッツ」の日本語字幕を作ったことを恐る恐る作者に伝えたら、大喜びどころか公式の日本語版として採用されそうな勢い。どうも映画祭上映用に作った日本語字幕の買い取りオファーがあったけど、インディーズ作家には高すぎて断念してたらしい。

2016-08-09 09:46:53
𝑷𝑲𝑨 @PKAnzug

「日本語字幕版作ったよ」って監督にメールしたの、偶然にも監督の誕生日だった。いい誕生日プレゼントになった・・・かな?(時差もあるのでちゃんと誕生日に届いたかどうかは知らない)

2016-08-15 21:52:26

字幕作成作業(2)

何があったかというと、いつも「市販ブルーレイの字幕に似てる」という理由で愛用していた「ヒラギノ丸ゴ」フォントで全ての字幕を作ってしまってたんですね。個人で楽しむ分にはヒラギノでも問題ないですが、有料で配信するとなるとそうははいかないので、商用作品でも無償で利用できて、尚且つ利用した作品の権利に影響しない、「M+」フォントに置き換えることにしました。

さらに、それまで気付いていなかったんですが、ラトビア語版は画面の書き文字もラトビア語だということにここで気付きます。そこで、英語字幕の焼き付けられたラトビア語版映像から、当該部分だけ切り抜いて英語版映像の上に張り込むことにしました。数はさほど多くないですが、一部は英語版と若干色が違ったり、英語字幕が被っててレタッチによる除去が必要だったりと、思ったよりは大変な作業になりました。

それでも、膨大なセリフを翻訳して字幕を配置する作業と比較すれば簡単なもので、8月12日には全ての作業が完了しました。

𝑷𝑲𝑨 @PKAnzug

「ロックス・イン・マイ・ポケッツ」の字幕、標準的な日本の字幕の約束に従うように見せかけて、キャラが字幕の前を横切ったり、斜めの文字に合わせて字幕を斜めにしたり、動く文字と一緒に字幕も動いたり、わりと変なことしてみてる。楽しい。

2016-08-11 01:55:02
𝑷𝑲𝑨 @PKAnzug

「ロックス・イン・マイ・ポケッツ」の字幕で使ってるネットスラング的なものは、「かわいいは正義」と「メンヘラ」の2つ。「かわいいから多少のことは許してもらえてしまう現象を総括する表現」と「精神的に不安定な人物のことを軽い蔑みを込めて指す表現」に他に短くていい言葉が出てこなかった。

2016-08-12 16:11:44

今回の字幕について

日本は「原語+字幕」で映画を観る文化がしっかり根付いているので、日本語字幕には明確なものからそこまで明確でないものまで、様々な規則があります。例を挙げると以下のような感じ。

・文字数は4文字/秒以内、行数は2行まで。
・横書き字幕は中央下が基本。2行ある場合の並びは、両方とも中央揃えか、長い行を中央に据えて短い行をその左端に揃える。
・書き文字と、歌の歌詞と、カメラと別の部屋にいる人間のセリフは斜体(書き文字は“”で括る)。

本作の字幕も基本はこの規則に従っていますが、意図的に緩く運用して、少し変わった字幕も出るようになっています。具体的には、動く文字の字幕は一緒に付いて動く、重要なものを隠す字幕は左右にずらす、背景の文字に付けた字幕の前にキャラが来たら字幕がキャラに隠れる、など。より作品に溶け込んだ字幕にするための処理ですが、あまり見たことないと思うので一緒に楽しんでみて下さい。

また、より正確なニュアンスを再現するため、秒間4文字制限も少し緩めに運用しており、2.5秒のセリフに3秒分の字幕があることも時々あります(極力読みやすくはしていますが)。

それと、本作の字幕付けにあたり、製作者側から「あなたもぜひ作中に名前をクレジットしてほしい」というオファーがあったので、喜んで受けました。ただ、向こうから提案のあった「オープニングクレジットの一部」は恐れ多いので、ラトビア語のエンドクレジットにラトビア語で紛れ込んでいます。

なお、本作は実際は英語版がオリジナルなのに、ラトビア語版を日本版のベースにしてしまったわけですが、本作はラトビア出身の監督がラトビアで起こった出来事をメインで描いた作品ということもあり、監督サイドもラトビア語版の方をより気に入っているそうなので、ここは結果オーライということで。なかなか面白い響きの言語ですし、英語との類似で何となく分かったり分からなかったりという絶妙なラインのセリフもあるので、そこも併せて楽しんでいただければ。

あと、↓

𝑷𝑲𝑨 @PKAnzug

あ、もし日本語字幕に誤字、脱字、タイミングの乱れ、ルビのズレ、ヒラギノ書体残りなどあったら、私にコッソリ教えて下さい。特に最後のが万一あった場合はこの上なく厳重にコッソリと。

2016-08-15 11:29:45

おわりに

今後やったら面白いかもしれないことと、注意すべきこと

数多くの海外映画が日本に入ってくる一方、もっと多くの作品が存在も知られないままスルーされている現状があります。その中には取るに足らない作品も多くあるでしょうが、本作のように、作品の出来以外が理由で入ってこられない作品も多くあることでしょう。そういう作品を発掘して働きかけてみると、もしかしたら今回のように面白い形で展開するかもしれません。

一方、世の中には「翻訳業」という仕事があります。我々「趣味の人」のように自分の好きなものだけを訳すのではなく、求めや必要性に応じて個人的興味と無関係に高いクオリティで翻訳する、海外文化と日本を繋ぐ上では絶対に欠かせない重要な仕事です。この人たちの仕事を趣味の人が邪魔するようなことは絶対にあってはいけないと私は思います(この構図は翻訳に限った話ではないですが)。

また当然ですが、もし今回のように多くの人に有償で提供するとなった場合、「自分はアマチュアだから」という言い訳は通用しませんし、通用させるべきではありません。特に日本語はほとんどの言語圏の人にとっては全く異質な言葉であり、まず何が書かれているか読めません。クオリティコントロールは翻訳者に全面的に委ねられるわけで、最悪の場合、自分のマズい仕事のせいで、作品そのものが不当な評価を受けてしまう可能性もあることは、心しておくべきでしょう。

𝑷𝑲𝑨 @PKAnzug

「ロックス・イン・マイ・ポケッツ」の件でやり取りして思ったけど、もしかして「日本語を自由に扱えて、英語→日本語の翻訳程度ならできる」って、日本ではごく普通のことでも、世界的にはかなり貴重な能力なのではないだろうか。

2016-08-09 14:41:22

今回のことが持つかもしれない意義

一介の映画ファンに過ぎない人間が、インディーズとはいえ海外の劇場で普通に上映された海外作品に後から関与し、公式な日本版配信を可能にしたというのは、かなり特殊な事例で、我ながらなかなかの快挙ではないかと思います。

今回の件は、クラウドファンディングという「個人が多くの個人の力を借りるシステム」によって生まれた作品が、別の個人の働きかけによって、一度はお金の都合で諦めた日本市場の可能性を改めて得た(日本の消費者視点では、1本の海外映画が普通に観られるようになった)わけで、ある意味「巨大産業である映画界に対する、100%アマチュア主義の戦い」と言えるかもしれません。

とまぁ小難しいことはさておいて、
「かなり頑張ったし、面白いのでみんな見てね」
ということで。

ちなみに皆さんが本作を見ても私には1円も入りませんが、シグネ・バウマネ監督は現在「The Marriage Project」という新作を準備中で、その実現のための足しになります。

今度は自身の結婚&離婚の体験から、結婚というものについてより深く突っ込んでいろいろ盛大にブチ撒けるそうなので、なかなか楽しみなのです。

動画配信サイト(ここから本編見られます)

Vimeoはこちら↓

リンク Vimeo 「ロックス・イン・マイ・ポケッツ」日本語版(ラトビア語音声+日本語字幕) Japanese Version of "Rocks In My Pockets" (in Latvian with subtitles) をオンラインで鑑賞 | Vimeo オンデ ラトビア発のアニメーション作品として精神疾患の世界に鋭く切り込み、世界各国で高い評価を得た、Signe Baumane監督の「ロックス・イン・マイ・ポケッツ」がついに日本語化。 本作は実話が元になっており、監督およびその血族である4人の女性の人生を語る形で進んでいく。それは心の迷宮を辿るミステリアスなジェットコースターであり、救済と生存の物語であり、うつ病や狂気との戦いの記録である。 --「ロックス・イン・マイ・ポケッツ」でバウメン監督は、自らの家系に起こった出来事を介して、「うつ病」という現象の深層をこ