【図説】村正展@桑名市博物館の感想・個人的見どころまとめ
こっちが『桃原遺事(西山遺事)』、水戸黄門さんが無くなったすぐ後(1701年)に家臣が書いた言行録。 「真田信仍(=幸村)は村正の大小を肌身離さず持っていたという。なぜなら村正は徳川に祟る刀だと言われていたからだ」の記述 pic.twitter.com/cNZCKnuyDK
2016-01-10 01:00:36これが新井白石の藩翰譜(1702年成立)、長崎奉行竹中氏の処罰の理由を『故あって忌まれていた村正を、世が変われば宝になるだろうと貯えておいたのが憎まれたというけれど、さて本当だろうか』の記述 pic.twitter.com/XS5j4hX8pt
2016-01-10 00:45:36熊本の勤王儒医・富田大鳳と千子村正の逸話ぺたん。 この本にはないけど、福永先生が紹介されてる話では、大鳳は村正を得たことをとても喜んで、酒に酔うと鞘を撫でながら『お前には将軍の首を斬るという大役があるんだぞ…』と語りかけてたとか pic.twitter.com/Fex1ps5Q33
2016-03-20 00:37:00孫引きな上に出典ネットで恐縮だけど >曾孫・小橋世光氏『富田大鳳傳』に曰く(中略) >愛護、特に甚だし。醉中、時に或は按撫して曰く『我、豈に此の快刀を用ひ、以て賊將軍(徳川氏)の頭を斬るの日なからんや』と。蓋し村正刀は、覇府の禁ずる所なるを以てなり こっちもいずれ確認したい…
2016-03-20 00:41:23(富田大鳳:1762-1803)
資料用に貼っておく徳川実紀<19世紀成立>。よく知られてる「一族を祟る刀として家康が取り捨てを命じた」話が完成してます。 pic.twitter.com/Ps3BBZlGJI
2016-09-29 04:23:23そんな訳で、個人的な守備範囲で一度まとめると ・1600年代前半には、「妖刀村正」に纏わる記述は見つからない ・1651年、由井正雪の乱と村正については保留 ・1700年代初頭、御用学者が「忌まれる村正」に言及し、水戸藩主の言行録に幸村&村正の話が記載
2016-01-10 02:00:59・1700年代末、歌舞伎『青楼詞合鏡』にいわゆる妖刀村正が登場 ・1800年代前半、徳川実記等幕府の史書に、家康が村正取り捨てを命じた話が載る ・幕末、歌舞伎の千人斬りモノ等で完全にイメージ定着・倒幕志士が争って求めた云
2016-01-10 02:19:51(記→紀、云→云々)
ついでに羽皐先生の御本から、徳川の「御嫌い物」として村正の評価が出来不相応に下げられてた話。「下作」……。 pic.twitter.com/1aLC78LJsF
2016-09-28 02:12:24