高橋源一郎氏の5夜連続「小説ラジオ」ほぼ日ust

「メイキングオブ「さよなら、ニッポン ニッポンの小説2」」 第一夜、「生涯に一度しか文章を書かなかった老人の話」 第二夜、「神話的時間について」 第三夜、「一度だけの使用に耐えうることば」 続きを読む
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高橋源一郎 @takagengen

「ことば」9・ぼくたちは漆黒の闇に包まれた。遠くから、いろんな声が聞こえて来た。音も。風の音さえ聞こえた。ぼくたちは耳を澄ましてい。「まっくらだね」と彼は言った。まっくらだった。それなのに、彼の瞳が異様に輝いているように見えた。その時、ぼくはその組織に入ってもいいような気がした。

2011-02-19 00:21:15
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」10・闇は永遠に続くように思えた。次の瞬間、電気がついた。どこかで「やれやれ」という声がした。ぼくは結局、その組織には入らなかった。だが、あと2分か3分、その闇が続いていたら、どうだったろう。「まっくらだね」ということばはいまも耳の奥に優しく残っている。

2011-02-19 00:23:30
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」11・その学生は、やがて「連合赤軍」という組織を作り、たくさんの同志を殺し、最後に東京拘置所で首をくくるのだが、ぼくが覚えているのは、「まっくらだね」のひとことだ。そして、ぼくは、ほんの少しのところで、あちらに行くかもしれなかったのだった。

2011-02-19 00:25:00
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」12・その少し後、二年もたたないうちに、同じことばを聞いた。「まっくらだね」ではなく「まっくらね」だった。ぼくが初めて付き合った女の子で、ぽくたちは、夏休み中の、というか、バリケードで封鎖された大学に深夜、もぐりこんでいた。学長室の中で、電気はついていなかった。

2011-02-19 00:26:48
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」13・「まっくらね」と彼女はいった。「まっくらだね」とぼくは答えた。京都の大学生の「まっくらだね」を、ほんの少しだけぼくは思い出した。でも、それどころではなかった。あの時の湿気も、学長室の匂いも、暗さに慣れ、やがて、少しずつ、彼女の体の輪郭が見えてきたことも覚えている。

2011-02-19 00:29:20
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」14・「まっくらね」ということばだった。その数分後、ぼくは、初めて、キスというものをするのだけれど、鮮明に覚えているのは、「まっくらね」のひとことだ。その言い方、その声、耳元でささやかれた時の、おののきも。なにもかも、ぼくは覚えている。

2011-02-19 00:30:54
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」15・中学生の頃に遡る。おそらく、中学一年生の頃、ぼくは豊中にあった実家で、「おじさん」のひとりにあった。初めて会う「おじさん」だった。「帝大出身で頭が良すぎて左翼になり、憲兵に拷問されてから頭が変になった、いま国会図書館に勤めている」おじさんだとおばさんたちはいった。

2011-02-19 00:33:57
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」16・寒い晩だった。ぼくと「おじさん」の間には火鉢があったけれど、ほとんど役に立たないほど寒かった。「おじさん」は怖かった。そんなに異様な雰囲気の人間に会ったのは初めてだった。ほとんどぼくの方に視線は送ってくれなかった。ほんとに正気ではないのだ! ぼくはそう思った。

2011-02-19 00:36:16
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」17・いったい何の話をしていたのだろう。将来何をやりたいのかという話題だったろうか。ぼくは、いつかは「書く」職業につきたいというようなことをいった時だ。「おじさん」の目がぼくを見つめていた。怖い、殺される! そんな気がするほどぼくは怯えた。その時、おじさんはこういった。

2011-02-19 00:38:28
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」18・「本気なのか」。真正面から、ぼくに向かって、突き刺さるような言い方だった。ぼくは、ただ首を振った。「だったら、これを使え」。おじさんは、ぼくにフランス語の辞書をくれた。残念ながら、ぼくは、フランス語を学ぶことはなかった。おじさんと会ったのもその時一回だけだった。

2011-02-19 00:40:17
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」19・けれども、その時の寒さと共に、「本気なのか」ということばは、忘れることのできない、凍りついたような目の思い出と共に、ずっと残っていて、いまでも、ぼくの中で、時々、疼くのである。「本気なのか」と。

2011-02-19 00:41:39
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」20・高校生の頃、友人のTと広島までヒッチハイクに出かけた。暑い、暑い、夏だった。8月6日の深夜、ぼくたちは広島に着いた。そのまま、ぼくたちは、原爆ドームの中に入り込み、横になった。頭の上に、崩壊したドームから、空が見えた。「霊に怒られるな」とTはいった。

2011-02-19 00:44:39
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」21・なにもしなくても汗が滲むほど暑かった。ぼくたちはドームを出て、あてもなく歩きだした。歩きだしてすぐに、二人組の若者に会った。「こんな時間になにをしてる」。あんたたちもな。ぼくたちふたりと、その若者たちふたりの四人は川辺に座って、話をした。彼らは地元のヤクザだった。

2011-02-19 00:47:20
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」22・ひとりは若頭で、慶応大学でスタンダールを専攻していたのに、父親の組長の具合が悪く、実家に戻ってヤクザを「継いだ」のだといった。ぼくたちは、しばらく、文学の話をしていた。彼が連れていた、彼を護衛している若い衆は退屈して、ふらふらどこかへ消えてしまった。

2011-02-19 00:50:28
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」23・彼は、明日出入りがあり、もしかしたら、今日が最後の日になるかもしれないので、歩いていたのだ、といった。明け方が近つぎ、彼は立ち上がった。そして、ぼくたちの手を握り、こういった。「ぼくのことを覚えておいてほしい」。それが、彼の最後のことばだった。

2011-02-19 00:52:37
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」24・一斉にセミが鳴き出したことも、夜から朝に変わるどよめきのようなものが、東の方の空からやって来たことも、彼の美しい顔も、覚えている。その「ぼくのことを覚えておいてほしい」ということばと共に。彼が立ち去ると、Tは「ドストエフスキーの小説みたいだね」といった。

2011-02-19 00:55:06
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」25・「ほんとうだね」とぼくはいった。あの時の青年は、どうしたのだろうか。Tは、それからおよそ三十年弱生きて、朝日新聞の記者になり、そして、マレーシアの沖合で溺死することになるのだが。「ドストエフスキーの小説みたいだね」といったTも。

2011-02-19 00:57:17
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」26・そうやって、ぼくの中にはたくさんのことばが残る。いまも残り続ける。それはすべて美しいものばかりとは限らない。なにもかもを書けるわけはない。けれども、どうしても、書いておきたいこともあるのだ。

2011-02-19 00:58:49
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」27・父親と母親に関することばがある。ぼくは、それを長い間、いいたいとは思わなかった。隠そうとしていたように思える。ぼくには、どうしてもうまくいえる気がしなかったのだ。母が亡くなった時のことは、ぽくにとって、思い出したくないことの一つだった。

2011-02-19 01:01:05
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」28・新幹線のホームで倒れた母親は、そのまま病院に運ばれ、人工心肺がとりつけられた。それから一週間後、一度も意識を取りもどすことなく、母親は亡くなった。心肺装置を止めると医者に告げられ、ぼくたちは、その様子を見守っていた。数分、もしくは十数分で、死を迎えるのである。

2011-02-19 01:03:57
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」29・最後に家族が、母親の周りに集まった。ぼくが代表して、母親の耳元に口を近づけた。なにかを言わねばならなかった。死にゆく母親に送ることばが。けれど、ぽくにはなにも思いつけなかった。ぼくの中に、母親に向けることばなかった。空っぽだった。けれど、ぼくはこういった。

2011-02-19 01:05:53
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」30・「ありがとう。ずっとずっと、ほんとうにありがとう」。ぼくは、その時、ほんとうに、そうは想っていなかった。ぼくの中には、どんなことばもなかったのだから。もし、地獄というものがあるとするなら、ぼくは、この時ついた嘘によって、落ちるだろう。ぼくは、そう思うのである。

2011-02-19 01:08:25
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」31・母親がなくなる数年前、父親は癌で亡くなった。父親が亡くなる前日、ぼくは病院に父親を見舞っている。ぼくは、父親が、「こわいこわい」といっているのを見て、衝撃を受けた。死を恐れている父親を見ることができなかった。そんな父親ではなかったからだ。

2011-02-19 01:10:01
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」32、医者は「もう数日は大丈夫でしょう。東京へ戻られても平気です」といった。ぼくは、きっと今晩父親は亡くなるに違いないと思った。ぼくの目にはそう見えた。だから、自分でも信じていない医者のことばを信じるふりをして、ぼくは東京に逃げるように戻った。その晩、父親は亡くなった。

2011-02-19 01:11:51
高橋源一郎 @takagengen

「ことば」33・ぼくは、父親の最後を見たくなかった。だから、最後と知っていたのには、その場を離れた。そのことも、ぼくは、許されぬことだと思っている。ぼくは、死にゆく母親に嘘をついたことと、父親を見放したことで、罰をうけるべきだとずっと思ってきた。ずっとだ。

2011-02-19 01:13:43
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