ローマ帝国は、何故「大秦」(遠くにあるもうひとつの中国)と呼ばれたのか?三国呉の孫権に謁見した3世紀のローマ商人は、プリニウスの『博物誌』を読んでいたのか?

中国古代史を専攻していたので、ヤマザキマリさん、とり・みきさんの古代ローマ漫画「プリニウス」を読むと、中国史の視点から見た古代ローマの解説をしたくなりました。沖縄から出土した3~4世紀のローマ帝国の貨幣についても。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 興味深いお話でした。ところで厲王についてですが、最近ヤマザキマリさんが描いている「スティーブ・ジョブズ」や「プリニウス」(に出てくる皇帝ネロ)が生き生きとしていて、新しい暴君像として、強く意識するようになりました。

2016-09-22 13:55:26
さとうしん @satoshin257

@fushunia プリニウスは1巻しか読んでませんが、一口に暴君と言っても、ああいう「等身大」の暴君も多かったのかもしれませんね

2016-09-22 14:56:30
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@mamesiba195 プリニウスは、毎月楽しみにしています。文芸雑誌の「新潮45」に連載されてるのですが、これほど内容に満足できる漫画はなかなか無いですね。テルマエロマエも、映画より原作の漫画の方が好きです。

2016-05-22 19:00:54
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「プリニウス」3巻では空想上の動物に圧倒されて、興奮と何とも言えない読後感に浸れます(^。^)中国の『山海経』の注釈集も訳すとこんな感じ「池の中から有り得んデカい矢が出てきた」「そういえば倭人が海の向こうで巨人を見たとか」「大秦(ローマ)人は身長24メートルじゃが衣服はきれいじゃ

2015-09-12 05:33:16
巫俊(ふしゅん) @fushunia

cnn.co.jp/fringe/3508034… CNNニュース「「シベリアのユニコーン」、化石発見 2万9000年前に生存」サイの一種だが、現生のサイとは違い額に大きな一角があるそうです。漫画「プリニウス」に出てきたずんぐりユニコーンを連想しますね。古代史の怪獣は絶滅動物か?とか

2016-07-30 00:25:48
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そして大秦、大夏の国号が「遠くにあるもう一つの中国」に由来するとする根拠につきまして。戦国時代の五行学者の鄒衍(すうえん)がこんなことを言っています。「鄒衍曰く、今天下と呼ぶは大地の東南に過ぎず、赤県神州という一州に過ぎない」(『論衡』談天篇)

2011-01-29 17:39:09
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@darql つまり、中国で「天下」と呼んでいる「九州」は、小さな九州に過ぎず、私たちは崑崙山の東南の「赤県神州」と呼ばれる一区画(中国=九州のこと)に住んでいるに過ぎないと『論衡』に書かれています。

2016-07-04 03:06:09
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@darql 西王母がいたとされる伝説の崑崙山は、青海省にあったと戦国時代には理解されていたようですが、戦国時代の五行思想家の鄒衍や、後漢時代の王充(『論衡』著者)は、この世界の中心が崑崙山にあると考えていました。

2016-07-04 03:03:48
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@darql 漢代の画像石では、鍛冶の神だとされる西王母も、西方に深いかかわりを持つ神格のようです。とくに鉄器は、西方から伝来した重要な金属で、春秋時代中期になるまでは戎狄の側に鉄器生産の優位性があったとのことです。

2016-07-04 03:01:00
巫俊(ふしゅん) @fushunia

色んな解釈を読むと、赤県神州(中国のこと)は崑崙山の南側にあると考えられていました。では北側にある別世界というのが、ローマやアフガンのような定住民の住む国家に比定されていったのだと思います。

2011-01-29 17:44:48

アフガン周辺は「大夏」。
司馬遷は中国(夏)と同じ農耕民が住む都市だと考えた。

ただし、秦の始皇帝の「琅琊台刻石」の残片に
秦の天下の領域の広がりは「北は大夏を過ぐ」とあり、
本来の大夏は、遊牧勢力の月氏の勢力圏だった甘粛省から新疆周辺を指していると考えられます。
(『呂氏春秋』にも登場)
月氏の言語は、インドヨーロッパ語のトカラ語とするのが有力で、トカラの音訳が「大夏」でした。

その後、匈奴に追われたトカラ(月氏)が西方に大移動し、アフガン周辺を制圧したので、その地がトカリスタン(大夏)とよばれるようになりました。
トカリスタンの主要言語は、インドヨーロッパ語のイラン方言のバクトリア語なので、トカラ語とは違います。

トカラ語は、イランやインドのインドヨーロッパ語よりも、西欧のラテン語やケルト語に類似しています。つまり、青銅器時代に西方に移動したのが西欧の言語、東方に移動したのが中国新疆のトカラ語。
一方、カスピ海周辺に留まって移動しなかった人たちは発音が変化し、「イランインド語派」になりました。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

大秦国(ローマ帝国)の国名は、当時の中国で「遠い(大)中国(秦)」という意味で認知されていました。「大秦国」のほかに「中秦国」を登場させる伝説物語があったからです。『詩経』に「小東、大東」の語があり、英語由来の中東、極東みたいな意味です。

2016-09-03 23:30:02

西域の「中秦国」が出てくるのは、『河図玉版』という中国中世の文章です。
ここでは、ローマ人(大秦)は背の高い巨人だという話になっていたと思います。
遠近の距離を意味する「大小」に、身長の「大小」をかけて、説話伝説化していました。

例えば、漢代の西域諸国には、「小宛(しょうえん)国」と「大宛(だいえん)国」がありました。
近い(小)「宛国」は、現在の新疆ウイグル自治区のタクラマカン砂漠の南側のオアシスにあったはずです。
遠い(大)「宛国」は、前漢の武帝が汗血馬を求めた山の中の国(フェルガナ)で、タジキスタン周辺にあたります。

大秦国は、

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 史書には、中国と習俗が同じだと書かれています。西方の遊牧民の世界の向こうに中国と同じ農耕文明があり、同じような生活をしていて大国を形成していたと理解されていました。中国王朝の文明が西アジアの青銅器文明の影響を受けて成立したことを考えれば、似ているのは自然です

2016-09-03 23:33:02
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia ヨーロッパと北米大陸が砂漠や草原でつながっていたと想像すると、少しは分かりやすいです。西アジアを出発した青銅器文明は、その文明の規模から考えれば、ごく少数の人たちが新石器時代の中国に到達しました。

2016-09-03 23:36:40
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 4000年前の当時中国北部の城塞集落に住んでいた人たちは、すでに農耕を行っていましたし、階層化がはじまっていて、文字もあった丁公陶片が出土)のですが、青銅器や馬車、小麦などを持つ印欧語族がそこに入っていった訳です。

2016-09-03 23:39:40
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 西アジアを出た青銅器文明がついに広大な平原を見つけて、それから青銅器時代の中国文明が始まる訳です。

2016-09-03 23:42:17
巫俊(ふしゅん) @fushunia

togetter.com/id/fushunia ↑ 巫俊が書いた歴史記事(togetterまとめ)のリストです。 関連するものとしては、

2016-10-05 00:47:08
巫俊(ふしゅん) @fushunia

togetter.com/li/1020387 『史記』の「烏孫」の発音を復元すると、砂漠の水源「氷河」の輝きを意味した印欧語で、ギリシア語、ラテン語と同系統の言葉だった!? togetter.com/li/965564 カスピ海から草原経由で中国に伝来した青銅器文化について

2016-10-05 01:05:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

togetter.com/li/913898 「中国」最古の鉄器が出土!場所は新疆ウイグル自治区。伝説の武器昆吾の剣は本当にあった!?鉄の民「狄」が中原諸国を圧倒した歴史 など、多数です。

2016-10-05 01:07:30