ローマ帝国は、何故「大秦」(遠くにあるもうひとつの中国)と呼ばれたのか?三国呉の孫権に謁見した3世紀のローマ商人は、プリニウスの『博物誌』を読んでいたのか?
ローマは何故、大秦と表記されたのか?など研究しているのですが、高句麗に仕えた漢人官僚の墓の写真を見たとき、内部の天井が遊牧民のテントと同じ構造で、世界は向こうにつながってると感じました。
2016-10-03 22:06:45ヤマザキマリさん、とり・みきさんが連載中の古代ローマ世界を歩く漫画「プリニウス」ですが、現在(未刊行の5巻収録分)は紀元62年らしいです。1巻と2巻が61年で、1巻第2話で「夏の蜜蜂」が出てくるので、西暦61年の夏から開始です。このペースだと相当長く連載することになりそうですね?
2016-10-05 01:20:04漫画「プリニウス」の解説本を読んでいたら、年表に西暦62年の現在、プリニウス総督(元)一行がどこに行こうとしているのか、ネタバレが書いてあった。
2016-10-01 23:00:37「プリニウス」3巻を読んでいて、ふと。古代ローマ帝国のことを、中国史では「大秦」と呼ぶのは、彼の地にも定住民の都市が400もあり、まさしく「遠い中国(秦)」と呼ぶのにふさわしいと漢代の中国人が思ったからです。『詩経』に小東、大東の言葉があり、遠近の地名を大小で呼び分けていました。
2015-09-12 02:54:54漢語表記の「大秦」については、後述します。
先に、沖縄で出土した古代ローマの貨幣の話題から。
今夜のテレビのニュースで見ましたが、15世紀以前の沖縄の勝連城(ぐすく)から、3~4世紀のローマ帝国の貨幣数枚が出土したとのことで、国内でははじめての発見だとのことです。3世紀といえば、当時のローマ商人「秦論」が、三国の呉に出かけて皇帝・孫権に謁見したという故事も残っていますし。
2016-09-26 23:24:05@shunju_mei 商人の名前なのでしょうか。大秦(遠くにある中国=ローマ)の秦を姓のように扱っているのだと想像していました。論が何の音なのか分からないままだったのですが^^
2016-09-26 23:52:28@fushunia 参考までに「秦論」の隋音は Dzinlun または Dzinlyn で,これは三国代でも多分同じ様なものです。
2016-09-27 03:05:06@fushunia 呉の孫権、ローマ商人に小人を贈る ●『梁書』諸夷列伝 孫権黄武五年、有大秦賈人字秦論来到交趾、交趾太守呉邈遣送詣権、権問方土謡俗,論具以事対。時諸葛恪討丹陽、獲黝、歙短人、論見之曰:「大秦希見此人。」権以男女各十人、差吏会稽劉咸送論、咸於道物故、論乃徑還本国
2016-09-27 00:09:39@fushunia 山越討伐から帰還した諸葛恪が、短人(こびと)を連れてきた。孫権がこの短人をローマ商人の秦論に見せると「ローマにも、まれにこの人を見ることがあります」との返事があった。。孫権は短人の男女各十人を秦論に与えようとした twitter.com/fushunia/statu…
2016-09-27 00:13:26漫画「プリニウス」のファンの皆様に、瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書、2015)の一読をお勧めします。何故かというと、プリニウスの『博物誌』に出てくるツルに喰われる小人の話が、中国・日本を経由してアイヌに伝わり、アイヌの小人伝説になっているという仮説を提示しているからです
2016-06-24 23:46:01漫画「プリニウス」のファンの皆様に、瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書、2015)の一読をお勧めします。何故かというと、プリニウスの『博物誌』に出てくるツルに喰われる小人の話が、中国・日本を経由してアイヌに伝わり、アイヌの小人伝説になっているという仮説を提示しているからです
2016-06-24 23:46:01@fushunia @shunju_mei 横から失礼。『梁書』巻54にあるやつですね。「孫權黃武五年,有大秦賈人字秦論來到交趾,交趾太守吳邈遣送詣權,權問方土謠俗,論具以事對」<あざなが秦論だと言ってませんか、これ。
2016-09-27 00:29:25@fushunia @shunju_mei 中国式のあざな(字)を持っていたというわけではなく、「秦論」でひとまとめの呼び名だったのでは。後のほうで「論」と呼んでるので台無しですけど。
2016-09-27 00:41:46@fushunia @SHOOTWRESTLING1 当時のローマ商人は海から来たのでしょうか。陸路だと魏にたどり着くでしょうし、所謂「西南シルクロード」ということもないでしょうから海路しか思いつきません。扶南あたりまでは呉は交易していたんでしたっけ。
2016-09-27 10:51:07前までは一番遠くでインドシナ半島だったから更新したよね 後世になんかと一緒に流入したんだと思うけどすごいし、国内からローマンコインってなんか嬉しいよね
2016-09-27 08:28:43@gishigaku その本は、かなり荒唐無稽な内容でしたが。。。新羅は共和政国家だとか。私が最近読んだのは、みほミュージアムが出した新羅本です。
2016-09-27 11:33:01日本列島でも京都府長岡京市の宇津久志1号墳や広島県三次市の松ヶ迫矢谷遺跡から出土したガラス製品がローマ帝国領の産物とされた例があるから朝鮮半島の三国時代にローマから極東へのルートがあったこと自体は確かですし @fushunia
2016-09-27 11:48:13@gishigaku イスラム文献にも、シーラー(新羅)とワクワク(倭国、アフリカの沖合にあるという解釈も併存)が出てきますし、シナ海域に到着した人たちが、古くからその先にも(中国人の案内で)行き来していた可能性がありそうですね。
2016-09-27 22:08:09avantdoublier.blogspot.jp/2009/10/blog-p… 中国神話の一端の解明といえば、このブログの記事が凄いですよ。 「北方ユーラシアの鹿角が巻いて繋がっているのを見る度に、頭に浮かぶのは敦煌莫高窟で見つけた人頭がたくさん並んだ怪獣だった」(ブログ「忘れへんうちに」)
2016-09-28 22:35:30