数年前に精神障害の当事者がそのような訴えをテレビ番組の特集でしていました。私も共感しました。 RT @psychogen: 裁きを受ける「権利」を、罪を償う「権利」を、とうったえていた当事者団体もあったように記憶しています。@kurage313 @yoshi_dama
2011-02-23 10:30:47@kurage313 本当ですね。「障碍者」の多様性が論じられていないどころか無視されていることは本当に大きな課題です。現場からは声を上げてはいるのですが…法を制定する立場の人間にとっては今だ「面倒な」問題なのでしょうね。
2011-02-23 10:31:28そっか。障害者の暴力に物申しづらいのは、きょうだいだけの問題ではないのか。これをキッカケに障害者すべてに恐怖心を抱くとしたら、お互いに不幸だ。本当に平等をいうならば、障害があろうがなかろうが罪はきちんと裁くべき。しかし、知的障害者の罪は、誰が裁かれるべきなのだろう。またもや家族?
2011-02-23 10:32:53@sibssaMARU 本当にお互いに不幸ではありますなぁ。しかし、裁かれるべきは家族でなくて本人であるべきでしょう。また、このような問題を家族だけに押し付けてる社会も問題だと思うのですが。
2011-02-23 10:34:59しかし、ケースバイケースだと不平等だという人が居るのもまた事実・・・。 RT @yoshi_dama: @sekaitoharu @kurage313 「ケースバイケースである」ことを規定した法律が必要なのかもしれません。
2011-02-23 10:36:25@kurage313 感謝です。幸い、長兄はそろそろ更年期に入ろうという年齢で、いろいろと落ち着いてはきました。このまま何ごともなく老境を迎えることができればと祈っています。くらげさんのツイートは、いつも視野を広げてくれて助かっています。(個人的にはなれそめ話も大変よかったです)
2011-02-23 10:36:47@sibssaMARU 私ごときのポストで人の役に立つなら本当に嬉しい事です。ありがとうございます。ただ、確かに家族の役割は重大ではありますが、貴方が潰れたら元も子もないので、いろんな施設等に分散する事も大事かと思われます。既にそうしているのなら申し訳ないのですが。
2011-02-23 10:39:06私も共感しました。時を同じくしてかかわっていた方が罪を犯し揺れていた私の内側にその「権利」を奪おうとする考えが生じていました。深く内省したと記憶しています。RT @miimusik8: RT @psychogen: 裁きを受ける「権利」、罪を償う「権利」
2011-02-23 10:39:07手段と結果と、どちらの平等を求めるかという問題ですね。RT @kurage313: ケースバイケースだと不平等だという人が居るのもまた事実・・・。RT @yoshi_dama: @sekaitoharu 「ケースバイケースである」ことを規定した法律が必要なのかもしれません。
2011-02-23 10:39:53@kurage313 知的障害者の責任とは何なのか、本当にわかりません。記事の男性は、どこかでその手を覚えて味をしめた確信犯だとは思います。ただ「確信」のレベルは健常者とは異なるだろうと。なので、親が幼児の責任を持つように、家族が責任を求められるのもある面では仕方なくもあり…
2011-02-23 10:44:01責任能力の判断については、現状では鑑定医と裁判官の裁量に委ねられています。個人的には、そこには構造的な問題があると感じています。当事者の罪と罰の問題が法廷テクニックの問題にすり替えられることもあります。@miimusik8 @kurage313 @yoshi_dama
2011-02-23 10:49:261995年の障害者差別禁止関連の法律改正時に刑法40条も撤廃されましたね。 QT @kurage313: @psychogen 聴覚障害者団体でも昔はそんな活動してたと小耳にはさんだ事が
2011-02-23 11:05:07知的障害のある人の確信とそうでない人の確信が違うかどうかは全く関係ない。問題は行為そのもので他害は許されない。だからその行為を止めさせる必要があり、その責任は社会にある。しかし、知的障害のある人に刑務所は無意味→http://togetter.com/li/104514
2011-02-23 11:20:13