- Zahlangabeheft
- 10036
- 61
- 21
- 47
メモ:Alan RobinsonのsupervisorはHempelでadvisorはPutnam。ヒュームについての博論で学位取得直後にデュポンでORエンジニアに。類似例もあるはず。cs.miami.edu/home/geoff/Con… vanemden.wordpress.com/2010/06/08/int…
2016-11-08 15:44:43今読んでいる論文によれば、論理実証主義の実際の仕事はORと共通点が多かったので、ランド研究所は論理実証主義者の弟子を選んで雇っていったそうな。つまり、アメリカにやって来た論理実証主義はORに取り込まれて科学哲学(分析哲学を含む)になったんだって。震える。
2016-11-15 03:27:20P. 23にOlaf HelmerがKriegspielをランド研に持ち込んだと書いてあるね。Olaf HelmerはベルリンでReichenbachの元で博論を書いた論理学者で、1946年から1968年までランド研で働いてたらしい。rand.org/content/dam/ra…
2016-11-15 04:22:55@shinichiroinaba これです:sciencedirect.com/science/articl… この論文(@at_akada_phi 君がここで紹介した論文:at-akada.hatenablog.com/entry/20141209…)で参照されてました:cambridge.org/core/journals/…
2016-11-16 01:10:53クリークシュピールの話は『ビューティフル・マインド』だと第1部6章「さまざまなゲーム」に出てきますね。 d.hatena.ne.jp/contractio/201… パウンドストーンの方だと・・・と思って参照しようと思ったら、どうやらすでに返却してしまった模様(涙
2016-11-15 22:01:24105 「ゲームはヨーロッパの愉しい伝統で、1930年代に移民たちが(ランド研究所の)ファインホールへ持ち込んだ。… 40年代後半には、クリークシュピール、囲碁、やがて考案者にちなんで名付けられた「ナッシュ」あるいは「ジョン」に人気が集まっていた。」
2016-11-15 22:04:58106 「1930年代に[ランドの]談話室に姿を表したクリークシュピールは、チェス盤3枚を使って行われた」って書いてあるけど、1930年代に まだランド研究所は存在しないので、これは誤植か誤訳でしょうな。
2016-11-15 22:09:21邦訳106 「プリンストンの談話室でいつもゲーム版に向かっていたナッシュのことは多くの同僚が記憶している。ナッシュは高校時代にすでにチェスを覚えており、やがて囲碁とクリークシュピールをおぼえ、特にクリークシュピールはスティーンロッドやタッカーとよく対局していた。」
2016-11-15 22:19:12