同時代史料と相性が悪い「荒唐無稽な史料」の使い方

同時代史料の研究と「伝承研究」は相性が悪く、輪切りにされた伝承研究は根拠が無くなる。柳田国男の「民俗学」の座礁と漂流。一見、荒唐無稽な構成の説話から、歴史上の前後関係などをひもとく。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

同時代史料を中心とした歴史研究の構成。 pic.twitter.com/6f4JXkRqof

2016-11-24 12:01:28
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図を見て頂くと、分かると思うのですが、
同時代史料の研究と「伝承研究」は相性が悪く、
伝承研究は、輪切りにされて根拠が無くなってしまいます。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

とはいえ、根拠が無くなった、ということは、深刻に受け止めるべきだと思います。

2016-11-24 12:55:44

同時代史料からこぼれ落ちるもの

巫俊(ふしゅん) @fushunia

伊賀惣国一揆についての史料は極めて限られている訳ですが、天正伊賀の乱について論文を書いてるという方に出会ったとき、17世紀に書かれた『伊乱記』を知らない様子だったので、残念に思いました。同時代史料ではないから、というのは分かるのですが、「読んだことはない」というのは・・・

2016-09-10 11:44:33
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 同時代史料の研究は、後世の史料についてよく知った人が、その欠点を自覚して同時代史料研究の視角を切り開いた訳ですが、世代を重ねると、「江戸時代の文献は見なくていい」ということになって、知らないまま研究されるようになるのですね。それは見落としにつながります。

2016-09-10 11:46:03

不確実な「民俗学」

巫俊(ふしゅん) @fushunia

>ちょっと前のRT 同時代史料に限らないですが、「確実な史料」と「不確実な史料」 に分けていくのが歴史学だとすると、不確実なものから何かを拾い出そうと、あがき続けたのが柳田国男にはじまる「歴史学に変わる広い視野の歴史学」(民俗学になって座礁漂流してしまった)ですね。

2016-11-24 02:14:11
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 確実な史料の研究を基調にした歴史学にくらべて、こちらの方の学問は、何とも評価がしにくいです。。。使い方を誤れば、変なものと変なものをくっつけてしまう訳ですが、何も世の中に寄与してないかと言われたら、そんなことは無いですね。

2016-11-24 02:17:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 民俗学の側が予言したものが、後で出土したものとか史料で確認されることもありますからね。しかし、その確認作業を民俗学の側でしているとは言い難いので、何とも。

2016-11-24 02:19:07
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 柳田を批判した同世代の歴史学者から見たら、柳田の根拠出しも「立証」とはいえないものだと見られていた訳ですが、柳田の予見が当たったこともあるので(外れたものも多い)、視野を広げるにはちょうどよい視点だと思います。

2016-10-11 13:39:17
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 柳田国男自身は、歴史学者から不審な目で見られることもあったのですが、しかし、柳田の考えたことの一部はその後立証されたり、研究が継続しているものが多いので、一概に退けることはできないでしょう。

2016-10-11 13:37:18
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 同時代史料を使った現在の歴史研究などは、演繹法を基本として一部帰納法を(控えめに)使うという印象です。この見地からは、ましてや折口信夫などは目に入らない訳ですが。しかし、折口信夫が言ったことがのちに立証されて、古代の峠からその石製品が出土したことさえあるので。

2016-10-11 13:41:32
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 そもそも、「民俗学」という言葉が適切かどうかも分からないという問題がありまして。柳田国男は当初から「民俗学」を自称していた訳ではなくて、柳田自身は新しい研究方法により「歴史」を覆すことを考えていました。

2016-10-07 22:53:51
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 柳田という男は、弟子に自分の研究を継がせる人ではありませんでした。弟子には「解釈をするな(解釈は柳田が行う)。歴史文献を読むな」と命じ、民俗事象の採集(聞き取り)を弟子に依頼しています。これが、歴史学とは互換性を持たない(日本)民俗学を生みました

2016-10-07 22:57:25
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 よく勘違いされるのですが、日本の民俗学は(柳田国男が外国の人類学を嫌ったので)、欧米の民俗学とは起源が異なります。柳田国男は行動と内心が乖離した人間で、実は西洋の民俗学を参照しているのですが、自分自身のオリジナルとしての民俗学を主張しました。

2016-10-07 23:03:22
巫俊(ふしゅん) @fushunia

柳田国男の「山人論」は実証が出来ず、「原始人類」から「戸籍を持たずに生活する人たち」までを包括して「山人」を議論したために、その予見は必ずしも当たったとは言えませんが、強い魅力と示唆があったので、後続の研究者が出現し、違う方向性で実証を進めていきました。

2016-10-03 10:26:59
巫俊(ふしゅん) @fushunia

孔子の言葉として記録されているものにも、中央の魯の国では失われた古い神話や儀礼、鳥の名前の官職名などが、辺境の蛮夷の国である海沿いの地域(三国時代の徐州の東海郡)には、今も残っているので学ばなければならないとあり、これは柳田国男の方言周圏論などと同じ発想です。

2016-03-24 13:00:31

神功皇后説話の形成過程について

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@satoshin257 『『三国遺事』の新たな地平』所収の論文は、後代の文献『三国遺事』の荒唐無稽とされた伝説的記述に具体的論証を加えることで、神功皇后大津波に乗って新羅に襲来する『日本書紀』の故事が、実は新羅側で形成された津波と倭を結び付けた故事の翻案であることを明らかに

2016-09-20 16:26:51
巫俊(ふしゅん) @fushunia

人類学については、人類学者が対象と触れ合って調査(関係の構築)したときの経験から割り出した「調査項目」の蓄積が一番大切かなと思います。単純な成果だけを見るのではなく、「何故、人々はこんな習慣(慣習)に興味をもつのか」追及していき、

2016-03-25 00:02:55
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そうすると、同時代的な史料の有無だけでは判断できなくなるので、のちの編纂物であっても、慎重に取り扱うことで成果が出ると思います。例えば同タイトル所収の「『三国遺事』の護国思想と万波息笛説話の「波」」は、副題が「新羅を襲った津波と神功皇后説話」で、荒唐無稽と思われる日本の

2016-03-25 00:03:12
巫俊(ふしゅん) @fushunia

神功皇后神話(皇后の船が津波に乗って新羅の王都を水没させた)は、もともと新羅側にあった「王都水没の語り」を借りたものではないかと指摘していました。津波の襲来倭や唐の襲来イメージとしてつながりがあったとして、その史料を挙げています。

2016-03-25 00:03:28
巫俊(ふしゅん) @fushunia

三国遺事万波息条には、7世紀新羅王の時代、「倭兵を鎮」めるために建立されたというが登場し、そのの金堂の海中の「大王岩」につながっているとあります。「大王岩」の竹からつくった国宝の笛が「万波がおだやかになる笛」で、『三国遺事』の別の条には新羅侵攻をたくらむ日本王文慶が

2016-03-25 00:03:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

786年に「万波息笛」を買い取ろうと提案してきたが、拒絶したとも。また7世紀津波が何度も襲来したとの朝鮮半島の記録があること。唐の将軍の船を風涛で沈没させたとの仏教説話や、華厳経の僧の法力で新羅の王都を津波で洗い、万波息笛条に出てきた寺も津波が迫ったと、こららも三国遺事です

2016-03-25 00:03:54