同時代史料と相性が悪い「荒唐無稽な史料」の使い方

同時代史料の研究と「伝承研究」は相性が悪く、輪切りにされた伝承研究は根拠が無くなる。柳田国男の「民俗学」の座礁と漂流。一見、荒唐無稽な構成の説話から、歴史上の前後関係などをひもとく。
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ただし、日本王文慶の故事は時代が合わない。それと、念押しですが、これは事実では無いです。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

また「千古、南は倭なれども怒鯨を遏(とど)む」という難解な表現も『三国遺事』にあり、参考として、1624年の朝鮮の『朝天図』には、水を噴く鯨が描かれていることを挙げていました。時代は下るが楽府「万波息笛」に「四海の鯨鯨は敢えて作さず」とあるとのことです。

2016-03-25 00:04:09
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ひとつひとつでみると荒唐無稽で史実とは見なせないばかりか、同時代史料も全くない話ですが、史料から民衆や王府の語りを取り出し、「意識」の「つながり」を確認することで、まったく論外とまで言われた神功皇后神話に、新羅側の説話の借用と、主(新羅)客(倭)の転換を見る余地が生まれたようです

2016-03-25 00:04:22

神功皇后の史料について

漢風諡号の「神功皇后」は、奈良時代後期に名付けられたものなので、『記』『紀』には「おきながたらしひめのみこと」と表記されています。

息長は、「おきなが」と読みます

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@s_hskz repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstre… 笹川尚紀氏の論文要旨によると、舒明天皇修史事業で、息長氏、ワニ氏、尾張氏などの継体天皇と関わりがある氏族が種々の系譜を創出して、彼らの氏族が5世紀以前に后妃を輩出したという歴史をつくりだしたとあります。

2016-08-12 02:32:08
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia となると、『古事記』『日本書紀』が書く大王の系譜は、継体天皇とその外戚の氏族(息長氏や尾張氏)を位置付けるために、かなりの再編成がされていることになりますね。

2016-08-13 21:30:15

「系譜学」という方法

岩波文庫『日本書紀』の補注によると、

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@ant_onion @dandonban 記紀に出てくる重要な物語を有する皇子は、「叛乱して滅ぼされた」例をのぞくと、すべて子孫(豪族)が存在するそうです。例外は垂仁皇子のホムツワケですが、これは実は継体の始祖で、その後改変されてホムタワケ(応神)になったようでした。

2016-08-19 15:09:18
巫俊(ふしゅん) @fushunia

上宮記』にホムツワケ王の5世が継体天皇とあることから、これが歴史記憶化された遠祖名だとすると、応神天皇(が存在したとして)の名前はホムタワケでは無かったことになる。倭王讃の讃が「ほめる」のホムだとするのは多少苦しい気がしていましたが、考慮する必要は無さそう。

2016-08-14 21:53:13
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usamizuho ホムタワケ(応神)、ホムチワケ(垂仁天皇の皇子)、ホムツワケ(垂仁天皇の皇子)、ホムツワケ王(上宮記の継体天皇の祖先)の表記があり、このあたりの微妙な発音の違いは、語り伝えているうちに変化する範囲だと思いました。

2016-08-15 00:13:53
巫俊(ふしゅん) @fushunia

やっぱり、「ホムタワケ」(応神天皇)と「ホムツワケ、ホムチワケ」(垂仁天皇皇子)は、近江越前系の継体天皇に関わる「同一の神もしくは遠祖の君主」として知られていたもので、文字に書く歴史として再構成がされていくと、近江の息長氏の女性が産んだ皇子「応神天皇」として位置付けられた様子です

2016-08-13 21:22:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

近江の志賀(滋賀)に都した成務天皇は、天智天皇の近江朝廷が必要とし、神功皇后は、朝鮮半島に遠征軍を派遣しようとした女帝の斉明天皇が必要としたもので、いずれも正統性を示すために現実を過去に投影したものでした

2016-01-24 12:53:16
巫俊(ふしゅん) @fushunia

こうした見地から、神功皇后を例に挙げて、史料がどの程度、再構成できるのか調べましたが、 『上宮記』や『記』『紀』などを使用さざるを得ない史料上の限界がありますので、 「系譜学」「神話学」的な考察は、状況証拠的な推察をふくみます

2016-11-24 13:01:24

「おきながたらしひめ」については、ヤマト王権との系譜的関わりを主張した地方の勢力の説話を下書きにしたものとされ、中央政府がそれを採用したものだと見られるようです。斉明天皇の影響で、筑前国など各地の「女性君主伝説」「子産み伝説」なども集められて、形成されたのでしょうか。

追記

巫俊(ふしゅん) @fushunia

機動戦士ガンダムに出てくる「ジオン公国のデギン公王」の「公王」って何?と思ったけど、『釈日本紀』が引用する『上宮記』には、継体天皇のことを「大公王」と呼んでおり、同じ文章の中に「王」(ホムツワケ)、「大王」(垂仁天皇)、「大公王」(継体)の表記があるので、一層謎が深まった感が・・

2016-08-13 00:22:51
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia ググると、ガンダムで使用された「公王」は、西洋史に出てくる大公の俗表現らしいという説明も見かけました。それはともかく、日本史の「大公王」って何だ?と気になります。

2016-08-13 00:26:57
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 7世紀に書かれたとされる『上宮記』は、聖徳太子の伝記です。継体天皇の子どもの欽明天皇が、聖徳太子をふくむ「蘇我系皇族」の始祖(代々、蘇我氏と通婚)にあたるので、そのあたりの詳しい系譜記事があります。

2016-08-13 00:30:15
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 『上宮記』は、『釈日本紀』が書かれた鎌倉時代にはふつうに伝世していたようですが、現在では写本なども失われたと考えられ、「『上宮記』からの引用文」の形で残っている部分を見ることができます。

2016-08-13 00:33:59
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 応仁の乱とか、色々な戦乱がこの後起こるので、どこかで燃えてしまったりとかしたのでしょうか。そういえば、天正年間に写したとの記録がある『伊賀国風土記』(『延長風土記』系の本)は、天正の当時に虫食いだらけだったみたいで、かなりの部分に「虫食い」の文字があります

2016-08-13 00:37:16
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 鎌倉時代の金沢文庫についての本を読んだら、現在の私たちが思っている以上に雑な扱いを受けた紙もあるらしく、有名な金沢文庫ですら、歴史の全期間を通して高い意識で文書を伝えるのは困難だったようですね。

2016-08-13 00:42:38