「ピカソ・インパクト-1950年代の日本におけるキュビスムの影響 第一部 レクチャー 尾崎信一郎」 日本におけるキュビスム 埼玉県立近代美術館[実況]

実況中 2016年12月04日 13:30〜14:15 http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=335
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みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「村山和義、彼はダダイズムで語られるが、キュビズムと同時に受容してしまってるので、分類が困難になっている。 古賀春江や尾形亀之助、尾形については画像の一点しかキュビズムとして分類されないすぐシュールに移行する

2016-12-04 13:54:00
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「大正期のキュビズムは層が薄くすぐ次の表現へ移っていく。前田寛治も風景をファセット構造してたりするが、一瞬であった。

2016-12-04 13:54:44
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「キュビズムをずっとやった作家はいるか?ピカソとブラックもある時期激しく行うがその後作風が展開する。だからこそ日本も同様でずっとやってる人は少ない。唯一いるとすれば坂田一男だ。

2016-12-04 13:55:33
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「坂田一男は殆どの作品をフランスにおいてきた。日本に戻ってきてからも地方画壇と接触も断ってきた。

2016-12-04 13:56:11
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「大正期受容の次の受容があると考えた。昭和以降の作品目録を眺めているともう一回ピークがあることに気づいた。これをピカソインパクトといいたい

2016-12-04 13:57:19
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「堂本尚郎と今井俊満、彼らはアンフォルメル運動に関わるが、堂本尚郎の展示を担当したこと有るのだけど、50年代前半には坂の店、女と牛ではキュビズム的だというよりピカソを思わせる作品をつくってる

2016-12-04 13:58:24
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「辻普堂や堀内正和は50年代には三つくらいの視点を入れたものや、cubiというタイトルのクビとキュビズムをかけた作品をつくったりする

2016-12-04 13:59:25
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「なぜ彼らがこんな作品をつくっていたか、1951年にピカソの大きな展覧会が日本巡回した。その作品は大原美術館やブリジストン美術館に収蔵されてる。しかし重要なのは51年のピカソはキュビズムでなくゲルニカのピカソであることだ

2016-12-04 14:00:32
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「ファセット構造とまではいねないが、モノクロームに近く、ねじれた手や足、顔の変形があり、それが様々な作家に反復される。 ゲルニカは雑誌を通じてすぐ伝えられた。吉岡堅二や岡田徹「夜間爆撃」など

2016-12-04 14:01:50
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「そしてヒロシマというやまもとけいすけの作品。

2016-12-04 14:02:03

[修正]
やまもとけいすけ→山本敬輔

みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「下村良之助「祭」、身体のねじれあゲルニカ的だ。それらの影響が1950年代におきる。

2016-12-04 14:02:30
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「それらの特徴は群像表現だ。しかしその前に藤田嗣治の戦争画という先駆がある。ねじれ苦しむような状況が描かれる。そして丸木夫妻の原爆の図。 戦争画、原爆の図、方向性は違うが群像図であり、1950年代の表現に離れたものでないだろう

2016-12-04 14:03:57
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「内田「歌声よおこれ」、そして中村宏「砂川五番」、これらも群像図。 この群像図は具象が中心である。 村田善男の内灘にて、これは抽象的だが具象の手。そしてあべてんや。 群像とキュビズムの近さがある

2016-12-04 14:05:59
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「身体が断片として描かれる。 鶴岡政男「重い手」など。 アビニョンの娘でも同様で、断片化した身体は珍しくない。そこで河原温の浴室シリーズのバラバラさ、これもキュビズム発想の展開ではないだろうか

2016-12-04 14:07:00
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「身体の変形、ピカソ「泣く女」、小山田二郎「顔」、ゲルニカシリーズの身体変形という文脈に置けば理解できるだろう

2016-12-04 14:07:52
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「50年代キュビズムはジャンル横断的に出てくる。堂本尚郎の日本画でも。方法にすぎないのでどんなところにも取り入れられるが、堂本は日展系だし、おおのしゅくこうは京芸の反画壇だが彼も同様にキュビズムを取り入れた

2016-12-04 14:09:18
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「また塑像や工芸にも同様に取り入れられた。

2016-12-04 14:09:51
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「50年代はどのような時代か。閉塞感が強かったはずだ。そうりょうけい「密閉せる創庫」「マンホール」。前者はグリッド構造で画面が閉塞した感じがある

2016-12-04 14:10:48

[修正]
そうりょうけい→曹良奎

みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「1950年代は逆コースで戦後民主化自由化に対し反動がおこり、基地闘争も起きていた。その動向が絵画に現れる。石井茂雄「戒厳状態」、池田龍雄「創庫」、閉塞的だが、画面分割構造がキュビズム的だ

2016-12-04 14:11:59
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「池田龍雄「夜」「空中楼閣」、閉ざされて線的だが、キュビズム影響下だろう。

2016-12-04 14:12:33
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「大きな転換がわかる。キュビズムは手段で画面構造で意味はなかった。しかし1950年代の閉塞社会構造で手法が目的に転換され、キュビズム表現で時代を表現しようとした、それが密室の画家だ

2016-12-04 14:13:15
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「河原温「肉屋の内儀」、これを彼自身がキュビズムと認めないだろうが、モノクロームでバラバラの画面、これはキュビズム特徴があり、1950年代のキュビズム受容の極点をみせている作品だ

2016-12-04 14:14:04
みそむーおでん @misoni_2013

尾崎「1920年代、1950年代の需要動向は全くそれぞれ関係ないが、形式性が内容に置き換えられ受け入れられた。「肉屋の内儀」はデュビュッフェの影響でも有るが、キュビズムの影響でもあろう

2016-12-04 14:15:10