不完全版 自律的言語能力の問題から記述と説明の関係まで #gengo
@azumayama先生のこのポストを切り口にさせていただこう QT…以前,ご自身の「混乱」という言い方でやんわりと指摘してくださった,現象(の記述)と理論(的価値)の間の関係にかかわる問題,理論中立的に説明すべき現象とは何かという問題については,明日補足させていただきます。…
2011-03-16 19:21:28@satounaoto なかなか難しいことを書いてしまっておりました。私が以前island phenomenaとisland constraintsをそれぞれ独立に存在しうるもののように書いたあとでいただいたツイートでしたので、観察の理論依存性みたいなものに触れつつ、
2011-03-16 19:32:33"to explain"はよく言われるように理論の精密さ/深度によって相対的、Jackendoff が使うアナロジとして、原子物理学は今ではspin、color、…と言ったレベルで述べる必要がある@azumayama @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 19:33:47@satounaoto それでもどの理論的立場をとっても説明の対象とすべき事実・現象というのがあるということを、ただの意見としてでなく、手順を踏んで述べたいと思っておりましたが、ちょっとそわそわしてしまって、その手順がどうにも思い出せません。先延ばしにしなければよかったです。
2011-03-16 19:37:22生成文法も似たような歴史を辿り、島の制約が下接の条件またはCEDの観点で述べられた時は「説明」とされましたが、障壁理論の時点では「記述的一般化」と呼ばれ、またフェイズ理論では障壁理論が…と。@azumayama @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 19:38:02また、生成文法では言語獲得の仕組みを述べたものが説明理論とされる、という事情もあります。周知のことですが、自分の頭の整理でした。@azumayama @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 19:40:26他方で質の高い「記述」はほぼ説明理論と言えたり、逆に説明理論と主張しても経験に合致しない場合「クソ理論ワロスwww」と草を養うことになります。また妥当な記述は理論内のタームで語ることで観察と区別 @azumayama @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 19:44:41@satounaoto ある段階で説明とされていたものが、さらに問いを重ねることにより、その説明自体の説明が求められ、それに対する答えを与えるというかたち理論がで進展してきたという流れがよくわかります。 @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 19:48:35事例に、「島」に関する記述の深化を挙げたいと思います。主語島が知られていました。ECM構文にも見られますので「主語」という特徴が島を規定するとされていました(Chomskyを受けたRoss博論 @azumayama @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 19:50:00これは命題、正確にはCFCの文法機能だった訳ですが、1985くらいから日本語については斎藤衛と菊地朗、ドイツ語についてはDiesing、その他がVP内に留まる主語からの摘出は逸脱性を示さないと観察@azumayama @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 19:54:17これらの観察を主語島はもちろん、下接条件、HuangのCEDは説明はおろか、記述もできませんでした。(一旦終わります。ここから私の売名行為がヽ(;▽;)ノ @azumayama @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 19:57:15@SL_at_IDE @tossijp @asaokitan 理論の変遷にも関わらず一本筋の通った進展とみなしうるのは、この言語獲得の問いが一貫しているからなのでしょうね。 @satounaoto RT 生成文法では言語獲得の仕組みを述べたものが説明理論とされる
2011-03-16 20:07:06あるいは、言語獲得の問いを一貫してもっていない場合には、進展に貢献したとはいえないというのがよいかもしれませんね。 @satounaoto @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 20:13:01何か新しいパラメターが主張される場合、それはどういうデータによってセット可能かとか、果たしてそれは経験的データによって習得可能なものか、といった類のつっこみが常に入れられ、 @satounaoto @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 20:19:28それが提案しようとする理論に制限を加えるという感じがありましたよね。実は、最初に自分で勝手に読んだ本が、ここで、たの字と呼ばれていた先生の『チョムスキー』で、なにかとバイアスがあったものですから、@satounaoto @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 20:23:19ぬをーっ、かっこいい問題設定と思ったのでした。 @satounaoto @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 20:24:32お、雄叫びが! …ふむふむ、なるほどー RT @azumayama: ぬをーっ、かっこいい問題設定と思ったのでした。 @SL_at_IDE @tossijp @asaokitan
2011-03-16 20:26:57@azumayama 先取りになるかもしれませんが、概念意味論では視覚などのほかの生成システムとそれら全ての意味である概念構造が縛りをかけ、認知言語学では一般認知システムが原理になるという縛りをかけるのですよね。@asaokitan @tossijp @SL_at_IDE
2011-03-16 20:41:48@satounaoto ちょっと「縛り」に反応させていただきます。一連の遣り取りを通じて、けっきょく自分が魅力を感じるのは、縛りの中でどれだけできるかというものじゃないかということでした。 @asaokitan @tossijp @SL_at_IDE
2011-03-16 20:56:27あ、いえ、@azumayama先生のお話をお待ちしてたりして… 縛りの中で、というのはクーンのいう問題解き、なのでしょうね。 @SL_at_IDE @asaokitan @tossijp
2011-03-16 21:04:57@satounaoto そしてその好みの縛りのアプローチに「言語に対する猪木・アリ的接近法」ないし「言語分析の藤原嘉明主義」と名付けて、なぜそうすべきかを語りたいと思っていました。が、一連のステップを思い出せません。@asaokitan @tossijp @SL_at_IDE
2011-03-16 21:14:40@satounaoto @asaokitan @tossijp @SL_at_IDE で、名称の由来も述べたいのですが、まずは、概念意味論と認知言語学に縛りがあるといえるかどうかを考えたいのですが、すこし休憩させてください。
2011-03-16 21:18:13ひ、惹かれる…\(//∇//)\ RT @azumayama: そしてその好みの縛りのアプローチに「言語に対する猪木・アリ的接近法」ないし「言語分析の藤原嘉明主義」と名付けて、なぜそうすべきかを語りたいと…@asaokitan @tossijp @SL_at_IDE
2011-03-16 21:22:59【気まぐれ用語解説】否定対極表現negative polarity items:否定文に認可される文法要素。強弱があり、強い要素は否定にしか認可されないが、弱い要素は否定文以外に条件文やbefore節などにも認可される。認可環境を否定対極表現文脈族というひとが二人くらいいる。
2011-03-19 07:14:28