可能世界論の可能性/不可能性

批評における可能世界論の有用性について。「ひぐらし」「うみねこ」「C†C」などを題材に。
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@crow_henmi

ところで、可能性世界には「可能性現在」「可能性未来」のほかに「可能性過去」というのもあって、これが扱われているのがヤマモト・ヨーコであったり「遡及的過去生成論」であったりするわけですが、そ

2011-03-16 20:55:43
tukinoha @tukinoha

@crow_henmi 論理的にはそうなりますね。でも、「別の世界の自分」が犯した罪について責任を負えと言う人はいない。「昨日の自分が犯した罪」には責任を負うことになっていますが。その違いを考えるのはそれなりに有意義でしょう。

2011-03-16 21:03:10
tukinoha @tukinoha

@crow_henmi というか、「昨日の自分から今日の自分へ」という連続性の感覚が現実世界のアクチュアリティであって、それを「全体を見渡す超越的観察者」と置き換えてしまうと、かえってそれが見えなくなってしまい、批評のツールとしては面白くない。

2011-03-16 21:06:49
@crow_henmi

@tukinoha その論理を持ち出したのはそちらなので、ぼくとしては扱いかねます。

2011-03-16 21:06:00
tukinoha @tukinoha

@crow_henmi ごめんなさい、一方的に喋りすぎました。

2011-03-16 21:07:45
@crow_henmi

@tukinoha 結局、メタ物語の登場人物も連続性のアクチュアリティの中でメタ物語を生きているのであって、個々の可能性世界について超越的に振舞うことは困難です。ただし、そのようなメタ物語の場に立つこと/複数の可能性世界を総覧することが可能であることはやはり超越/特権的です。

2011-03-16 21:09:20
@crow_henmi

可能性世界を時間順序的アクチュアリティとしてしか解読できないのが人間の実装であるというのはぼくのC†C論における一貫した問題意識だったのでその辺は @tukinoha さんと認識が一致しているはずです。ただ、既読テクストの読解規則変更で直線的体験を並列に展開可能というのも持論です

2011-03-16 21:17:06
@crow_henmi

KanonやCLANNADで「それぞれのキャラがそれぞれに祐一に救われてある/渚が生きている世界も死んでいる世界も同等に存在しうる」という読みは少なくともテキスト論的には機能しうるでしょう。問題はそこで発生する多数性とそれによる一回性の後退をどのように引き受けた上で読み解くかかと

2011-03-16 21:20:42
@crow_henmi

それについての回答が「愛がなければ見えない」といううみねこの提示したテーゼであったという話はすでにしたような気もしますが、そ もとい、偶有性を最大限に取り可能性世界のどれを取るかは己の審美眼に委ねられるという方向性であったわけで。まあこれはこれで非現実的かつ極端な方法論ですが。

2011-03-16 21:24:22
@crow_henmi

可能性を多数含んだテキストで可能性と戯れることがひとつの方向性の極致であるなら、可能性世界すべてを時間的アクチュアリティのなか一回性に回収することがもうひとつの方向性の極致で、まあひぐらし。ひぐらしとうみねこは可能性世界受容における両極を描き出したわけです。

2011-03-16 21:27:42
@crow_henmi

これはCLANNAD解釈における東浩紀と坂上秋成の問答によく現れています>可能性の併置と時間的アクチュアリティの重視の対立。

2011-03-16 21:30:05
tukinoha @tukinoha

@crow_henmi それ読んでないです。出典をご存じなら教えていただきたく。

2011-03-16 21:32:42
@crow_henmi

@tukinoha 東と坂上の問答ならここです>http://ux.nu/dawRDd

2011-03-16 21:35:29
tukinoha @tukinoha

@crow_henmi それでしたか。論争というか、東氏のお説教みたいな。

2011-03-16 21:37:02
tukinoha @tukinoha

@crow_henmi 私の理解が間違っていなければ、テキスト論的に成り立つことは成り立つにしても、現実世界の重みをふっとばしてしまいたい制作者の意図をそのまま追認する、出来レースみたいな批評になりはしないか、と。

2011-03-16 21:28:19
@crow_henmi

@tukinoha 可能性世界を扱う態度にも先に述べたような幅の広さがあるのでなんともですが、東の可能性世界論においては、そのような批評が必要な作品が実際に「Kanon」として存在していたこと、そして我々はその延長線上で可能性世界の上に想像力の戯れをしていることが重要かと思われ。

2011-03-16 21:32:43
@crow_henmi

テキストにおける読解規則によって読者の時間的アクチュアリティは措定されるが、その後の読みをどう展開するかについては非常に自由な立場が認められているのが昨今のエロゲ論壇批評で、ここにおいてある種の読み手の頽落――テキストに迎合的な読みが前景化するのではないかという疑問はありです。

2011-03-16 21:38:51
tukinoha @tukinoha

@crow_henmi そこが共有できていれば異存ありません。

2011-03-16 21:42:52
本出 寿 @hondeju

@crow_henmi さんと @tukinoha さんの可能世界論、興味深く読んでます(特に横から言えることがあるわけではないので単にそれだけですが)。やっとtukinohaさんの作者の意図トレースの意味が分かった。

2011-03-16 21:31:57
本出 寿 @hondeju

作者の意図トレースというのはつまり、可能世界物の分析が、主人公の想像力の範囲(どの可能世界を「自分」として引き受けるか引き受けないか。そしてそれは作者が好きなように決めている)を再記述することになってしまう、というわけですね。@tukinoha

2011-03-16 21:37:44
tukinoha @tukinoha

@hondeju そういうことです。可能世界論の前提が問われない。

2011-03-16 21:39:42
@crow_henmi

@tukinoha ただまあ、ひぐらし的なものはもとよりそれぞれの可能世界を単線的な時間的アクチュアリティにしたがったひとつの課程として踏破する単線型の物語であり、厳密には可能性世界を扱っているものとは云いがたいというのは先にも申し上げたとおりです。

2011-03-16 21:47:28
tukinoha @tukinoha

@crow_henmi 『C†C』と同じように読むわけですね。とはいえ『ひぐらし』の場合、単線的であると見なす根拠は薄いのでは?たとえば出題編の4作品に、発売順以外の「正しい順番」があるのかといえば、無いのではないか、と。

2011-03-16 21:51:18
tukinoha @tukinoha

@crow_henmi この難点はむろん『C†C』や『シュタインズ・ゲート』にも当てはまるのでしょうけど。

2011-03-16 21:52:30
@crow_henmi

@tukinoha 慣例的には自己あるいは世界の時間的アクチュアリティに帰属する形になりますね。大体はオフィシャル順を尊重するでしょうし、それに準拠しなかった読み方をした人は自分の読みを強く印象するでしょう。しかしひぐらしでは単線化が解から始まったものと見ても不都合はありません。

2011-03-16 21:55:42