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可能世界論の可能性/不可能性

批評における可能世界論の有用性について。「ひぐらし」「うみねこ」「C†C」などを題材に。
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@crow_henmi
次回の #WannaBQ においては、ポストアポカリプスの「大量死/大量生」に対して探偵小説が向き合った困難と克服及びアポカリプス自体をゲーム的想像力の側から書いた作品として「まどマギ」について語ろうとか思ったが、余りにも時勢に流されて大阪なので微妙だ罠。
@crow_henmi
取り返しの付かないものを取り返そうとしてループすると取り返しの付かないものの個別性が偶有性に後退し、結果として取り返したにもかかわらず価値を失っているという問題は、ゲーム的想像力の中でどのように解決されたかというと、まあひぐらしでありうみねこです。
@crow_henmi
メタ物語レベルでの一回性を構築し、それにより偶有性増大による価値後退を食い止め、むしろその繰り返しによって「取り返しの付かないもの」の価値を高めたひぐらしと、偶有性を極限まで押し広げ莫大な可能性の戯れの中に快楽を見出したうみねこ。みたいな。
@crow_henmi
まどマギは一回性の立場からループしている人を見るという方法論で一回性を担保しつつ「取り返しの付かないもの」をいかにして奪還するかというループもののひとつの命題にアプローチしてるんだけどこの続きどうなるのとか。
tukinoha @tukinoha
@crow_henmi 「メタ物語レベルでの一回性」って要するに、諸可能世界を観察する語り手のことですよね。志賀直哉の『小僧の神様』みたいな作品でも作者が顔を出していたりしますし、普通に近代文学の範疇に収まってしまいそうな感じが。
@crow_henmi
@tukinoha その場合「諸可能世界」が並列に語られていることが前提になるんで、ちょっと文脈異なりますね。あと、「大量死/大量生」によって後退した個人の唯一性の問題をループものがどう受け止めたかというはなしとかも出てくるんですが。まあそれはそれで。
tukinoha @tukinoha
@crow_henmi 実をいうと、諸可能世界に「望ましいもの/そうでないもの」という差をつけるタイプの作品と、そうでない完全に並列な作品とを区別する必要性って、そんなに無いような気がします。
tukinoha @tukinoha
@crow_henmi 東浩紀の『CLANNAD』論のように、望ましいものもそうでないものも同列、区別すべきではないという考えもあるわけで。
tukinoha @tukinoha
「可能世界」が指し示しているのは、「~でなかったかもしれない」と言うだけで別の世界が立ち上がってしまう「世界の軽さ」であって、それ以上ではない。「色々な可能性があったけど、いまこの世界はひとつだけ!」みたいな言明は実存主義の名残であって、そんな真剣に受け取らなくてもと思う。
tukinoha @tukinoha
「正史」と「偽史」の境界を問うことには重要な意味があるし、どんどんやるべきだと思うけど、「本物の歴史」と「ねつ造された歴史」の境界を問うことには、大して意味があるとは思えない。可能世界論はこの違いを誤魔化している。
tukinoha @tukinoha
「偽史」ではなく「擬史」と書くべきか。
@crow_henmi
@tukinoha 可能性世界のどれに自らを置くかを選択するために繰り返すことによる「生の一回性」の軽さ、可能性世界が並立して存立していることによる「世界」そのものの低さ、いずれも重要と思います。
@crow_henmi
@tukinoha 境界を問うことではなく、「世界」は無数にバリエーションを生み、それぞれが等価でありうるということのほうが重要なのでは>可能世界論。そこにおいて「境界」を問うことは二義的な問題であって。それゆえに、歴史/確固たる現実認識の甘さを持って東は指弾されるわけですが。
@crow_henmi
そもそもメタ物語という概念は可能性世界を等価に見た上で複数の可能性世界を観測した結果生まれる物語系のことをいうのであって、ある物語を選択したらそれ以外の物語がなくなるみたいな話じゃないはず……ってまたKanon問題か。なんどめだKanon。
tukinoha @tukinoha
@crow_henmi 諸可能世界がそれぞれに等価であるとして、そこからどのような議論が派生してくるかを考えてみるべきではないかと。
tukinoha @tukinoha
@crow_henmi 見逃していました。可能世界論における「生の一回性の軽さ」というのは、諸可能世界を総覧する特権的な観察者を置いて初めて見えるものであって、可能世界そのものの問題ではないのでは?
tukinoha @tukinoha
要するに、可能世界論ってあまりにも作り手の意識をそのままトレースしてしまって、異化効果が生まれないのではという話。
@crow_henmi
@tukinoha 特権的な観測者がいて、それにとって「生の一回性の軽さ」が現前するということと、それぞれの世界がそれぞれに均等な価値を持って存在することは別に矛盾してないので……ひぐらし礼の梨花ちゃまとか。
@crow_henmi
@tukinoha まさにその異化されないことがそれぞれの可能性世界の重みの軽さとつながってくると思われ。
tukinoha @tukinoha
@crow_henmi 「異化されない」というのは、作者の考えをそのまま代弁してしまうという意味で、そんなことして何か意味あるのかという話です。作者本人が語れば済む話じゃないですか。
@crow_henmi
@tukinoha いや、よくわからないのですが。
tukinoha @tukinoha
@crow_henmi はっきり言えば、この世界に梨花ちゃまみたいな人間はいないわけで、可能世界について論じる人々が「我々は別の可能世界について想像できる」と言っているのがそもそも信じられない。
@crow_henmi
@tukinoha それもよくわかりませんが。可能世界について想像し論ずることを普通にやってる人間なんてそこらにいくらでもいますけど(特にエロゲ論壇ヲタ)。
tukinoha @tukinoha
@crow_henmi 例えば、「~をしなかった私」という可能性を可能世界論者は持ち出しますが、それがどうして「私」であると言えるのか。「ひぐらし」でも、その辺は粗雑きわまりないじゃないですか。「ムー民広場」に出てくる「私の前世名は○×」みたいな。
@crow_henmi
@tukinoha その論理であれば、過去の私と現在の私も同一存在でないといえますね。そういう極端な方向は取らないことにしているので。
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