@crow_henmi これはとても難しい問題ですね。「読み方」を射程にいれると、あらゆる作品が可能世界論の範疇に入ってしまうかもしれませんし、そもそも可能世界論に「前後」という考えがなじむのかどうか、とか、結構考えるべき点は多いように思われます。
2011-03-16 22:01:56@crow_henmi 可能世界論に対する私の立場は以前にも書いていますので、もう読まれているでしょうが一応貼っておきます。http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/20100922/p1
2011-03-16 21:43:57@tukinoha 再読しました。ここにおける東批判の文脈は「CLANNAD」においては適切であるかに思えます。しかしながら、東の云うような複数性が、まさに物語消費のシステムに組み込まれて可能世界のバリエーションを展開する戯れに積極的に用いられていることも重要ではないでしょうか。
2011-03-16 21:52:35@tukinoha 出来レースというなら、おそらくそれは作品形式が物語消費の想像力に追いついたのであって、その逆ではないでしょう。単線的な物語の中に別の可能性を見出す物語消費が先行し、それを参照するかのように複数の可能性世界を孕んだ物語が現れたとか。
2011-03-16 21:59:53@tukinoha あとまあ、「複数性」を戯れに扱うときには美意識が重要なのでその辺先鋭的に物語と取り組む話になります、という話は「最果てのイマ」論あたりと絡んでくるかなとか。「優しく配列する」ことがテクストの迷路との先鋭的な戯れであったのですし。
2011-03-16 22:03:19@crow_henmi 批評もむろん「物語消費の想像力」とは無縁ではないわけで、実際にはウロボロスの蛇のように、批評と創作が互いを支えていると考えるのが妥当でしょう。
2011-03-16 22:04:20@crow_henmi 美意識の話は正直よくわかりませんけど、『イマ』は明確に「ループ物」を踏まえた上でそこから脱しようとしている感が。
2011-03-16 22:07:31@tukinoha 複数性を認めつつそのなかで自分の求める物語を先鋭的に選ぶというのは割と批評的にはありなんじゃないかと思います。つまり読み手がどの可能性を選択するかという意思の問題と関わってくるわけで。
2011-03-16 22:05:49ぶっちゃけ東の複数性=可能性世界併置論は「なんでもあり」の物語消費性向を追認したものであるのだが、しかしそこにおいて様々な消費者が「なんでもあり」を楽しみつつもある一定の性向をもって物語を消費すること=ある可能性を選択することで他の可能性を他者化することを捨象していたかに思える。
2011-03-16 22:11:10@tukinoha それはまあ、実装なもんで。実際のところ選択がなければ可能性世界も存在し得ないという決定論的アプローチもありうるわけですが。
2011-03-16 22:17:19@crow_henmi 今言えることはだいたい言ったので、こちらからは以上です。おつきあいいただきありがとうございました。
2011-03-16 22:18:07やっと @tukinoha さんが何を問題にしたかったのかが分かってきたような気がした(いまさらか)のだが、それでもなお物語消費と可能性世界論を出来レース扱いしてしまうことには違和感があり。ある可能性が他の可能性を他者化してしまうことの明確化は、物語消費態度として峻厳すぎるような
2011-03-16 22:21:50可能性世界を以下に解釈するかにおいて東的複数性が批評の先端だった時期は確かにあるのだが、さて現在はといえばむしろ時間的アクチュアリティに沿った単一性の強い物語~メタ物語依存の文脈で構築されているゲームが多いのだった。
2011-03-16 22:48:34